第6話




 セレスはそれに巻き込まれたのだとか、その時に助けてくれた警邏隊の人間が、実は第二王子であり繰り上がりで現王太子となったアントニオの護衛の騎士であるだとか、そんな事あるわけがない! と頭を振りすぎてセレスは若干酔いそうだ。


「後日、きちんとシークヴェルト様が話をするかと思いますので」

「いやあ……これ以上詳しく知っても闇……いえ、その、世俗のことは関わらないのが教会ですので。はい、わたしは大丈夫です。アンネ様が幸せであればそれだけで充分ですので!」


 アントニオの隣に立つシークヴェルト、ことシークとは一度だけ目が合った。それも「合ったような気がする」だけなのでセレスの勘違いであるかもしれないが。ただ、それ以降は全く合わない。チラリと様子を見ようともしてこない。護衛の騎士なのだから、その対象から目を離すわけにはいかないといえばそれまでの話ではあるのだが。

 ふう、と知らず大きな溜め息が漏れる。なんだかとても疲れてしまった。そろそろ退席しても許されるのではないだろうか。

 アンネとは少しだけだが話をする事はできた。それだけでこの場に来た本来の目的は達成している。もう一つ、は「もしも」の話であったから無いなら無いで大丈夫というか、「無い」事が大前提の話だ。

 よし、とセレスは心の中で頷く。これ以上長居をしても疲れるだけだ、帰ろう、と。


「ヘルディナ様、わたしそろそろ」

「お帰りになりますか? アンネリーセ様がよろしければ部屋をご用意すると」

「いえいえいえいえとんでもないです! 帰ります!! アンネ様とたくさんはお話できませんでしたが、でもいつか時間を見つけて伺いますので! そうお伝えください!」


 決してアンネが嫌だとかそういった話では無い。ただでさえ分不相応な場にいるという気疲れに、さらにはドレスに宝石にとセレスの気力は毎秒単位で奪われている様な状態だ。そこにさらに公爵令嬢が用意してくれた部屋で一泊など、気が休まらないにも程がある。

 薄くて固い教会の安物ベッドがこんなにも恋しく思える日が来ようとは。セレスは今すぐにでも自分のベッドに飛び込んで眠りたい。


「それでは、帰りの用意をして参りますので少しだけお待ちください」


 セレスの切羽詰まった顔にヘルディナは優しく笑みを向けると、そう言い残して場を去る。セレスはもう一度大きく息を吐き出した。近くにあるソファにでも座ろうと壁伝いに歩けば、その背に声が掛かる。


「突然お声がけして申し訳ない。ですが、よろしければ少しお話しをしていただけないかと思いまして」


 見知らぬ青年がそうセレスに微笑みかける。スラリとした身長はセレスがよく見上げていた彼と同じくらいか。栗色の髪はきめ細やかで、後ろで一つに結ばれている。服や装飾品にセレスは詳しくないが、そんなセレスから見ても質が高いと分かる。あまり見慣れないデザインではあるので、どうやら来賓の一人だろう。薄紫色の瞳が蠱惑的にも見えるが、何よりもその浮かべる笑みがとてつもなく――胡散臭い。

 きた、とセレスは身構えてしまったが、相手はその緊張を「見知らぬ人間に声を掛けられたから」だと感じた様で、さらに笑みを深めてくる。


「その……今日こちらで初めて見かけてからずっと貴女に心を奪われてしまって……ああすみません、いきなりこんな事を言われても困りますよね」


 ほんのりと目元を赤く染めて笑う美形である。普通のご令嬢であればあっと言う間に落ちてしまう事だろう。残念ながらセレスは己を弁えているのでそうはならない。あげく余計な情報を事前に入れられてしまったせいで、彼こそが「そう」なのだろうと緊張感に包まれている。

 それでもこれこそある意味待っていた展開でもあるのだ。セレスは数回呼吸を繰り返し息を整えると、ようやく青年へ笑顔を向けた。


「こちらこそ失礼いたしました。そういう風にお声がけいただくのがはじめてなので」


 嘘では無い。ずっと教会の中にいる聖女なのだから当然だ。


「そうなのですか? 驚いたな、貴女の様な可愛らしい方が……それとも、可愛らしすぎて恐れ多くて声を掛けられないのかもしれませんね」

「わ……わあ、お上手ですね!」


 慣れなさすぎてこんな時にどう返していいのかセレスは分からない。緊張も相まってどうしたって引き攣った笑みになってしまうが、相手は気にしていないのか、それとも気にする必要がないからなのかさらりとセレスを外へと誘う。


「テラスか中庭にでも行きませんか? 貴女とじっくり話がしたい……」


 うわあ、という表情を表に出さなかった事を我ながら褒めたいとセレスは思いつつ、「よろこんで」となんとか答えた。 


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