第68話 行かないで

「お待たせしました那月さん」

「ありがとうございます、ゆうすけくん」

 俺は那月さんにお盆を手渡し、那月さんはそれを膝の上に置いた。

 薬は……いつでも出せるように俺のそばに置いておこう。

 那月さんは箸とお椀を手に持ち、味噌汁の中に入っていたレタスを箸で掴み、息で熱を冷ましてから口に───

「……あの、ゆうすけくん」

 ───入れようとした直前、那月さんが俺に声をかけた。笑顔なんだけど眉は下がっている。

「ど、どうしました那月さん?」

 ま、まさか……た、食べさせてほしいとか!?

 いやいや、病気で弱っているとはいえあの那月さんが俺にそんなことを要求するわけないじゃん。うん。ないない。

 でもまあ? 俺としては頼まれたら無下にするなんてありえないわけで? やぶさかではないのでもちろんやらせていただきますけど?

「あまり見られると……その、食べにくいです」

「あ……」

 そんなことあるわけないと思いながらも、ちょっとだけ想像してしまった自分が恥ずかしい。

 気がついたら、俺はずっと那月さんを見ていた。

 ちょっと考えたらわかることじゃないか……。人にまじまじと見られたら、誰だって食べづらいことくらい……。

「ご、ごめんなさい那月さん。俺……ちょっと配慮が足らなかったですよね」

「い、いえ……」

 はぁ……俺ってつくづくダメなやつだよな。熱で苦しんでいる那月さんを困らせてしまって。

 いくら心配したとしても、過度な心配は相手の心にも少なからず負担をかける。

 今の那月さんは肉体的にも余裕なんて全くないのに……そこを全然考えてなかった。

 こういうところだぞ『振られ神』……。

「那月さん。俺、ちょっと出てますね」

「え?」

「ここにいたら、やっぱり那月さんを気にしちゃうので……やっぱり食べにくいと思うから」

 ちょっとのあいだ、席を外そう。那月さんが味噌汁、そして薬を飲んだであろうタイミングを見計らってまたここに戻ってくればいいか。

「じゃあ那月さん。薬もちゃんと飲んでくださいね」

「あ……」

 そうと決まれば長居は無用。リビングに戻ろうと思い、那月さんに笑顔で会釈し、そのまま背を向け那月さんの部屋のドアノブに手をかけたその時……。

「ま、待って……」

 後ろから、那月さんのいつもより弱々しい、だけど意思……みたいなものは普段よりも強い声が聞こえた。

「え?」

 俺が後ろを振り向くと、那月さんは持っていた箸とお椀を膝の上のお盆に乗せていて、体勢はほとんど変わってないけど手をついて、上半身をこちらに傾けていて、目は必死に何かを訴えようとしていた。


「その……行かないで。ここにいてほしい……です」


「っ!?」

 那月さんの縋るような声と表情……風邪引きで心も弱って、つい弱音を吐きたくなることは男にだってある。だけど今の那月さんは、なんて言うのか……普通の人よりも孤独を恐れているようにも見える。

 過去に何が……。

 これも元カレたちの影響なのか……。

 そんな考えがぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。

「そ、その……! もしかしたらゆうすけくんに風邪をうつしちゃうかもしれないし、ゆうすけくんの行動を縛っちゃうのもわかってるんですけど……一緒に、いてほしいです」

 俺が驚いていて何も言わなかったから、那月さんが慌てたように言葉を付け足した。

 俺の答えははじめから決まっているし、そもそも那月さんを看病するって決めてるしな。

「もちろんです。今日は那月さんを一人にはしませんから安心してください」

「っ! ありがとう、ございます……へへっ」

「っ!! ち、ちょっと椅子を取ってきますので、少しのあいだ席を外します!」

「あ、はい」

 俺は那月さんの部屋を出て、急いでダイニングにある椅子を取りに向かった。

 あんな無邪気な笑顔を見せるなんて……反則だろ。

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