第16話




 騒動から一夜明け、セレスは医師から精神的な負担を受けていないかという点での診察を受け、それからの事情聴取となった。とはいえ、前日にシーク達から説明をされていた話を改めて聞かされたくらいだ。

 その後、王太子であるアントニオが姿を見せ、今回の件で深く詫びの言葉を掛けられたが、セレスは正直何を言われたかはっきりと覚えてはいない。だってそうだろう、自国の王太子、しかも繰り上がり、という事はつまりはなし崩しに聞かされた王家の闇を思い出し、それどころでは無かったのだ。

 それでもなんとか非礼にならない様気力を奮い立たせ、さらに遅れてやってきたヘルディナのおかげで体面を保つ事ができた。


「アンネ様とカイ様も、どうにかお会いする時間を取ろうとなさってはいたのですが……」


 流石に今回の主役二人は朝から忙しく、それに伴ってシークも自由に身動きが取れないとの事だった。

 シークが護衛の騎士だと言うのは昨夜の件で明白だ。しかし、ヘルディナや他の騎士、そしてアントニオの口ぶりからして、彼がただの騎士では無いのだろうとセレスは思った。少しばかり彼の本当の姿を知りたい気持ちはあるが、これもやはり昨夜自ら口にした通り「聞くなら本人に」となるのでセレスは何も口にせず、そのまま静かに王宮を去った。

 帰りの馬車の中で、今後しばらくは交代でセレスへの護衛が付く事、邪魔にならない様に隠れている事、セレスは何も気にせずにこれまでと同じ様に生活をして構わないという説明を受けた。


「今回の件もですが、前回の件とも合わせて、王家より聖女セレスに褒賞が与えられるそうです」

「……おこっ、と、わりした……いえ、あの、滅相もなくて! わたしなんてなにもしてませんし! そんな、褒美を貰うようなことなにひとつ! していませんから!!」


 清貧を尊ぶから褒賞など不要である。そんな殊勝な心掛けよりも、セレスの中にあるのはこれ以上王家、というか、それらを含む色々な物と関わりたくないという思いのみでそう口にする。しかしそんな必死の抵抗もむなしく、すでに決定事項であるのでセレスに拒否権は無かった。

 ガクリと項垂れつつ、そうして馬車に揺られる事しばし。セレスはようやく懐かしの我が家である教会へと帰り着いた。






 そんな大騒動から早いもので一ヶ月が過ぎた。セレスは翌日からはこれまで通り縁結びの儀式を再開した。周囲の人間はセレスが暴漢に襲われかけた、という風にヘルディナより説明を受けており、もう少し休んだ方が良いのではと声を掛けてくれたが、セレス自身がそれを断った。

 怪我は元より、精神的にも特に影響は無い。あるとすれば、あの場で語られた真相と、あれ以降完全に彼――シークとの繋がりが途絶えてしまったくらいだ。


「これが終われば俺との縁も切れますよ」


 そう言っていたのは彼だ。有言実行、見事な程に影も形もない。

 時折ヘルディナが差し入れを持って教会を訪ねてくれる。セレスを襲った人間の顛末については、世の中知らない方が良い事もある、とセレスは深く訊かなった。自分と、そして教会にいる人間の安全が保障されているのならそれで充分だ。


「シークヴェルト様は事後処理に追われていますので……もう少ししたら、セレス様にきちんとお話をしに来るかと」

「いえいえ、ヘルディナ様や他の護衛の方のおかげでこれまで通りの暮らしができています。ご心配していただくこともなければ、わたしから聞きたいことも特にありませんので、お気遣いなく、結構ですとお伝えください」


 我ながら可愛げが無い言葉だとセレスは思った。本当は逢いたいくせに、と。


 そう、今更ながらに自覚してしまったのだ、己の中にほんのりと芽吹いていた気持ちに。

 教会にいる面々は皆優しい。友人、と呼べる様な相手もありがたい事に何人かはいる。その仲でも一番の友人、と思った相手はかなり遠い地位に行ってしまったけれど、忙しいだろうにこまめに手紙を送ってくれる。セレスはその返事を書くのが日々の楽しみだ。

 捨て子という状態から始まったにしては、周囲の人間に恵まれている方だと思う。そんなセレスの生きてきた中で、この二年間は強烈な思い出となった。気さくに声を掛けてくれる人は沢山いたけれど、あんなにもセレスに好き勝手言ってくる相手は彼しかいない。

 初めの頃は腹も立てれば苛立ちもした。セレスのちょっとした反応をすぐにからかってくるのだから当然だ。それに対してセレスは言い返していたが、そのやり取りが段々と楽しくなったのはいつ頃からだろうか。


 なんだかんだで、あのやり取りでちょっとした不満とか解消されてたんだもんなぁ……


 教会には恩がある。可能な限り向こうが望む事は叶えたい。その為にはどうしたって多少の無理はしてしまう。教会を訪れる人も基本的には善人だが、嫌味や侮蔑の言葉を投げかけてくる者は少なからずいる。そういった、中々に発散し辛い感情を、彼との気兼ねないやり取りは発散させてくれていたのだ。

 とはいえ、いざ来られると散々からかわれるので「二度と来るな」と思った事は多々ある。が、しかし翌朝には「今日は何時頃来るのかな」と楽しみにしていたのだから、まあ、つまりはそうなのだろう。こうして完全に逢えなくなってしまった、と自分の中で落とし込んでしまった途端、ぽっかりと心に穴が空いた様に感じてしまうのだし。


「……いや……いやいやいや、そこまで……そこまでじゃない……はず」


 好きか嫌いかと尋ねられれば、好きだ、と答える程度の気持ちはある。しかし、だからと言ってこの気持ちが世間で言うところの、そういった感情なのかと訊かれると自分でも首を傾げてしまう。

 彼と逢うのは腹も立つけれど楽しかった。それが終わってしまったのは寂しいと思う。それはセレスの素直な気持ちだ。でも、それで終わりなのだ。ここから先、もっと悲しみに胸が押し潰されそうになるだとか、ヘルディナに掛け合ってもう一度逢いたいと懇願するだとか、そこまでの強い想いが沸いてはこない。


 逢えない、寂しい、残念だ――そんな風に自分の中で完結してしまう。


 つまりは、これは恋心、に育つ前のもっと淡い感情だったのだろう。


「人様の縁は結べるけど、自分の縁は結べなかったかー」


 しみじみとセレスは一人頷く。言葉にするとなんだか残念な感じはするが、むしろセレスは自分にもそういった感情があった事の方に驚きと喜びがある。

 縁結びの加護を授かり、良縁が結ばれたと喜ぶ人々を見る度に、自分にもそういった相手がいるのだろうかと思う事が時折ある。仲睦まじく寄り添い、幸せいっぱいの笑顔を浮かべる姿は素直に羨ましい。


「でもまあ、今後そういった縁が結ばれるかもしれないし。良縁はなにもそういうのだけじゃないし」


 最後の言葉は若干の強がりもあるが、それでもセレスは自分の気持ちをそう結論付けた。


「少なくともこの二年間のご縁はよかったんだもの! これからもっと良い縁を結ぶことができるよう、がんばればいいだけ!」


 こうしてセレスの淡い初恋、の、様なものは終わりを迎えた――はずであった。





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