第35話 試着してみましょうか

 仁科さんからバイトを紹介してくれる約束をしてから三日後の木曜日。

 私は仁科さんに連れられて、彼女のご実家の喫茶店、こうにやって来た。

「わりと近いんですね」

 ここは祐介くんの家から一駅先にある場所で、その駅から徒歩五分圏内にある場所だった。

「そうですか?」

「はい。もっと遠いと思っていましたので」

 てっきり、もっと何駅も離れた所にあると勝手に思っていたので、一駅しか移動しなかったから少しだけびっくりした。

「それにしても、大きいお店ですね」

 外観はレンガ造りになっていて、ちょっとレトロというか、おもむきがある。確かに落ち着いた感じの喫茶店だ。

「両親がレトロ好きなのが高じているんですよ。まあ私も気に入ってなくはないですけどね」

「素直に好きと言えばいいじゃないですか」

 素直じゃない仁科さんに、ついくすくすと笑ってしまう。可愛いな仁科さん。

「い、いいじゃないですかなんでも! ほら、早く行きますよ」

「あ! ま、待ってください!」

 照れた仁科さんはスタスタと早足で入口に向かってしまって、私は慌てて仁科さんを追いかける。

 格子ガラス張りの赤いドアを開けると、ドアの上に設置されているベルがちりんちりんと鳴り、来客をお店の人に告げる。……私たちはお客さんじゃないけどね。

「ただいまー」

 仁科さんの声に気づいた、近くのテーブルを掃除していたカマーベストを着た女性がこちらを見た。この人が仁科さんのお母さんなんだ。

 肩くらいまで伸びた美しい黒髪が、こちらを向いたことで揺れている。優しそうなお母さんだ。

「まあまあ真夕。おかえり」

「うん。ただいま母さん」

 仁科さんのお母さん、仁科さんが帰ってきたことですごく嬉しそうだ。とても娘思いのいいお母さんだなぁ。

 あれ? でも仁科さんは祐介くんと同じところでバイトしてるから、ここにはいつでも帰れる距離に住んでるはずなのに、あまりここには帰ってないのかな?

「隣の方がそうなのね?」

「うん。前に話した九条那月さんだよ」

 いけないいけない。今は考えごとなんてしないで、ちゃんと仁科さんのご両親に挨拶しないと。

「は、はじめまして! 九条那月といいます!」

 私はすぐにお辞儀をした。お辞儀っていうレベルじゃないくらい頭を下げているけど。

「まあまあご丁寧に。真夕の母の優美ゆうみです。よろしくね那月さん」

「は、はい。よろしくお願いします!」

 私は再度お辞儀をする。

 優美さん、柔和な笑顔が似合う美人で優しいそうな人。

 私が優美さんの印象について考えていると、ひとつの足音がこちらに近づいてくるのに気がついた。

「あ、父さん」

「!」

 やっぱり仁科さんのお父さん。ど、どんな人なんだろう。

 私はおそるおそる顔を上げると、白髪混じりの髪……ロマンスグレーをツーブロックのオールバックにしていて、顎には髭を少々蓄えた、これまたかっこいい男性がいた。

「おかえり真夕。君が九条那月さんだね?」

「はい! 九条那月です! よろしくお願いします!」

 私はまたしても頭を下げる。

「はっはっは。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。真夕の父のいさむだ。よろしく、九条さん」

 わぁ……笑うとさらにかっこいい。優美さんと同じく優しそうな人。

「それで九条さん。君さえよければいつからでも働いてほしいのだが、どうかな?」

「え!? いや、あの……め、面接とかは?」

 なんかいきなり採用みたいになってるけど、そ、それでいいの!?

「娘が電話で、「すごく優しくて真面目でめちゃくちゃ綺麗な人が働きたいって言ってる」と聞いた時は驚いたが、さっきのやり取りで君の人となりはわかったつもりだよ。それに、娘の紹介なんだから、採用する理由はそれで十分さ」

 勇さんも優美さんも、仁科さんのことを心から信頼してる。そうじゃなかったら、ちょっと言葉を交わしただけの、初対面の私をいきなり採用だなんて言わないよ。

 なんか、私の両親を思い出しちゃうな。私の両親も、優しかったから……。

「め、めちゃくちゃ綺麗かはさておき、雇っていただけるなら精一杯頑張ります。それで、あの……」

 ここで働くことに関しては、ひとつの懸念を除けばなんの問題もない。気になるのは……。

「どうしたの九条さん?」

「娘さんから、私の制服がメイド服だと伺ったのですが、本当ですか?」

 そう、制服!

 メイド服はやっぱり私には似合わないのではと思うから、キリッとしたメイクでクールな女になって、優美さんと同じカマーベストで働いたほうがいいのではと思ってしまう。

「そうね。うちの制服は私たちのようなカマーベストかメイド服の二つなんだけど、九条さんなら圧倒的にメイド服が似合うと思うわ」

「あのっ、選ばせていただけるのならカマーベストを……」

「ならちょっと試着してみましょうか。時間は大丈夫かしら?」

 あ、試着できるんだ。

 えっと、今はお昼すぎ。祐介くんは今日もバイトだから、帰ってくるのは遅い時間になるから、私もちょっとくらい遅くなっても大丈夫だよね。

「はい。大丈夫です」

「よかったわ。じゃあちょっと奥に行って着替えましょう。お父さん、真夕。店番お願いね」

「わかったよ」

「は~い」

「し、失礼します」

 こうして、私は優美さんに連れられ、店の奥に移動した。

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