第11話 「祐介くん」、「那月さん」
それから九条さんは右手で軽く握り拳を作り、指で口を隠した。上目遣いで俺を見て、頬はほのかに赤らんでいる。
「そ、それに、住まわせてもらえるのですから、降神くんがどうしても我慢出来ないときは……い、言ってくれたらいつでも───」
「い、言いませんから!」
可愛い顔、そして仕草でとんでもないことを言うなこの人! おかげで頬がめちゃくちゃ熱くなってしまった。
た、確かに……こんな綺麗でスタイル抜群の女性にそんなことを言われるのは、これ以上ない魅力的なお誘いなのだが、俺はそれを了承するつもりはない。
「そ、そういう行為は……彼氏彼女がするものですから……九条さんの信頼を裏切るような……傷つける行為はしませんよ」
童貞の俺が言っても説得力が皆無なのは知っている。だけど、恋人同士でもない男女が、その……か、身体の関係を持つのはやっぱり間違ってると思うから……童貞感丸出しだが、そういう行為は好き同士でしたい。今度、俺に好きに人が出来るかは別として。
「……そうですね。ごめんなさい降神くん。それから……ありがとう」
「い、いえ……そんなお礼を言われることでは……」
なんか、照れくさいな。
「……話を戻しますが、私をここに住まわせてくれますか?」
「はい……。よ、よろしくお願いします」
九条さんが笑顔で出てきた右手を、俺も笑顔で、ちょっとぎこちなく握った。
女の人に自分から触れるのなんて数年ぶりなんだ。ましてやこんな綺麗な女性……緊張するなというほうが無理がある。
さっき九条さんの手首を掴んだけど、あれは咄嗟のことだったから掴んだ後に意識したのだが、意識するのが前と後ではこうも違うものなんだな。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ふりが…………あ」
九条さんが俺の苗字を呼ぼうとしたが、何かを思いついたのか途中で止まった。
「ど、どうしました九条さん?」
「いえ……これから一緒に住まわせてもらうのに、苗字呼びはなんだが変だと思いまして」
「え?」
「やっぱりよそよそしい感じもありますし……よかったら『祐介くん』と呼んでもいいですか? 私のことも遠慮なく『那月』と呼んでかまいませんよ」
「っ!!」
九条さんの言ってることはわかる。これからひとつ屋根の下で暮らすのに、苗字で呼んでいたらよそよそしい感じになるし、いつまでも遠慮が抜けないだろう。
でも、こんな俺が、こんな可愛くて綺麗な年上の女性を名前で呼ぶ……呼んでいいのか?
「だ、ダメ……でしょうか? やっぱり早すぎですかね……あはは……」
「だっ、大丈夫です! 遠慮なく『祐介』と呼んでください!」
な、なにを躊躇する必要があるんだ!?
考えてみたら、一緒に暮らす以上、名前呼びは避けて通れない道だ。遅かれ早かれ呼び方が変わる日は必ず来る。それが九条さんのおかげで早くなっただけだ。俺には高すぎるハードルを、九条さんが一気に飛び越えやすい高さまで落としてくれた。
「あ、ありがとうございます。では……改めてこれからよろしくお願いします。祐介くん」
直感なんだが……多分、九条さんとは長い付き合いになると思う。九条さん自身からこんな提案をしてきたんだ。二、三日ここに泊まって、はいさよならにはならないはずだ。
だったらそんな遠慮は無用……というか邪魔になるだけ……だよな。
「こちらこそ。よろしくお願いします。……な、那月さん」
こうして、『振られ神』とまで呼ばれたお付き合いした人数ゼロな俺と、お付き合いした人は多いけど男運ゼロの美人なお姉さん……ある意味『ゼロ』同士である俺たちの同居生活が幕を開けた。
肝心な『振られ神』のことを那月さんに告げられないまま……。
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