第五十七話 絵札の巫女

 儀式の当日、火竜ラディムを召喚した山の上で、私たちは王都を見下ろしていた。竜姿での飛翔なら王都までの距離は一瞬。日蝕の時間は最大でも七分。おそらくは三分前後という私の元の世界の知識は、この世界でも通用するとラディムによって肯定されている。


「派手過ぎない?」

「ミチカは可愛いから、心配するな」

 緊張の中、凛々しい怜慧に真顔で言われると、頬が緩みそうになって困る。


 白の着物に、裾が長い緋袴。薄絹の千早に似た上着。腰には裳に似た装飾ベルト。袴の裾が長すぎて普通に歩く事ができなかった私は、怜慧に抱えられている。

 怜慧は白に白銀の糸が織り込まれた直衣姿。あちこちに薄紫の刺繍や紐、銀板の装飾が煌めく。どちらも通常は婚礼や儀式用に使う装束で、将星の実家がたった一日で用意した。鳳凰はいつもの小さな姿で私の左肩にちょこんと乗っている。


『さあ、どうぞ』

 四人でいろいろと試してみて、頭からしっぽの先まで約四十メートルの大きさが良さそうだという結果が出た。近くで見る竜の迫力はすさまじくて、硬そうな鱗で覆われた体表はまるで赤い溶岩。


「失礼する」

 私を抱き上げたまま跳んだ怜慧は、竜姿のラディムの背に光の魔法陣を描いて立つ。その後ろに将星も別の魔法陣を描いて立った。


『それでは、飛び立ちますよ』

 火竜が巨大な翼を広げて羽ばたくと、その巨体が軽々と空に浮いた。急角度での上昇でも怜慧の姿勢は揺るがず、私は安心して身を任せていられる。


『派手に決めましょう!』

 楽しそうなラディムの声と同時に、竜の全身が赤い炎に包まれる。この炎は魔法による幻影で、火の粉が舞っても木で出来た屋敷が多い王都が火事になる心配はないらしい。


 三分も掛からず、火竜は王都上空へとたどり着いた。王都の中央を貫く大通りは大勢の人が詰めかけていて、全員が空を見上げている。恐怖の声よりも歓声が上がるのは、竜の出現も日蝕の儀式の一環と思われているのかも。小さく手を振ると、さらに歓声が広がっていく。


「僕は先に王宮へ行ってるねー」

 その声だけを残して、将星は転移魔法で消えた。火竜は王都を一周し、王宮を正面にして翼を広げ、空中静止。王宮内の広場に描かれた巨大な魔法陣の周囲を取り囲むように観覧席が作られていて、カラフルな直衣姿の貴族たちが私たちの方を見て驚いている。魔法陣の中央にミルクティ色の長い髪で、私と同じ白と緋色の装束を着た女性が一人で立っているのが見えた。


「待って! 魔法陣に人が!」

『大丈夫です! 反動に備えて下さい!』

「承知!」

 火竜は、体を反らして大きく息を吸い込み、銀色の光線を吐き出した。光は魔法陣だけを焼き、女性は身じろぎもせずに立ち尽くしている。

 

「もしかして、予言者を私の身替わりにしようとしたの?」

「そのようだな」

 二度目に見た予言者は、まるで美しい人形。火竜の姿に驚く事もなく、まっすぐに見ている。


 女神降ろしの為に描かれた巨大な魔法陣は黒焦げになり、さらには怜慧が投げた護符で完全に無効化された。贄の条件が揃っている私が王宮へ近づくために最優先されたのは、魔法陣の除去。


 王宮へ近づくと、外で歓声を上げる国民とは違って、豪華な装束を着た貴族たちは地面にひれ伏していた。兵士たちの多くは槍を掲げて攻撃姿勢でいても、その顔色は悪い。


 王までもが恐怖で玉座から降りてひれ伏す中、将星の式神で連絡していた第一王子だけが直立して火竜と対峙する。


「創世の女神の再生を祝う儀式と知っての狼藉か! 何事だ!」

「この儀式は現王と第二王子による女神への叛逆はんぎゃくだ!」


「叛逆の証拠はあるのか!」

「描かれていた魔法陣を見れば、魔術師なら誰でもわかる! 日蝕で力が弱まった女神を人の身へ降ろす術だ!」


「恐れながら、その通りでございます!」

 貴族たちがざわめく中、青ざめた老年の男性が声を上げた。美しい漆黒の直衣は、周囲の貴族が着る黒よりも濃く、偉い人に見える。


「多数の国民の命を贄とし、女神の力を手にする為、国王陛下と第二王子が計画されたものでございます!」

「黙れ、左大臣! 誰か、その者を捕らえよ!」

 玉座にしがみつく王の叫びは空しく響き、貴族は誰も動かなかった。兵たちを統括する兵部省ひょうぶしょうが国王よりも第一王子を支持している状況で、国王の愚行に手を貸すことはなかった。 


 計画では将星と東我が現れて魔術師としての意見を述べる予定だった。左大臣が証言したおかげで、信ぴょう性が増した。魔術師に相談した国の重鎮とは、この人かもしれないとふと思う。


「これより、絵札の巫女による神託を行う! 異議はあるか?」

 巨大な竜の背に立つ怜慧に、異議を唱える者は一人もいなかった。いろいろズルいと思っても、これが誰の命も失わない方法と言われれば、仕方ないと思う。


「降りるぞ」

 確認に頷くと私を横抱きにしたまま、怜慧は竜の背中から黒焦げの魔法陣へと跳ぶ。私たちの周囲を派手派手しく舞い散る炎の花びらは、ラディムの術だろう。予定に無かった演出は、緊張を高めていく。


