第36話 今度はメイド服に着替えましょうか

 優美さんに用意してもらったカマーベストを着てみたんだけど、これ……思ったよりも動きやすい。

 こういうスーツ系の服ってほとんど着てこなかったから、ちょっとだけ偏見を持ってたけど、これなら全然仕事に支障はないかも。

 あ、それと喫茶店だから髪はちゃんと束ねないといけないよね。

 私は持ってきていたヘアゴムで、自分の髪をポニーテールに束ねる。ちょっと高い位置で束ねた方がいいかな。

 私は更衣室から出ると、すぐそばで待っていてくれていた優美さんに自分の姿を見せた。

「ゆ、優美さん。……どうでしょうか?」

「まあ! 素敵ね那月ちゃん! とっても似合っててかっこいいわ!」

「あ、ありがとうございます」

 更衣室までの移動で優美さんとは少しだけ話をして、その間に優美さんは私を『那月ちゃん』と呼ぶようになった。ちゃん付け……久しぶりだなぁ。

 優美さん高評価みたいだし、このままこのカマーベストで働かせてもらえないかな?

「早速真夕たちに見せにいきましょう!」

「わ、わかりました」

 私は優美さんのうしろに続くようにして、仁科さんと勇さんが待つ店内へと戻った。


「どう? 二人とも。とっても似合ってると思わない?」

 フロアに戻ると、優美さんが私のうしろに回り、私の両肩を持って私を前へと押し出した。

「ど、どうですか?」

「うわ! めっちゃ綺麗でかっこいい! やっぱり九条さんって何着ても似合いますね」

「うん。正直驚いた。想像以上に着こなしているね」

 二人にも高評価で、私は胸を撫で下ろした。

 ……でもなんで二人とも赤色の『○』が描かれた持ち手付きの札を持ってるの? 抜き打ちファッションチェックをしている人やクイズ番組の司会者じゃないのに。

「あ、シゲさんいらっしゃい。どうですかこの子の格好。似合ってるでしょう」

「うむ。とてもよく似合っておるよ。ばあさんの昔の姿によく似ておる」

「どなたですか!?」

 優美さんが『シゲさん』と呼ぶ方にも感想を聞いたと思ったら、そのシゲさんと呼ばれた年配のお客さんは仁科さんたちが持っていた札と同じものを持っていた。ここのお客さんにはアレを配るシステムとかがあるの!?

「ああ、あの人はうちの常連の海原かいばら茂樹しげきさん。私たちはシゲさんって呼んでるのよ」

「そ、そうでしたか……。私は九条那月といいます。ここで働かせてもらうことになりました。先程は咄嗟にツッコミを入れてしまいすみません……。これからよろしくお願いします」

「海原茂樹じゃ。いいんじゃいいんじゃ。元気な娘さんで好感が持てるしの。こちらこそよろしく頼むよ。那月さんも気軽にシゲさんと呼んでくれ」

「は、はい! シゲさん!」

 シゲさんもいい人だし、ここのお客様はみんなこういう穏やかな人なのかな? どんなお客様がいるのかちょっと楽しみになってきた。

「じゃあ那月ちゃん。今度はメイド服に着替えましょうか」

「え?」

 カマーベストがみなさんに好評だったから、もうこれで決まりだと思ってたのに、メイド服も着るの!?

「あら、どうしたの那月ちゃん?」

「い、いえ……その、カマーベストで決まりかと思いまして……」

「それとこれとは別問題よ。メイド服のほうがもっと似合うかもしれないじゃない?」

「うぅ……わ、わかりました」

 まだメイド服を着ることに若干の抵抗はあるけど、せっかく雇ってもらえるんだから……それに、メイド服なんてこの先着れるかわからないし……べ、別に私が着たいと思ってるわけじゃないけどね! あ、あくまで経験しておいてもいいかなって思ってるだけだから。

 そうして私はまた、優美さんに連れられて更衣室に入った。今回は優美さんも一緒にだ。

 この時に初めてメイド服を見せてもらったんだけど、オーソドックスなクラシカルタイプのメイド服で、胸元の大きなリボンが特徴的だった。

「それにしても那月ちゃん……本当にスタイルいいわね」

「え!? そ、そうですか?」

 カマーベストを脱いでいる最中、優美さんがそんなことを言ってくるものだから、顔が一気に熱くなってくる。

「お胸は大きいのにウエストはとても細くて、それでいて程よく引き締まってるし、なによりその美しさと可愛さが見事に同居したお顔。さぞモテたでしょ?」

「あはは、そ、そうですね……」

 優美さんの言うように、私は確かにモテていて、告白されて付き合ったけど、どの人とも長続きしなかった。理由は……うん。あまり思い出したくない。

「あ、ごめんなさい私ったら……」

「いえ、いいんです。優美さんの仰ったことはその……間違ってなくて、何人かとお付き合いしていたのは本当ですから」

「那月ちゃん……」

 私の表情で悟ってくれたのか、優美さんはそれ以上その話題を続けることはなかった。

「そうだわ。確か真夕と同じバイトしてる子の家に住んでるのよね?」

 代わりに、今度は祐介くんのことを聞いてきた。祐介くんのことならさっきより楽しくお話出来る。

「そうですね。降神祐介くんという男の子の家に住まわせてもらってます」

「……その子との生活、楽しいのね?」

「はい……とても」

 祐介くんと暮らし始めてまだ一週間経ってないけど、彼と暮らしていると暗い表情になることはない。家事をしている私を労って、手伝ってくれるし、彼とお話してる時は笑顔になることが多い。

「ちょっと踏み込んじゃうけど、その子と付き合いたいとは思わないの?」

「……今は恋人はいいかなって思ってるので」

 これは本当だ。やっぱり恋愛で苦い経験ばかりしてきたから、今は恋人が欲しいとは思っていない。

 現に祐介くんと一緒に居てもそういうドキドキは感じない。『楽しい』や『安心する』って感情しかないもん。

「……そう。……その祐介くんとの出会いは、那月ちゃんにとっていいものだった?」

「はい」

 私は優美さんの質問に即答した。

 祐介くんとの出会いは本当にいいものだと心から思う。出会い方は特殊で、最初こそ祐介くんを警戒していたけど、今は祐介くんに出会えて、あの時勇気を持ってナンパを追い払ってくれたことに感謝してもしきれない。

 祐介くんは彼に一方的に捨てられてどうしていいかわからなかった私に手を差し伸べ、心から笑えるようにしてくれた。だから私も、祐介くんの過去のトラウマがあるのなら、それを取り払ってあげたい。最初は仁科さんに頼まれたけど、今は自分でそうしたいと心から思う。

「うふふ。本当に楽しいのね。でももし悩みが出来たらいつでも相談にのるから言ってちょうだいね」

「ありがとうございます優美さん。これからよろしくお願いします」

「ええ。こちらこそ」

 優美さんと話しているうちにメイド服に着替えた私は、少し緊張した面持ちで、優美さんと一緒にフロアへと戻った。

 それにしても、着替えた私を見た優美さんが少しのあいだ動かなかったのはどうしてなんだろう?

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