何者でもない私は何故生きているのか。

夕日ゆうや

変わってほしいから

 僕は何者なのだろう。なんで生きているのだろう。

 苦しい思いをして、痛いの我慢して。

 そこまで生きる意味はどこにあるのだろう。

 なんで僕は苦しんでいるのだろう。

 苦しむために生まれてきたのだろうか。

 それだったら悲しすぎる。

 悲しみを悲しいと感じる、その心はどうやって育まれてきたのだろう。

 泣いた夜もある。

 笑ったときもある。

 でも、僕は辛いことばかり抱えていた。

 それは僕に何をもたらしたのだろう。

 僕は他人とは違う。

 僕が苦しい思いをしているとき、他の人は楽しく笑っているのだ。

 そんなのって理不尽じゃないか。

 なんで僕だけがこんなにも苦しまなくちゃいけない。

 ――みんな苦しめ――。

 そう言うのは簡単だけど、憎しみは憎しみを生むだけ。

 戦争も、テロも。

 日頃の事件だって、憎しみが生み出した化け物だ。

 じゃあ、僕もその化け物になるのか?

 違うよね。

 何を求めていた。

 何を信じていた。

 そう。僕は平和で穏やかな日々を望んでいた。

 だから分かる。感じる。

 僕だけが苦しめばいい。他の人が苦しむ理由なんてどこにもない。

 そうして苦しむのは僕がまだ未熟だから。

 何者でもないから。

 でもこんな僕を必要としてくれた人がいる。好きでいてくれた人がいる。

 何故?

 分からない。

 でも僕にはまだ価値があるらしい。

 自分とはなんだろう?

 そう考えても答えなんて出てこない。

 自分の対義語は他人。

 他人の反対語は自分。

 自分を知るには他人を知らなくちゃいけない。

 それは正義の反対が悪であるように。

 それは優しさの反対が厳しいであるように。

 他人を知るところから始める。

 その他人と話し合う内、見えてくる〝心〟がある。

 自分しか知らない気持ちがある。

 つなぎ合えた手のひら、つなぎ合えなかった手のひら。つなげていたと思って、実はつなげていなかった手のひら。

 それらの他人からもたらされる思いが、気持ちが、僕を作っていく。

 他人を知ることで、自分という人間が浮かび上がってくる。

 他人がいることで僕という人間ができあがっていく。

 他人がいなかれば、僕は会話もできない。

 会話ができないのなら、自分の気持ちをぶつける先もない。

 親という他人が、兄弟という他人が、友達という他人がいなければ、僕は言葉の持ちようもない――ただ生きているだけのしかばね

 だから僕は生きている。

 大切な人のために。自分を好きになってくれた人のために。

 彼らは、僕が苦しんでいるのに気がついているのか、分からない。

 でもこの苦しみも、いつかは報われる。

 だって、僕と同じ苦しみを知っている人がいる。その言葉を叫べば、世界は変えられる。変わっていける。

 そうでなければ、僕が生まれてきた意味がない。

 いや、それは言い過ぎだろう。

 だって苦しみを知った人は、もう二度と繰り返してはいけないと知るのだから。

 繰り替えさない。

 自分が生きていた意味を世界に問い続ける。

 僕は何故生まれたの? と、問い続ける。

 その答えを聞いたとき、僕は本当の意味で報われる。世界に示すことができる。

 すべては自分のせい――。

 家族を守れなかったのも、安楽死を防ぐことも。

 すべては自分で選んだ道だ。

 それを他人のせいにしてはいけない。

 自分がしっかりしていれば、何か変わったのかもしれない。

 〝死〟を見た。

 でもそれはもう何も会話のできないこと。

 会話することで、世界は変わっていくというのなら、僕は生きて変えていく。

 自害という考えもあった。それで世界が変わるのなら、それも良いと思った。

 でも違った。

 自分は嫌なこと、苦しいこと、悲しいことを、常に世界に示し続ける。

 そうして僕の気持ちが届いて欲しい。

 二度と同じ過ちを繰り返さないで欲しい。

 それはきっと未来の子どもたちも理解してくれるはず。

 それが善意なら――。

 偽善者という人もいるし、責任放棄だと思う人もいるかもしれない。

 でも偽善であっても、善意であることに変わりない。

 責任放棄かもしれないが、訴えなければ何も変わらないから。

 未来の子どもたちにも知って欲しいから。

 何もなかった。

 僕には何もなかった。

 だから分かる。

 友が、家族が、ペットが。

 生きているのがどんなに幸せなことか。

 僕たちは幸せの中で生きている。

 この満ち足りた日々はそのままでいい。

 でも自分の苦しみは世界を変える。僕はこうして発信している。

 これが世界を変えるきっかけになればいい。

 世界の最小単位は個人だ。

 だから個人を少しずつ変える。

 個人が変われば、世界は変わる。

 苦しい思いも、悲しい思いも。

 みんな変えていける。

 未来につながっている。

 みんなが気持ち良く生きていけるように、変えていく。

 そのための国だ。

 そのための法律だ。

 僕らは変えていかなければならない。

 嗚咽を漏らし、哀愁を漂わせて。

 そんな人が少しでも減るように。

 みなが幸せに生きられるよう、科学も医学も進歩してきた。

 昔は治せなかった病気も、手術も。

 今では可能になった。

 地球上に数十億という人間が生きていて、地球の裏側と会話ができる。

 そんな世の中になった。

 まだまだ苦しんでいる人はいる。

 でも着実に少しずつ世界は良くなっている。

 それはもう誰も傷つかない、苦しまない世界にするために。

 だから今日も働く。今日も生きる。

 みんなを幸せにするために。

 そんな夢物語は、世界を変える。

 だって、昔の人もそう願って生きていたのだから。

 戦争も、災害も、病気も。

 ペストや第二次世界大戦も、東日本大震災も。

 全てを乗り越えてきたのは人の力。

 人は、人類はもう少し買いかぶってもいいのかもしれない。

 生きるために必要なこと。

 それは心だ。

「死んだ方がマシ」という言葉がある。

 それも道理だ。

 自分たちは死を恐れているわけじゃない。

 人としての尊厳が失われることを恐れている。

 だから、人の〝心〟が重要なのだ。

 人として生きていれば、人としての価値がもらえるのだ。

 人一人分の価値しかない。

 それは数十億のたかが一個。されど、たった一個なのだ。

 人種も国も言葉も価値観も。なにもかも違う世界で。

 たった一個の人になれば、その価値が生まれる。

 だから僕は生きる。

 その価値があると信じて。

 価値があるのなら、世界を変えられると信じて。

 苦しんでいる人には祝福を。

 幸せに生きている人には世界を知ってもらう。

 そうして僕は想う。

 ――生きている人全てに幸あれ――。

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何者でもない私は何故生きているのか。 夕日ゆうや @PT03wing

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