第17話




 その日もいつもと変わらぬ一日だった。昼過ぎまでは。

 昔と比べるとだいぶ皺が深くなったが、見るからに人の良さそうな司祭が慌ててセレスを呼ぶ。最近はこんな顔をさせてばかりだなあ、心配掛けて申し訳ないなあと思いつつ、セレスは言われた通り客室へと向かう。

 そうして入ったいつもの部屋。ほんの一ヶ月程前まではアンネ達と茶会をしていた部屋にいたのは、非常に見知った人物だった。


「初めてお目に掛かります聖女・セレス。シークヴェルト・ファン・ヒューゲルです。どうぞ、お見知りおきを」


 ついイラッとしてしまったのは自分の気が短いから、ではないはずだ。誰だって、久方ぶりに逢った知人に、やたらめったら仰々しく挨拶をされたら苛立ちの一つもするだろう。あげく、当人はこうすればこちらがどういった反応をするのか理解してやっているのだから、本当にこの人は性格というか根性が


「捻くれてる」

「相変わらずの様で何よりです聖女サマ」


 騎士としての顔は疲れる、と即座にシークはこれまでと同じ顔付きに戻った。


「え……えええええええ……」

「まあなんですかほら、聖女サマとりあえず座りませんか? 土産もありますよ」


 勝手知ったるなんとやら。我が物顔で席を勧めるシークにこれまたイラッとしてしまうが、たしかにいつまでも立ちっぱなしでもいられないので、セレスは渋々ソファに腰を下ろした。


「ようやく諸々が片付いたので、やっと逢いに来る事ができました」


 そう言って笑うシークはこれまでと同じ様な、でもどこか違う様な、とにかくセレスを落ち着かない気持ちにさせる。


「お……お疲れ様でした?」


 ひとまずそう労えば、さらにシークの笑みが深くなる。見つめてくる視線がなんともこう、違和感しかない。


「ありがとうございます。貴女にそう言ってもらえたら、それだけで疲れが吹き飛びます」


 ぐ、とセレスは喉の奥を引き絞る。そうでもしなければ何だか奇声を発してしまいそうだ。彼と逢わない間に恋心の自覚をしたのが不味かった。その気持ちにはケリを付けたと思っていたのに、あくまで思っていただけに過ぎなかった様だ。今、こうして目の前にいられるだけで心がざわめいて仕方が無い。

 いやでもこれは自分の気持ちだけではないような? とセレスは苦し紛れに手を伸ばしたティーカップの中身を口に含みつつチラリと視線を飛ばす。するとそこにあるのは、ニヤニヤとした最高に腹の立つ顔。セレスはできるだけ静かにカップを置いた。


「聖女サマえらくぶさいくな顔になってますよ」

「あなたがいるからですかね!」

「俺は聖女サマのその顔も大好きなんでご褒美でしかないですけど」


 うわあ、とセレスは盛大に顔を顰める。


「しばらくお会いしない間により一層性格ねじ曲がってません? 前までは少なくともそんな風じゃなかったのに。なんですか忙しすぎて歪んだんですか? それとも隠す必要なくなったから地が出てるんです?」

「聖女サマこそより一層辛辣になってますね? まあ、理由は分かりますけど」


 シークは気まずそうに頭を掻く。ん? とセレスは怪訝な顔でその様子を見つめる。彼のこんな表情は初めて見たかもしれない。いつもふてぶてしく、余裕に満ちた顔をしていたはずなのに。


「ちょっとですね……ようやく解禁されたもんだから浮かれてましたすみません。これまでの俺の言動からしたら、そりゃあからかい方を変えたのかって思っても当然です」

「え、違うんですか?」

「聖女サマの中で俺ってそんな下衆な認識だったんですか?」

「いえ、人のことからかって遊びたいからって、そんな口説いてるようなことを言う人じゃないと思ってたから、そんな風になってしまうくらいお仕事大変ですさんじゃったのかなって」

「ほんと無自覚凄いですね」


 なにが? と問うてもシークは答えない。大きな掌で口元を隠す様にして、セレスを正面から見据える。その視線の圧にセレスは思わず身動ぎしてしまう。すると今度は緩んだ笑みが飛んできた。


「えっ、なんですかその顔」

「貴女が好きです、セレス」

「……え!?」

「俺と結婚してください」

「えっ!?」

「という、貴女を口説く事が解禁になったので口説きに来ました」

「え……うえええええええええ」

「すげえ嫌そうな声になってますよ聖女サマ」

「だって……いやだってそんな声も出ますよ!」


 唐突にも程がある。喜びよりも先に困惑がセレスの中を駆け巡る。


「わたしをからかうにしたってそういうのは良くないですってば! わたしの話聞いてます!?」

「口説きに来たって言ってるじゃないですか。聖女サマこそ俺の話聞いてくださいよ」

「だってそんなこの焼き菓子どうぞ、みたいな感じで言われても」

「あ、そうだったこれホント美味いんでどうぞ? 聖女サマ好きでしょナッツ類の入ったの」

「大好きです! ってちがうそうじゃなくて」


 一瞬気が逸れてしまったのが悔しい。セレスは焼き菓子に向きそうになる意識を目の前の相手へと引き戻す。シークはセレスを真っ直ぐに見つめたまま、これまでと同じく若干腹の立つ笑顔をしている。だが、その向けてくる視線がこれまでとは違う。そこに込められた熱を感じ取り、セレスの心臓がドクリと跳ねた。



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