第五十五話 龍の召喚

 最後の宿は山の中腹に建っていた。古い寺院のような趣きのある和風建築は三階建て。これまでと違って、お客が少なくて静か。案内される途中ですれ違うお客は白い着物姿で、まるで私たちが存在していないかのように、目を合わすことなく歩いていく。


 三階の一番良い部屋に通されて、人がいなくなってから私は肩の力を抜いた。

「はー。緊張したー。この宿って、何か特別な場所なの?」

「ここの温泉は万病に効くと言われてるんだー。ほとんどが湯治客だよ。僕たちの存在を無視するのは、自分の病をうつさないようにってことだから、気にしないでねー」

 将星が笑いながら答えた内容にびっくりした。


「えっ、無視しないと病気がうつるんですか?」

 この世界の病気は、そんな程度でうつってしまうのか。飛沫感染か空気感染とは違うレベル過ぎて怖い。


「神様や怪異が原因の病は、うつる可能性があるよ。要するに祟られてるってことー。ここに来てるってことは、王都の魔術師や神官に断られたってことだから、かなりヤバい。本人か近親者が何かやらかしたかなー」

「それって……」

「何? 病気を浄化してみる?」

「いえ。それは違うかなって思います」

 本人か近親者が原因で祟られたのなら、私が浄化するのは違う気がする。私は聖女でもないし、関わらないのが一番。


「宿の人たちはうつらないんですか?」

 お世話をするなら言葉を交わすこともあるだろう。完全無視を決め込むのはきっと大変。

「大丈夫じゃないかなー。全員が強力な護符を持ってるし、この宿は神様の啓示を受けた一族が営んでるから護られてると思うよー。働いている人は全員、親族じゃないかなー。顔とか雰囲気が似てたでしょ?」

 そう言われてみると、髪や目の色は違っていても男性も女性もなんとなく似ている気がした。


「普通の旅人は近寄らないから、静かで良い場所だよねー。あ、僕は夕食前にお風呂入ってくるねー。ごゆっくりー」

 私が止める間もなく、将星は入浴準備をして部屋を出て行ってしまった。


 三十畳はある広い部屋でも、唐突に怜慧と二人きり。大きな窓から夕焼けに赤く染まる空を見ていると、怜慧が近づいてきた。

「どうした?」

「怜慧、何か隠してない?」

 私に何か言いかけては、口を閉ざしてしまう。そんなことを繰り返すのだから、気になるに決まっている。


「何も。……いや……その…………変に期待を持たせてすまない。……今更言っても仕方ないが、もしも召喚できなかったらと気が重いだけだ。第一王子がいつも胃薬を飲んでいる気持ちがわかりかけてきた」

「え? ちょ。胃が痛いの? プレッシャー掛けてごめんなさい」


「精神的圧力? なんとなく気持ちがわかるだけで、実際胃が痛くはないから心配するな。俺は第一王子程、全方面に気を使ってはいないからな」

 苦笑する怜慧は、私の髪を一房指に絡めた。髪はさらりと解けて、指から離れる。頭を撫でられたことはあっても髪をこんな風に触れられたことはなくて、胸の鼓動が跳ね上がった。


「龍の召喚ができなかったら……どうする?」

「どうするって、仕方ないでしょ。この世界で暮らすこと考える」

 期待していた甘い言葉はなくて、今度は私が苦笑する。即答した私を見て、怜慧は驚きで目を瞬かせた。


「それ程簡単に決めていいのか?」

「簡単じゃあーりーまーせーんっ。……何て言ったらいいのかな……召喚された時に凄い泣いて考えて、元の世界に戻るのを諦めてたの。一回覚悟は決めてるから、そこに戻るだけよ」

 泣いて暴れて、召喚の元凶じゃない人たちに迷惑を掛けて。完全に諦めた所から希望が見えて、はしゃぎすぎていた。たとえ失敗しても、怜慧が隣にいてくれたら。


「そうか。龍が召喚できなかったら、俺が屋敷を建てるから住む場所は心配するな」

「屋敷? 東我さんの屋敷あるでしょ?」

「占い師になるなら、部屋が必要だろ?」

 旅を始めた頃の会話を思い出して、頬が緩む。異世界の王子様の経済感覚は庶民の私とは違いすぎて笑ってしまう。


「もしかして、私だけがその屋敷に住むの?」

「いや。俺も一緒に……」

 さらりと告げられた一言で二人の時間が止まった。一緒に住む。それはどういう意味なのか。一気に頬が熱くなる私の目の前で、怜慧の頬が赤くなっていく。


「あ、そ、その、た、た、他意はなくて、だな。そ、その…………ミチカが嫌でなければ」

「え、えーっと……あ、あのね……怜慧と一緒に……いられるなら……嬉しいかも……」


 こんな時、どうしたらいいのかさっぱりわからない。二人並んで、そわそわを繰り返し、顔を見て何度も口を開こうとしては閉ざす。それは夕日が沈んで、将星が戻ってくるまで続いた。


      ◆


 最後の一日は、宿を取り囲む森を散歩したり、名物の食事を堪能したりと、ゆったりとした観光旅行気分で過ごした。将星は気を使ってくれているのか、鳳凰を預かってくれて、ほぼ二人きり。


