第10話 信頼しているに決まっているじゃないですか
「え!? ちょ、待ってください! ここに住まわせてくれって……本気ですか?」
「はい!」
九条さんからそんな突拍子もないことを言われてから少しして、ようやくまともに思考できるようになった俺は、改めて九条さんに言葉の真意を聞いたのだが、どうやらマジで冗談ではないみたいだ。
「その、九条さんが住んでいた家はどうなるんですか!?」
「それは大丈夫です。私、あの人の家で一緒に暮らしていたんですが、正式に別れると言われてしまって、帰れないんですよ」
「そ、それなら、ご実家に帰るとかは……」
「……家族は、いないんです」
「あ……」
聞かなければいけないことだったとはいえ、ちょっと不躾だったな……。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ、いいんです。もう何年も前のことですから」
「それでもです。ちょっと踏み込みすぎました。ごめんなさい九条さん」
「降神くん……」
九条さんはもう何年も前のことって言ってたけど、やっぱり……家族をなくす辛さは変わらないし、俺のその一言で辛い過去を思い出させてしまったから……。
なにか気の利いたことを言えればいいんだけど、こっちに越してくるまであまり他人と喋ってこなかったからいい言葉が思いつかない。
「ありがとうございます降神くん。そのお気持ちだけでとっても嬉しいですよ」
「九条さん……」
結果、彼女に気を遣わせてしまった。
「それに、今までの人の何人かにもその話をしたことがあるんですが、その全員があまり関心を持ってくれなかったので、だから降神くんの気持ちは嬉しいですよ」
九条さんの元カレたち……マジでどうしようもない奴らばかりだな。
「それに、私がここに住むことで、降神くんも得をするんですよ」
まるで、「悲しい話はこれでおしまい」と言わんばかりに、九条さんは人差し指をピンと立てて、明るい声で言った。
「え?」
「まずはお家賃ですね。一緒に暮らせば家賃は折半になります。お家賃だけでなく、食費や光熱費だって折半です。それに、降神くんが美味しいって言ってくれた私の作った料理が一日三食毎日出ます。そうなれば必然的に外食や出前をとる必要もなくなります。どうですか? 悪くない話だと思いますよ」
九条さん……めっちゃ自分を売り込んでくるなぁ……。
俺は顎に手を置き考える。
確かに諸々の出費を抑えられるのはありがたいし、九条さんの激うま料理が毎食食べられるのはめちゃくちゃ嬉しい。九条さんの料理が恋しくて早く家に帰りたいとか思いそうだ。
考えれば考えるほど、俺にとってメリットしかない話だ。俺にとっては……。
俺はそこまで考えて、顎から手を離し、九条さんをまっすぐ見た。
「確かに俺としてはめちゃくちゃありがたい話なんですが、逆に九条さんはいいんですか?」
「もちろんです! 私が言い出したことなんですから、嫌だなんて思うはずありません」
即答か。それも本心で言ってるんだろうなというのはわかる。
だけど、俺が心配してるのはそこじゃない。
「その……会ってまだ数時間しか経っていない男の家に住むのに、抵抗はないんですか? 俺だって、九条さんの元カレたちのようになったりするかもですし、その……九条さんの寝込みを襲って、い、色んなことをする……とか、思わないんですか?」
最後の方は言っててちょっと恥ずかしくなってしまい、抽象的で、徐々に声が小さくなってしまった。
九条さんは俺を信頼しているっぽいけど、俺たちはまだ出会って数時間だ。そんな短時間でそこまで言ってしまうのは、危険なんじゃないか?
俺はこの人の元カレ連中みたいな言動をするつもりは微塵もないが、俺だって男だ。恋愛に懲りたとはいえ、それは欲求とは別問題……こんな綺麗な人と一緒に暮らして、いつ俺が狼に豹変するかも……という心配はしていないのか?
俺自身、もちろんそんなことしないように最大限注意はする。ここまで信頼してくれる九条さんを裏切りたくない。
……人に傷つけられ、自分から離れていく怖さを知っているから。
九条さんが自分からここを離れるその時まで、この人にはそんな経験をさせない……させたくない。
「……自分からこんなお願いをしているんです。降神くんを信頼しているに決まってるじゃないですか」
九条さんは目を細めて、優しく微笑んだ。
そんな優しい笑顔を見せられたら、俺からはもう何も言えないな。
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