第64話 もしかして疲れてます?

 那月さんが司と椿さんと親交を深めたあのスーパー銭湯に行ってからはや数週間、気づけば七月に突入していた。

 今日も今日とて、那月隊長が作ってくれた朝食が乗ったお皿をテーブルに持っていく隊員の俺。

 ただ、今日は少し気になることがあって、那月さんの口数がいつもより少ない。

 いつもならこの時間は楽しくおしゃべりをしながらというのが毎日のルーティンに加えられているので、少し変な感じがする。

「そういえば、椿さんがまた那月さんに会いたいって言ってましたよ」

「そうなんですか? ふふ、私も会いたいです」

 俺から話しかければこのように笑顔で返してくれるんだけど、今日は那月さんが話しかけてくることがほとんどない。朝の挨拶くらいだ。

 その朝の挨拶といえば、俺がリビングダイニングに入ったとき、那月さんはキッチンに両手をついていた。

 朝からこの暑さだし、IHのコンロを使うから、小型の扇風機を置いていても暑いから那月さんもしんどいよな。

 俺ももうちょっと早く起きて、那月さんの手伝いをすればと少し後悔した。

「バイトの方はどうです?」

「……ええ、とても楽しいですよ。お客様も増えてきて、お店の売り上げも右肩上がりだと勇さんも優美さんも喜んでます」

 勇さんと優美さん……マユさんのご両親なんだよな。一度も会ったことないけど。

 看板娘ができたことにより、来店者数も上がってるんだろうな。

 そりゃそうだ。こんなめちゃ美人がいる喫茶店なら、みんな足繁く通うに決まってる。

 メイド服姿の那月さんか……。見たいけど、やっぱり見せてくれないよな。

 でも……お客さんが増えたのなら、那月さん目当てのやつも絶対にいるはず。ナンパされてないといいけど……。

 それにしても、さっきの那月さん……返事にちょっと間があったな。

「那月さん。もしかして疲れてます?」

「そ、そんなことないですよ! 私は元気です! 元気いっぱいです」

 その過剰なリアクションが逆に怪しかったりするんだけど、顔色も普通だし、多分ちょっと寝不足なんだろう。

「あまり無理はしないでくださいね。しんどいなら、家事もしなくて大丈夫なので」

「……平気ですよ。ありがとうございます祐介くん」

 そう言って那月さんは優しい笑顔を見せてくれた。

 もう何度も見てきたこの笑顔だけど、毎回ドキッとする。

『美人は三日で飽きる』って言葉があるけど、絶対嘘だな。飽きるどころか慣れないからこんなにドキドキするんだろうし。

 俺はまだドキドキする中、那月さんの作ってくれためちゃうまな朝食に舌鼓を打った。


「はい、今日のお弁当です」

 俺が学校に行く直前、那月さんが今日の分の弁当を手渡してくれた。

「いつもありがとうございます」

「いえいえ、これくらいは……」

「今日も味わって食べますね」

「……はい」

 この那月さんの笑顔で、今日も一日頑張れる気力が湧いてくる。

 今日はバイトはないし、学校が終わったらすぐに帰って、お疲れかもしれない那月さんのために、いつもよりいっぱい手伝いをしよう。

「それじゃあいってきます」

「はい。いってらっしゃい」

 那月さんに笑顔で見送られ、俺はゆっくりと玄関を閉めた。


 それからちょっと歩いてから俺は気づいた。

「あれ? そういえばあれ、入れたっけ?」

 今日の授業で使う教材があったけど、不意に入れたかどうか不安になり、俺はリュックのファスナーをジーっと開けて中を確認すると、やっぱり入ってなかった。

 危ない危ない。早めに気がついて良かった。

 まだ時間もあるから、これなら遅刻せずにすみそうだ。

 那月さんは俺がまた入ってきたらなんて言うかな? びっくりして、それから「気をつけてくださいね」とか言って優しい笑顔を見せてくれるかな? ……ちょっと見た───

「はっ!」

 いかんいかん。同居人に対してそんな気色の悪いことを考えてどうするんだ?

 那月さんはただの同居人。ちょっと見た目がどタイプなめちゃくちゃ綺麗で可愛いお姉さん……それだけだ。

 だから、以前にも増して那月さんにドキドキするのは、特別な感情なんかじゃない。きっとそうだ。そうに違いない。

 ちょっと心を落ち着けてから入ろう。

 俺は何度か深呼吸をして、玄関のドアレバーを握り、それを引いた。

「っ! 那月さん!!?」

 玄関を開けて最初に目に飛び込んだのは、壁にもたれかかった状態で床にペタンと座り、息が荒く苦しそうにしている那月さんの姿だった。

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