 怜慧から甘い言葉は聞けなくて、私も好きとは言えなくて。それでも、一緒にいられるだけで嬉しい一日は、あっという間に過ぎ去った。


      ◆


 翌朝、まだ夜も明けない時間に私たちは宿を出発した。怜慧が目指したのは山の頂上。宿からはさほど遠くはなくて、目的地に到着しても空はまだ暗く、山の稜線が白くなり始めている。


 山の上は開けていて、遥か遠くに王都が広がる。

「これから、龍を召喚する。本来は王族のみに許された儀式だ。念の為、結界を張る」

「あ、僕は自分で結界張るよー。普通の防護結界でいいのかな?」


「ああ。それでいい。……万が一、失敗した時には逃げてくれ」

 怜慧は昨日から、何度も将星に失敗した時の対処法を頼んでいた。その内容には私を連れて逃げるということもあったから、実は危険な魔法なのかと不安がよぎる。


 怜慧は鳳凰を呼んで左肩に乗せ、護符を使って私を包むように紫色の防護結界を張り巡らせた。


「始めるぞ」

 ゆったりとした歌のような不思議な言葉が紡がれる中、昇り始めた太陽の光を正面から受けて怜慧の輪郭が輝いて見える。その背中は神々しくて、凛々しい。


 白い太陽の光の中、怜慧から紫色の光が立ち昇る。紫の光は怜慧の頭上、二十メートルの高さで球体状の魔法陣を描いた。毎朝、集束される魔力は大きくなっていて、直径十メートルは軽く超えている。


 紫の球体魔法陣は徐々に圧縮されて小さくなって、ビー玉の大きさに変化。いつもなら、ここで怜慧の手に降りてくるのに、派手な音を立てて割れた。破片は光となり、文字になって、怜慧が立つ地面へ複雑な魔法陣を描いていく。


「……あの魔法陣は?」

 将星が訝し気に呟いた。王宮にあるすべての文書を読んでいると将星は言っていた。封印された書物も。それでも龍の召喚方法を知らなかったのは、その手順が王家の口伝だったから。


 描かれていく魔法陣を凝視していた将星が突然叫んだ。

「怜慧! 誰をにえにするつもりだ! それは人の魂を犠牲にする魔法陣だろ!」

「犠牲っ?」


「あれは王家が禁忌中の禁忌として封印した召喚魔法だ! 王族の命を使う!」

 将星の言葉を理解するまで数秒掛かった。王族の命。それは怜慧の命ではないのか。


「怜慧、やめて! 私、帰れなくていい!」

 将星を包んでいた防護結界は消え去って、その代わりに赤い死神の鎌が将星の手に現れた。将星が怜慧を取り囲む結界に鎌を振り下ろすと、嫌な音を立てて刃が弾かれる。どうやら将星は結界を壊そうとしている。


「怜慧! 僕は、君が生きて欲しいから助けてきた! 僕を裏切るな!」

 巨大な死神の鎌を持つ将星の手は血だらけで、刃がこぼれても結界を斬り続けていた。こぼれた刃は赤い光で再生し、また鈍い音を立てて斬りつける。


「しょ、将星さん……」

「僕に力が無いのが悔しいよ。精霊たちに魔力をもらっても、大して削れやしない。何だよ、この力! 魔力でも神力でも、穢れた神力でもない!」

 将星の叫びは泣いているようにも聞こえて胸が痛い。いつの間にか怜慧を包む結界は紫ではなくて、七色を含む銀色に輝いていた。


「お願い! 私の神力を将星さんに!」

 少しでも力になればと胸元からタロットカードを取り出すと、白い光が将星に向かって放たれた。白い光は私を包む紫の防護結界に吸収されて、将星には届かなかった。


「怜慧、どうして? 将星さん、ぼろぼろだよ? もうやめて……」

 その刃が結界を壊せないとわかっていても、将星は何度も鎌を降り下ろす。


「怜慧! やめて! 私は帰れなくていいから!」

 私が叫ぶと、ゆっくりと怜慧が振り返った。


「ミチカ、将星、すまない。……俺が生まれてきたのは間違いだったんだ。だから……」

「だから、何っ!? 怜慧が生まれたのが間違いなら、私のこの想いも間違いなのっ!?」

 穏やかで優しい笑顔の怜慧にブチ切れた。それは生きることを諦めた笑顔だったから。


「私は怜慧が好きなの! 好きな人の命を犠牲にして元の世界に帰っても、幸せになれるわけないじゃない! 私を不幸にしないで!」

「ミチカ……」

 目の前の光の壁を叩きながら、私は叫ぶ。防護結界の壁は柔らかくて、手は痛くならなくても心が痛い。怜慧を犠牲にした幸せなんて欲しくなかった。


 七色に輝く銀色の光が空を貫き、遥か彼方から赤い炎に包まれた何かが高速で飛翔してくるのが見えた。


「あれが……龍……?」

「違う! あれは龍じゃない! ドラゴンよ!」

 手を止めた将星の呟きに、私は反射的に答えた。青龍とも違う体と翼。飛行機を連想させる姿は、ゲームやアニメで見るドラゴンに似ている。ドラゴンはあっという間に私たちのいる場所まで到着した。


 青空を背に静止した巨大な赤いドラゴンは翼を広げ、炎を纏いながら咆哮を上げた。 

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