第66話 俺に頼ってください

 電話を終えた俺はまた那月さんの部屋へと入ると、那月さんは虚ろな目で体温計を見つめていた。

「何度ありました?」

「それが……」

 那月さんは気まずそうな表情をしながらも、俺に体温計を渡してくれて、それを見た俺は驚愕した。

「三十八度七分!?」

 デカい声で体温計に表示された数値を読んでしまい、俺は咄嗟に口を押さえた。

 今、那月さんの身体は病気で弱ってるんだ。デカい声を出してしまったら、それだけで身体に負担をかけてしまうから。

「す、すみません……」

 俺は謝罪をしながら、那月さんが横になるのを支える。

「いえ、謝らなければいけないのは、私のほうです……」

「那月さんが……?」

 那月さんが謝ることなんてあったか? と思ったけど、那月さんの性格を考えたらそれは明白だった。

「ゆうすけくんに、要らぬ心配を、ご迷惑をかけてしまって……」

 うん。やっぱり。

 那月さんは、自分が体調を崩したのは自分のせいだと、そして余計な手間をかけさせてしまった俺に対して謝罪をしている。

 ただ、俺は那月さんの風邪は那月さんのせいではないと思っている。

 那月さんは三ヶ月くらい前に、隣県から一緒に来た彼氏に捨てられて、右も左もわからないこの土地で俺と一緒に暮らし始めた。

 慣れない土地、慣れない環境で、俺やマユさん、他の人にあれだけ笑顔を見せていたけど、きっと余裕なんてなかったはずだ。

 バイトを始め、ここでの生活にやっと慣れてきたタイミングで、今まで気を張っていたからウイルスに侵入を許してしまったんだ。

 だからこれは、誰のせいでもない。もしも犯人がいるとしたら、それは那月さんを捨てた元カレだ。

 今、那月さんにかける言葉は一つだ。

「迷惑なんて思ってないですよ。那月さんにはこの三ヶ月、随分とお世話になってきましたしね。今はゆっくりと身体を癒して、俺に頼ってくださいよ」

「き、今日って……でもゆうすけくん、学校が……」

「ああ、学校ならさっき休むよう連絡したので大丈夫ですよ」

「え?」

 そう、那月さんが体温を計っている間に連絡をしたのは学校だ。

 司と椿さんにもメッセージを飛ばした。

 仮にこのまま学校に行っても、きっと那月さんの心配ばかりして授業に集中なんて出来やしないし。

「そ、そんな……! 私は大丈夫ですか……けほっ!」

「無茶ですよそんな身体で……」

「ですが……」

 那月さんは下を向いてしまい、毛布を握った。

 那月さんの気持ちはわかる。俺だって那月さんの立場になったら、きっと同じことを言ってバイトに向かわせようとするはずだから。

 バイトといえば、確か今日那月さんシフト入ってるって言ってたな。あとで電話してもらうか。

 それはそうと、やっぱり今の那月さんを放っておくなんて、俺には出来ない。

「まともに歩けないほどの熱で、大丈夫と言われても説得力はないですよ」

「う……」

「それに放っておいたら、那月さん普通に料理とかしそうですし」

「うう……」

「そんなフラフラな状態で家事なんてさせられません」

「で、ですがそれだとゆうすけくんのご飯が……」

 この人は自分がこれだけしんどいのに、それでも俺の心配をしてくれる。それは本当にありがたいけど、甘えてたらダメだ。

「那月さん、前に言ってたじゃないですか。俺のこと、パートナーって」

「あ……」

 それは同居生活二日目、那月さんの生活用品を買いに行った時のこと。

 俺がやらかしたと思って自責の念にかられているときに那月が俺にかけてくれた言葉だ。

 あの言葉で俺がどれだけ心が軽くなったかは、きっと那月にだってわからない。マジで助けられた言葉だ。

「頼りないパートナーだというのは自覚してますが、こんな時くらい、俺に頼ってください。ご飯も、なんとかしますから。ね?」

「ゆうすけくん……」

 俺は那月さんにちゃんと休んでほしくて、俺の時のように少しでも那月さんの心が軽くなるのならと思って言ったんだけど、那月さんは何故か俺にジト目を向けた。

 え? 俺、なにかいけないこと言った?

「……今、それを言うのはズルいと思います」

「えぇ……」

 那月さんに少しでも安心してもらいたくて言ったんだけど、もしかして逆効果だったかな?

 家事は調理以外は率先して手伝いをしてきたつもりだったけど、その調理面が心配で逆に那月さんの不安を煽ってしまったか?

 俺が何か那月さんを安心させられる言葉を探してしどろもどろになっていると、那月さんはクスリと笑った。

「な、那月さん?」

「じゃあ、今日はゆうすけくんにお任せします。ですが、困ったことがあれば私に聞きに来てくださいね」

「……はい!」

 風邪で弱っている那月さんの笑顔も綺麗だと思うなんて……ちょっと不謹慎だよな。

「そ、そうだ! バイト、休みますよね? 連絡出来そうですか?」

「は、はい。それは自分でやります」

 那月さんは自分のスマホを持って操作を始めた。

 ……だよな。さすがにちょっと過保護っぽかったな。

「じゃあ俺は色々と用意をするので一度離れます。してほしいことがあったら遠慮なく言ってください」

「あ、あの! ゆうすけくん……こほっ!」

 那月さんの部屋のドアノブに手をかけた瞬間、後ろから那月さんの声が聞こえた。ちょっと大きな声を出してしまったせいで咳も出てしまったようだ。

 俺は那月さんが心配でドアノブから手を離し、那月さんに近づいた。

「大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫です。その……ありがとう」

「っ! ……はい」

 那月さんの笑顔にまたドキッとしながらも、俺も笑顔を返した。

 そして那月さんがスマホを耳に当てたのを確認して、俺はゆっくりと那月さんの部屋をあとにした。

 いまだに治まらない胸の動悸に気づかないフリをしながら……。

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