第5話




 十日間という長くも無ければ短くも無い期間はあっと言う間に過ぎた。むしろセレスにしてみれば怒濤の日々であった。

 普段は温和で優しい司祭が朝から何やら様子がおかしくなり、それでもセレスに何か酷い言動が遭ったわけではないけれど、とにかくセレスの気は落ち着かない。そんな中、元から予定にあった相手の祈祷の時間以外はドレスの採寸やら何やらに時間を奪われた。


「本当なら一からお作りしたい所なんですが、さすがに時間が足りませんので今回は既存の物を聖女様のお身体に合わせ直しますね」


 ドレスの採寸に来たのは王都でも有名な店舗の人間だった。セレスも名前だけなら知っている。貴族だけでなく、王族のドレスも仕立てる程の人気の店。現王妃の結婚式でのドレスもこの店の物と言う話だ。

 そんな老舗のドレスなど一体幾らするのやら。既存の物を調整するだけだといっても到底セレスや教会に用意できる金額では無い。少しでも汚してしまったら、いや、それどころか破きでもしたら大変な事になると、セレスは試着の度に呼吸さえも止まる始末だった。

 そしてこれがドレスだけでなく、当日履く靴、身を飾る宝石でも同じ事が繰り返されるのだからセレスはその日が終わる度に死に態である。


 まあそのおかげで、シークのあの言葉を気にする余裕も無かったのだが。


 残り少ない日数ですがそれまではどうぞよろしく、と言っておきながらそれ以降シークが教会を訪れる事は無かった。そう、アンネが帰った後に改めて姿を見せ、より一層セレスを混乱させる話を聞かせた以降は。


「ご気分でも?」


 隣から涼やかな声が掛かる。セレスよりも少し高い位置にある深い緑の瞳には気遣わしげな色が宿っている。騎士服に身を包んではいるが、セレスよりも余程女性らしい体つきをしている彼女はヘルディナと名乗った。今日という、アンネの婚約披露の会場までセレスをエスコートする役だった。


「いえ、大丈夫です。こんな素敵なドレスを着たのが初めてなのでちょっと緊張しちゃって」

「よくお似合いですよセレス様」


 本来は背中まであるという金色の髪は今は結い上げられている。そうして凜とした美しさを持つ相手から、にこやかな笑みと共に褒められては動悸の一つも上がるというものだ。ヒエッ、と飛び出そうになった叫びを懸命に堪え、セレスは小さな声で「ありがとうございます」とどうにか返した。


「あの……ヘルディナ様こそよろしいんですか?」

「なにがでしょう?」

「ええと、わたしのエスコートが終わったらほかにご予定があるのでは……?」


 そう、エスコートのみという話で聞いていたというのに、会場に入ってからもずっとヘルディナはセレスの傍から離れずにいる。


「ああ、そうですね……ずっと隣にいても邪魔だとは思うのですが」

「そんなことありません! むしろいてくださって安心というか、心強いというか、ほんとうに今日一人じゃなくて良かったなって思ってます!!」


 これは嘘偽りなどないセレスの本心からの叫びだ。だってそうだろう。かなりの身分のある相手だろうと思ってはいたけれど、それにしたってまさかそこまでとは思いもしなかったアンネの正体。


 アンネリーセ・ファン・トラース公爵令嬢。それだけでもセレスは驚きであったというのに、アンネの相手――彼女に熱烈に求婚し、二年もの歳月をかけてようやく結ばれたその相手がより一層セレスを驚かせた、というかもう度肝を抜かれた。


 隣国であるイーデン。長きに渡り大国であるリフテンベルフと戦火を交えていたが、数年前に若き国王へと代替わりをした途端、ついに和平への道に辿り着いた。賢王として名を広めたイーデンの王、それを支え続けた王弟。カイ・ファント・デル・イーデン、その人がアンネの婚約者である。

 その事実をセレスは会場に来るまで知らなかった。そして目の前でそれらを知った時、あまりの驚きに一瞬ではあったが完全に気を失っていた。


「あの時支えてくださらなかったら床に倒れてましたね」

「お役に立てて光栄です」


 クスリ、と笑うヘルディナはしかしすぐに気遣わしげな視線をセレスへと向ける。


「本当になにもご存じなかったんですね……」

「ええと……はい……まあ……そうですね……」


 アンネの正体も知らなかったし、その相手が隣国の王弟である事も知らなかった。そして何より一番知らなかったのは「彼」の正体だ。


「てっきりその辺りの話もしているものだとばかり思っていましたので、本当に申し訳ございません」

「ヘルディナ様はなにも悪くないですから! 全部知っててなにも言ってなくてわたしがこうやって慌てふためくの面白がってる性悪が一番悪いんです!!」


 アンネ達と楽しげに話をしているのはこの国の王太子であり、アンネとカイを引き合わせた当人でもあるというアントニオだ。幼い頃から公爵令嬢であるアンネとは交流があり、姉の様に慕っているという。


「……たしか、アントニオ様には上にご兄弟がいらっしゃったとか……?」


 おそるおそるセレスは問いかけるが、優しくも圧のある美人の笑顔で返された。

 アンネは公爵令嬢で、アントニオの上には兄がいたはずで、アンネにはかつて婚約者がいて、そしてそのアンネをアントニオは姉の様に慕っていて、と考えていけばおのずと一つの答えが浮かぶが、それはあまりにも恐ろしい気がしてセレスはそこで考えるのを止めた。


 いやいやないない、あの時襲ってきた相手が実は本来の王太子だったのではないかとか、そんな事あるわけがない、とセレスは綺麗に結われた髪が乱れるのも構わずに頭を横に振る。王太子が婚約者を貶めたあげく、博打に手を出し最終的に人身売買を企てたなど、そんな王家の汚点にも程がある。


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