第8話 イラつくなぁ……

「……ふ、降神くん。お夕飯の準備が出来ましたよ」

「はーい」

 俺の部屋の外から九条さんが俺を呼んだので、俺は自室の扉を開けると、そこにはめちゃくちゃ可愛い人が立っていた。

「…………」

 九条さんなんだけど、あのバッチリ濃いメイクを落としたすっぴんの九条さんは、美人というよりも可愛いというほうがしっくりくるほどの童顔美女だった。

 少し切れ長だった瞳はぱっちりと大きく、頬はシミひとつなく綺麗で触るともちもちしてそうな印象、真っ赤なルージュが塗られていた唇も、今は素のピンク色をしていてとてもみずみずしい。

 つまり何が言いたいかというと……メイクしていた九条さんがタイプな女性なら、このメイクを落とした九条さんは『ど』がつくほどのタイプな女性だ。

 だけど、俺にはひとつ気がかりなことがあった。

 それは夕飯を作ってもらう前……。


「九条さん。夕飯を作るその前に、メイクを落とさないんですか?」

「えっ……!?」

 このように、何故かメイクを落とすことをすごく躊躇っていたのだ。

 それを見て俺は、やっぱり会ったばかりの俺にすっぴんを見せるのは抵抗があるよな……なんて考えていたんだけど、それが間違いであることをこの後知ることとなる。


「……やっぱりメイクは落とさないほうがよかったですか?」

 俺が九条さんに見惚れていると、九条さんは頬に手を当て、眉を下げて困ったようにそう口にしていた。

 しまった……。何も言わないのが却って逆効果になってしまうとは……。ここはちゃんと感想を言わないとな。

「い、いえ! そのままで大丈夫です! む、むしろ……そっちの方が……か、可愛くて、い、いいですよ……」

 言ってる途中で顔が熱くなり目を逸らして声も尻すぼみになってしまった。女性にこんな本音を言うのって、こんなにもハードルが高かったんだな……。

「あ、あの……ほ、本当……ですか?」

「へ?」

「本当に、その……降神くんは、すっぴんの……こんなな私の方が、良いんですか?」

「……は?」

 今の、すっぴんの九条さんが……不細工?

 待て待て、誰がどう見ても今の九条さんは可愛いという言葉が似合うのであって、間違っても不細工なんて単語は出ないどころか、思考にすら入らない。

 もしかして……これも……?

「歴代の彼氏の誰かに、言われたんですか?」

「……はい」

 やっぱりか。

 九条さんを不細工と罵ったやつは、どこを見てそう言ったんだよ!? 節穴にも程があるだろ!

 綺麗系が好きなら、あのメイクをしてほしいというのは理解出来るかもしれないが、女性に、ましてやこんな超絶美人で可愛い人に『不細工』なんて言えるのが一ミリも理解出来ないしマジで信じられない。

「イラつくなぁ……」

 この短時間で数々の信じられないエピソードを聞いた俺の口から、自然とそんなセリフが出てしまった。

「っ! ご、ごめんなさい! やっぱりお化粧をしてきますね……!」

 し、しまった!

「待って九条さん! 違うんです!」

 俺は咄嗟に、この場から走って行こうとする九条さんの手首を掴んだ。

「いえ、いいんです! やっぱり不細工な顔を見せてしまって、降神くんをイラつかせてしまったわけですから……」

「それは九条さんの元カレたちに言ったセリフで、俺は九条さんがめちゃくちゃ可愛くて見惚れてたんです!」

「……え?」

 九条さんの誤解をとくためとはいえ、本音を包み隠さずにぶちまけた結果、九条さんは本当に驚いている様子で、目を見開き、俺が何を言ったのかを理解した瞬間、頬がポッと赤くなった。……はっきり言って、可愛すぎます。

「え? え!? う、嘘ですよね? だって……なにもメイクしていないすっぴんの私ですよ!? 降神くんにも不細工と言われるって覚悟はしていたんですけど……」

 この人の元カレたちは、一体どこまで九条さんにひどい言動をしてきたんだろう……。普通このすっぴんを見て不細工なんて言うか!?

「嘘じゃありません! 年上の女性に言っていい言葉か分かりませんが、今の九条さんは本当に、めちゃくちゃ可愛くて……正直、さっきのメイクしたのより今のすっぴんの方が、俺は好きですよ!」

「すす、好きって……! あの……その……え? ほ、本当……ですか?」

「はい!」

「今の私……不細工じゃ、ないですか?」

「可愛いです……とても……」

「「…………」」

 お互い照れてしまってちょっと気まずい沈黙が流れる。

 え? 俺、告白した? してないよね?

 普通に九条さんのすっぴんが可愛くて好きって言っただけで、九条さんのことを好きと言ったわけじゃない。いやまぁ、人間的に好ましいってのには違いないけど、恋愛に懲りた身でこんなにすぐに恋心が芽生えるはずもない。今だって九条さんの……どタイプな顔を見るとドキドキするけど……それだけだ。九条さんさんと付き合いたいとは考えてない。

「……あ、あの、降神くん」

 気まずくてお互い目を逸らしていたのだが、九条さんに呼ばれて彼女の顔を見ると、九条さんは頬を微かに朱に染め、まっすぐ俺を見つめていた。

「は、はい」

「その……手を……」

「手? …………あ!」

 しまった。九条さんの手首を握ったままだった。

「ご、ごめんなさい!」

「い、いえ……」

 俺は九条さんの手首をパッと離すと、両手を上にあげて私は無罪ですみたいなポーズをとり謝罪した。無罪じゃなくて有罪だよな……いきなり九条さんの手首を掴んだんだから。

 でも……初めて母親以外の女性に触れたが、思い出すとまたドキドキしてきた。

 九条さんは今しがた俺が掴んでいた手首をもう片方の手で触っていた。俺の思い込みだとは思うんだけど、その触り方は嫌とかではなく、大事なものにそっと優しく触れるような感じに見えた。

「降神……くん」

「はい」

 再び名前を呼ばれて九条さんの顔を見ると、九条さんは何か……うまく表現出来ないけど、なにかに縋るような……そんな表情をしていた。

「本当に……いいのですか? 私、その……このままで、すっぴんでいて」

 なるほど……この表情、そして言葉から、やっぱり元カレからあの濃いメイクを家でもしとけと強要されていたんだ。

 それだけでなく、今までの元カレ連中から受けてきた命令で、九条さんの恋愛に対する常識……『普通』と言うのか、とにかくそれがめちゃくちゃ間違った方向で捉えてしまっているんだ。

 恋愛経験がない俺が、恋愛における『普通』を語っても説得力は皆無だが、九条さんのそれはまったく違うと断言出来る。

「もちろんです。ぜひお願いします! それに、九条さんもその方が楽でしょ?」

「っ! ……はい!」

 俺は優しい笑顔、そして口調を意識して言うと、九条さんは少し驚いたあとに、優しい笑顔を見せてくれた。

 その笑顔は、完璧メイクをした時に見せてくれたどの笑顔よりも、美しく見えた。

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