第2話




「それでシーク様は先程から腰を摩ってらっしゃるのね」


 楽しげな笑い声が室内に満ちる。腹の立つ青年の笑い声とは違い、こちらは聞く者の気持ちを柔らかくしてくれるようだ。

 緩く波打つ金色の髪は、窓から差し込む光を受けてさらにキラキラと輝いている。腰までの長さがあるというのに、一向に重さを感じさせない。

 教会のとある一室。ゆったりとしたティータイムは、彼女がこの教会に訪れる様になった二年前から続いている。


 権威におもねる事なく、万民に等しく神の加護を、というのが教会の主義だ。それがどの程度守られているのかは、聖女とはいえ末端のセレスには分からないけれど、とりあえずその主義に従い教会に所属する人間は相談に来る相手の素性を知る事は無い。なので、セレスは彼女の名がアンネというのを知るのみだ。しかし、立ち居振る舞いや醸し出す雰囲気からかなり名のある家の令嬢だというのは容易に想像できる。


 優しい菫色の瞳、それを縁取る睫すら美しい。透き通る様な白い肌に、整った鼻筋と口元。荘厳さと慈愛を兼ね備えたその美貌に、むしろ彼女のこそが「聖女」の様だ。実際そう言われたとしたら、誰もが信じてしまうだろう。


「セレス様?」


 無言でうんうんと頷くセレスにアンネが不思議そうに声を掛ける。


「どうせいつものヤツですよ」


 先程セレスに倒された青年、ことシークは腰に手を当てたまま呆れた様な声を上げる。いつもの? と不思議そうにわずかに首を傾げるアンネは可愛らしくもあり、美しさだけでなく可愛いまであるなんて……! とさらにセレスは感動で打ち震えるしかない。


「アンネ様の美貌にメロメロになってるんでしょ聖女サマ。あとついでに自分より余程聖女っぽいよなとかなんかそのヘンの事思ってんですよこの人」

「人の思考読まないでもらえます? あとメロメロって言い方が古くさいです」

「聖女様ちゃんと俺の教えた通りの護身術身に着けてて偉いですね」

「わたしの話聞きましょうよ!」

「聖女様に護身術を?」


 アンネの問いには「貴方がいるのに?」という意味が含まれている。それに気付いたセレスは大きく頷いた。


「悲しいかな、良き出会いを迎える人がいる一方で、悲しき別れを迎える方もいらっしゃいますからね。そうした人が教会に飛び込んで来た時の」

「そういう時のためにシーク様がいらっしゃるのでは?」

「別にこの人、わたしの専属護衛というわけではないですし」

「俺はそれでも構わないんですけどね」

「四六時中いられるとか目障りこの上ないので結構です!」

「聖女サマわりと俺に対するアタリがきつくないですか?」

「あなたがそれを言いますか!?」

「セレス様本当に大丈夫ですか? やはり正式に護衛の配属を願い出た方がよろしいのではありませんか?」


 アンネがやたらと心配するのも当然である。なにしろ彼女が初めてこの教会を訪れ、縁切り、もとい、良縁をセレスに祈ってもらった時に問題が起きたのだ。


 かつてアンネには婚約者がいた。これがまたとんだ屑と呼べる程の相手であり、アンネという相手がいながら浮気を繰り返し、それどころか浮気相手の一人と結託してアンネのよからぬ噂を社交界に広め回っていた。

 貴族にとって醜聞など格好の餌食にしかならない。憔悴しきったアンネは屋敷に引き籠もる様になり、やがて寝込むまでになった。そんな娘を心配した母親が気晴らしにと、無理矢理連れ出した教会のバザー会場。そこでアンネはセレスと初めて出会ったのだ。

 孤児として教会で育った異色の聖女として、すでにその名前だけは広まっていたセレスであるが、明るく元気なセレスの姿にアンネは心を奪われた。セレスもまた、貴族のご令嬢でありながら孤児相手に心優しく接するアンネに惹かれ、二人はすぐに身分を越えた友情を育む様になった。


 セレスがアンネの窮状を知ったのはその後である。だからセレスはアンネの為に祈った。


 どうかこの心優しき、美しい人に纏わり付く悪縁が切れ、良縁と結ばれますように――と。 そしてその祈りは聞き入れられた。驚く程の速度で。


 アンネの婚約者が繰り返していた悪行が全て露見したのだ。浮気どころの騒ぎでは無い。賭博により借金が嵩み、それにより家の財産を使い込み、少しでも金銭を得ようと、事もあろうに見目の良い孤児や貧しい家庭の子どもを誘拐して売買しようとしていた。

 人身売買については、寸前で情報を得た警邏隊により阻止されたので犠牲になる子どもは出なかった。しかし主犯格であったアンネの婚約者は逃亡し、最終的にセレスの前に姿を見せたのだ。


「――おまえ……おまえが! 余計なことをしたから!!」


 慣れぬ逃亡生活で男の見た目はボロボロだった。衣服だけではない、疲労により血色の悪くなった肌に、痩せこけた頬。そして、ギョロリと血走った、すでに正気を失った瞳でセレスを睨み付ける。前屈みでセレスに近付く男は、腹の前でナイフをしっかりと両手で握り締めており、恐怖と混乱で立ち尽くすセレスを刺殺する気に満ちていた。


 そんなセレスの絶体絶命の場面に、突如として現れたのがシークである。


 教会の裏口から入ってきたという彼は、あっと言う間にセレスの前に立つと男の腕を捻り挙げた。そのまま地面に倒して動きを制すと、他の仲間が来るまでの間セレスに世間話を振ってきた。


「正直なところ、この人大丈夫かなって思いましたけど」


 一歩間違えばナイフで刺されていたかもしれない。なのに、そんなセレスに向かい「最近急に寒くなりましたよね」だとか、「でもおかげで魚が美味い」とか、「魚の鍋料理とか食べた事あります? あ、肉食だめなんですかね? でも魚なら大丈夫ですか?」などという、本当にどうという事はない話をずっと振ってきたのだ。


「聖女サマの緊張と恐怖を少しでも取り除いてやろうというお気遣いじゃないですかー」

「しかも犯人の背中を膝で押さえ付けて、腕はねじ切るんじゃないかなって思うくらい力入れてて、呻き声あがってるのに全然気にしてなくてですよ! あなたに対しての恐怖しかありませんでしたけど!?」


 取り押さえられた男は、駆けつけてきた他の警邏隊によって連行された。被害者であるセレスにはひとまず休息を与えられ、翌日改めて事情聴取を受ける事となった。その時にシークも傍におり、それ以降何故か毎日教会で顔を合わせるようになってしまったのだ。


「あの屑野郎の悪さがバレたのって、聖女サマが縁切りを祈った翌日だったんですよね。それまで疑惑はあっても尻尾を一切掴ませなかったってのに、まあ出るわ出るわ。ボロボロ出てきて、それで一斉逮捕に踏み切ったんですよ」


 まさに奇跡としか言い様のない出来事だったのだと、シークはうんうんと何度も頷いているがセレスとしては苦虫を潰した様な顔になってしまう。

 そのせいで襲われたから、というのも勿論だが、それ以上にセレスにとっては不名誉すぎる噂が広まる切欠となったからだ。


 縁切り聖女――そう呼ばれる様になった全ての元凶である。


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