第34話 ……いいな

「え? バイトですか?」

 バイトが終わり、遅い時間になった夕食時、那月さんの作ってくれた料理をひとつひとつめちゃくちゃ味わって食べていると、那月さんが突然真面目な顔で「バイトをしたいんです」と言ってきた。

 那月さんはグラスに入っているビールを飲み、そのグラスを優しくテーブルに置いた。

 ビールは缶にまだ残ってるっぽいけど、グラスにつごうとしない。

「はい。やはりこの家で暮らす者として、働いてお金を入れるのは当然かと思いまして」

「でも家事だけで大変じゃないですか? というか、俺はそれだけで大助かりなんですが……」

 今までは休みの日に掃除と洗濯を一気にやっていたから、那月さんがこの家で暮らし始めてからはマジで大助かりなんだ。それに加えてバイトまでやるだなんて……那月さんの負担が増えるのではないかと心配してしまう。

「そこは大丈夫です。以前もやったことありますし、それに祐介くんに心配かけないよう、ちゃんと折り合いをつけて休みながらやっていきますから」

 つまりは元カレどもの誰かが、家事全般を当たり前のように那月さんにやらせて、バイトもして家にお金を入れてくれた那月さんに労いの言葉のひとつもかけなかったやつがいるってことか? もうクソすぎて呆れしか出てこない。

 那月さんはここまで言ってくれているんだ。それを止めようとするのは間違ってるよな。

「……わかりました。ですが、本当に無理だけはしないでくださいね?」

「ええ。わかってますよ。ありがとうございます祐介くん」

「い、いえ……同居人の心配をするのは当たり前ですから……」

 むしろ心配しない奴の方が少数だろう。

「頑張りますね」

「ほどほどでいいですからね。ところで、働くところは決めてるのですか?」

「まだ決まったわけではないのですが、仁科さんのご実家で働こうかなと……」

「マユさんの? あ、確か実家は喫茶店って言ってたような……」

 マユさんの実家の話を聞いたのはだいぶ前だからちょっと忘れていたが、落ち着いた感じの喫茶店だと確かに言っていた。

「そうなんです。お買い物をしていたら偶然仁科さんと会って、そしたらご実家を紹介してくれることになって」

「なるほど」

 那月さんとマユさんは今日も会っていたのか。というか、今日はマユさんそんな話一切していなかったぞ!?

「ですから木曜日に面接に行ってきますね」

「那月さんなら万が一にも落とされることはないでしょうね」

 これだけ綺麗で、礼儀正しくて、家事も完璧な那月さんを落とす理由はないだろう。あっという間に看板店員になりそうだな。

「仁科さんのご両親に失礼のないように頑張ります。ただ……」

 バイトの面接は那月さんには余裕だろうと思っていたんだけど、何故か那月さんが言葉を詰まらせた。心配事でもあるのだろうか?

「どうしました那月さん?」

「……じ、実は、これも仁科さんに言われたことなんですが、もし私が働きだしたら、制服はメイド服になるだろうと……」

「なんですって?」

 思わず真顔になってしまった。

 聞き違いか? 今、那月さんがメイド服って言った? 言ったよな!?

「や、やっぱり私の髪色や年齢でメイド服は無理がありますよね? あはは……」

 那月さんはああ言っているけど、実際どうなんだろう? ちょっとイメージしてみよう……。


 店内に入店すると、メイド服姿の那月さんが優しい笑顔で駆け寄ってくる。そして……。


『お帰りなさいませ。ご主人様』


 満面の笑みでお出迎えしてくれる那月さん……そのメイド服はかなりスカート丈が短く、那月さんの細く長い美脚を強調させる。

 さらに白のニーハイがまためちゃくちゃ似合っていて、その絶対領域はかなりの破壊力を秘めている。

 胸元の露出はなく、大きく黒いリボンがいいアクセントになっている。

 那月さんの綺麗なライトブラウンの髪に、定番のフリルが付いたカチューシャ……金髪のメイドもアニメの世界にはいっぱいいるし、それと近い髪色の那月さんにそのカチューシャが似合わないなんてとんでもない!

 年齢がどうのとか言っているけど、年齢なんて関係ない。那月さんにメイド服は似合いすぎるし破壊力も凄まじいものになるだろう。


「あ、あの……祐介くん?」

「……いいな」

「ええっ!?」

「うおっ!」

 突然那月さんが大声を出すものだから、想像の世界から一気に現実に引き戻された。

 正面にいる現実の、部屋着姿の那月さんは、何故か頬を赤くしてめちゃくちゃ驚いた顔をしていた。そんな顔も綺麗とかどんだけなんだ。

「えっと、どうしたんですか那月さん?」

「だ、だって……祐介くんがボソッと「いいな」なんて言うから……」

「えっ!?」

 那月さんに言われて、俺は手で口を隠した。俺、声に出してたんだ。

「……一体どんなメイド服を想像したんですか?」

 那月さんはジト目で少し前のめりになり、缶ビールを持った。あれ? 俺、取り調べされてる?

「ど、どんなと言われてましても……普通のとしか言えないのですが」

「具体的に述べてください」

 那月さんはビールをグイッと飲んだ。もしかして酔ってる? でも昨日は酔ってなかったしな……。

「具体的……丈が短いやつですが……」

「……えっちなやつですか?」

 ……まだ取り調べは続くの?

「ち、違いますよ! 確かにスカート丈は短いですが、それだけです。胸元なんて開いてないし、むしろそこにあったリボンが似合っていたなと」

「そ、そうですか……」

 どうやら取り調べは終わったようだ。

 那月さんは背もたれに背中を付け、さっきグイッと飲んだ缶ビールを今度はちびちび飲んでいる。かすかに頬が赤いのは酔ってるから?

「こほん。仁科さんが言うには、丈の長い、クラシカルな服みたいですよ」

「クラシカルですか……」

 俺は脳内で、今度はクラシカルタイプのメイド服に身を包んだ那月さんを想像する。

 那月さんって清楚系の美人で上品だし、物腰も柔らかいから、むしろそっちの方が似合うのでは!?

「ゆ、祐介くん? 今度は何を考えているのですか?」

「……いいな」

「ええっ!?」

 こうしてまた、俺は那月さんから取り調べを受けるのだった。

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