 予言者は黒焦げの魔法陣の中央で佇んでいた。ミルクティ色の長い髪に薄茶色の瞳。私と似たような白と緋色の装束を着用している。


「女神降ろしの魔法陣は無効化している。その場所から動かないのか?」

「……はいと申し上げましたら、どうされますか?」

 怜慧の問いに、予言者は淡く微笑みながら静かに答えた。諦めとも違う何か得体の知れない笑み。あのカードリーディングと同じ声でも、何故か寂しそうに聞こえる。


「何も。……降ろすぞ?」

「ええ」

 真っ黒に焼けた地面に立ったら装束が汚れそう。そんな瞬間の心配は、怜慧の魔法陣で解消された。魔法陣は地面から約五センチ浮いている。


「真ん中でなくていいの?」

「構わない。ミチカが中心になればいい」

 私は予言者と向き合うように立ち、怜慧は鳳凰を肩に乗せて後ろへ下がる。予言者との距離は五メートルもなくて、その表情がはっきりと判別できる。何か企んでいるのかと心配しながら、私は自分の役割へと思考を移す。


 白い太陽が陰り始めた。徐々に薄暗くなっていく中、私はタロットカードを空に掲げる。

「これより、神託を行います」

 カードは金色の光を帯びて、一枚ずつ空へと舞いあがる。二十二枚のカードは輝きながら、私の周囲を回る。貴族や兵たちが静まり返る中、大勢の人の視線が痛くて足が震えそうになる。


 完全な日蝕は、周囲を漆黒の闇へと導いた。輝くのはタロットカードと、照らされた私だけ。『魔術師』が協力してくれていても、神の言葉を騙るのは気が引ける。それでも、内乱になれば大勢の死者が出るよりはマシ。


 一枚のカードが私の手元へと戻ってきた。息を吸い、予定していたセリフを言おうとした時、空から一筋の光が私を目掛けて差した。白い光は温かく、女神の力と同じと感じた。女神が認めてくれている。そんな気がして、背筋が伸びる。


「絵札の神託は『審判』です。国王の譲位を求めます。後継は第一王子を!」

 私が言い終わると、ちょうど日蝕が明け始めた。太陽の光が取り戻される中、黒焦げの魔法陣が一面の草原となり、ヒナギクに似た白く可憐な花が咲く。


 太陽が光を取り戻した時、王宮の広場は完全に白い花に覆われた。全く予定外の光景の前で固まる私の手元にカードたちが戻ってきた。


「絵札の巫女の神託に、異議はあるか!?」

 第一王子の言葉に声を上げる者は誰もいなかった。王は玉座にしがみついていて、第二王子は姿が消えていた。観覧席の周囲を守っていた兵たちが一斉に第一王子の前に膝を付き、貴族たちも姿勢を正して第一王子へと頭を下げる。


「俺たちの役目はここまでだ。行こう」

「そうね。あ、なるべくお花を……」

 踏まないで。振り向きながら言い掛けて、怜慧が宙に浮いた魔法陣に乗っていることに気が付いた。手を差し伸べると、ふわりと引き上げられて、そのまま横抱きに抱えられる。


「跳ぶぞ」

 空で待つ火竜までの跳躍は、赤い炎と桃の花びらが舞い散る中で。怜慧の肩越しに地上を見ると、白い花畑の中央で予言者が一人ぽつんと立っていた。


 火竜は翼を広げ、王宮を出て王都を旋回する。人々の歓声は楽し気で、ほっと胸をなでおろす。

「皆、無事でよかったー」

「そうだな。ミチカのおかげだ」

「違いまーっす。女神様や神様のおかげよ」

 そして、神々を信じる人々の力が、この国を護っていると思う。


「予言者の人、ずっと独りだったね」

 第二王子も悪い神様も、誰もあの人を助けに来なかった。諦めていた訳でもなく、何かを待っていた。そんな気がするのに。

「待っているだけのヤツに奇跡は起きないってことだろ」


「怜慧も何か待ってるって思ったの?」

「思った。自分は動かず、誰かが動いてくれるのを期待してる顔だった。第二王子と雰囲気が似てる」

「似た者同士ってことなのね」


 王都を旋回していた火竜は方向を変えて飛ぶ。この国を上空から見てみたいという私の願いをラディムは喜んで聞いてくれた。飛行中の強い風は怜慧の魔法によって緩められていて心地良い。装束の飾りがまるで音楽のように聞こえるし、太陽の光が二人を輝かせる。


「あ! 怜慧、私の告白の返事が欲しいんだけど!」

 昨日一日、準備でバタバタとしていたから怜慧の気持ちを聞く時間が無かったことを思い出した。

「告白の返事? …………今更、言わなくても良くないか?」

 少々の空白の後、目を泳がせた怜慧の頬が次第に赤くなっていく。


「良くない! 言葉で欲しいの!」

 私だけが気持ちをはっきりと知られているなんて不平等。

「……二人だけになった時に言う」

 口を引き結んだ怜慧の視線の先には、私の肩に止まる鳳凰。そうか、この状況ではきっとラディムにも筒抜けになる。


「約束だからね!」

「ああ。約束だ」


 風の匂いが変わり、海が見えてきた。海はこの世界でも青く、どこまでも続いている。

 空には赤い月と緑の月。そして白い太陽。

 この世界が何であろうとも、私は怜慧と一緒に生きていく。

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