第五十四話 国護りの結界

 宮の外へと出ると、周囲は桃の花が満開で幻想的。空は青く澄み渡り、清々しく柔らかな風が吹く。


「力を貸してくれるか?」

「もちろん!」

 宮の結界を張るのは三度目。慣れたとは言えなくても、背中から抱きしめられると温かい。怜慧の左腕が私を包み、私は怜慧の左手を握って浄化を願う。


「これで三つ目の結界が完成する。――かい

 怜慧の右手に乗せられた七色に輝く糸玉がふわりと宙に浮いた。はじけた解けた七色の糸に、紫と白の光の糸が撚り合わさって空へと昇る。


 様々な色で煌めく一本の糸が青空を駆け抜けていく。しばらくして、張った糸を弾いたような音が響き、次々と音が重なり始めた。


「琴?」

 雅楽に詳しくなくても、琴の音色は聞いたことはある。静かで穏やかに始まった曲は重なる音が増え、華々しく変化して激しく空気を振動させた。震える音が心をざわめかせて、足元が覚束なくなる。


「どうした?」

「あ、何でもないから大丈夫」

 雅で美しい音楽の中、抱きしめる怜慧の腕の力が強くなった。怜慧と離れたくない。この瞬間が永遠に続けばいいのに。熱くなってふわふわとした頭で考えるのは、そんなことばかり。


 華やかな琴の音色は終わり、地面を震わせる太鼓の音が鳴った。その瞬間、何故か私は地面を踏んでいる足へ注意が向いた。

「あれ?」


 通った。頭に浮かんだのはその一言。天を貫き地に立つ一本の光の柱。それが私。


「ミチカ?」

 怜慧の驚きの声が近い。

「何?」

「光が……」

 自分の手を見ると、白い光に包まれていた。よくよく見ると、白だと思っていた光は七色の光が混ざった色。もう一度太鼓の音が鳴り響き、光は私の中へと納まった。


「……何故かわからないけど、もう魂と体が分離しないと思う」

 自分の言葉に驚きつつも納得。タロットカードのおかげで体に戻った魂が、完全に体に馴染んだ。そんな感覚。自分の足で地面に立っていると再確認。


「そうか。それなら良かった」

 背中から抱きしめていた腕が緩んで、正面から抱きしめられた。包み込まれると、もう隠しようがないくらいに鼓動が早くなる。装束越しに感じる怜慧の鼓動も早くて、恥ずかしさが増す。


「ミチカ……俺のこと……」

 ためらいがちな囁きで、心臓は爆発しそう。もしも好きかと問われたら。そんな想像が頭の中をぐるぐると回るのに、怜慧の言葉は続かず無言のまま。


「……怜慧?」

 腕の力が緩んで見上げると、口を引き結んで顔を赤くした怜慧の顔。その視線を辿ると胸の前で手を組んで、きらきらと目を輝かせる将星が見えた。いつの間にかいなくなっていた鳳凰が将星の頭の上に乗っている。


「あ、僕たちのことは気にしなくていいよ! 続けて続けてー!」

「っつ、続けられるかああああ!」

 顔を赤くしたままの怜慧が将星に殴りかかり、笑顔の将星は体を捻って器用に避ける。


 じゃれ合う二人を見ながら、私は熱くなった頬を手で包み込んだ。


      ◆


 宮を離れるとすぐ、馬は見晴らしが良い高台に差し掛かった。木で出来た柵や、馬止め用の柱も設置してある。

「怜慧君、少し休憩していいかなー?」

 将星の提案で私たちは馬を降り、柵の近くまで歩くと、遠くに王都が一望できた。王都の東には青龍の象徴である川、西に白虎の象徴である道、南に朱雀の象徴である池、北に玄武の象徴である丘陵。地形条件が揃っているのだから、穢れさせずとも、お願いすれば四神獣は護ってくれたのではないだろうか。


「凄まじいねー。護りの範囲が広い。おそらくは全国まで影響してる。神様が国護りの結界と言っていたのが良く分かるよー。四神獣が護っていた時とは力の種類も違うし、威力が半端ないねー」

 十二の宮で形成される王都の結界の力は強く、改めて空を見上げた怜慧と将星も驚いていた。

 

「力が違う?」

「そう。王都に住む僕たち魔術師全員が、ずっと王の結界の力の正体を掴めなかったけど、今ならわかるよ。闇属性の魔力に似ていたけれど、あれは穢れた神力だった」

 神力を持つ者がいなくなったこの国で暮らしてきた怜慧と将星は、私の神力を感じるまでは全くわからなかったらしい。


「この結界は、純粋な神力で作られている。……昔の書物に書かれてた。十二の宮の結界は、人々が神を信じる力で出来ているって。人が神を信じなくなった時、結界の効力は消え、国が滅ぶと」

 青く澄んだ空には赤と緑の月が浮かび、小さな白い太陽が輝いている。結界の姿は見えなくても、清々しさは感じる。


「さーって。王都に帰ろうかー。お嬢ちゃんは怜慧君に護られてるから、日蝕の儀式も失敗確定だし、いろいろ忙しくなるよー」

「……俺たちはまだやることがある。将星は先に戻ってくれ」

 腕を上げ大きく伸びをした将星に、怜慧は告げた。


「やること? もしかして、怜慧君が宮に納めてた勾玉関係?」

「ああ。俺たちは明後日に儀式を行ってから帰還する」

 王宮にある沢山の書物を読んで記憶している将星も、怜慧が行おうとしている龍の召喚術は見抜いてはいなかった。


「僕も見学していいかな?」

「……それは……」

「何、何? 秘密の儀式? 水晶の勾玉奉納って言ったら、子宝祈願だよねー?」

 子宝? 将星から全く考えてもいなかった言葉が放たれて、思考が止まる。


「こ、こ、こ、子宝っ? ち、違うっ! 俺は龍を……!」

 顔を赤くして完全に慌てた怜慧は、ずっと秘密にしていた一言を零してしまった。将星の策略勝ち。そんな気がして苦笑する。


「龍? 青龍じゃなくて?」

「ああ。…………成功するかどうかわからないが、初代国王が助けたという龍を召喚する」

 黙っていることを諦めたのか、怜慧は溜息交じりで答えた。


「やっぱり、怜慧君が王になるのかな?」

「違う。前にも言っただろう。俺は王にはなれない。俺は……ミチカを元の世界に帰したいだけだ」


「龍が異世界人を元の世界に帰す? それは聞いたことがない話だね」

「……そもそも召喚出来るかどうかすらわからない。初代国王の権威を高める創作話の可能性も高い。だが……ミチカの世界は誰でも使える魔法があふれていて、安全で平和な世界だ。どんな理由があっても異世界召喚なんて、絶対に許していいはずがないんだ。……俺は、間違いを正したい」


「怜慧君……。それって、お嬢ちゃんを手放すってこと?」

「……」

「待って、怜慧。私の世界と行き来できるように頼むんでしょ?」

 話が違うと思った。怜慧は一方的に私を元の世界に帰そうとしている。


「僕はお嬢ちゃんの意見に賛成だねー。こっちから行くのは難しくても、お嬢ちゃんの世界から来れるならいいんじゃない?」

「それは…………ミチカはこの世界に来たいと思うか?」


「来たい来たい。平安時代みたいだけど、便利な魔法もあるし、田舎のおばあちゃん家に雰囲気似てる場所もあるし」

 何よりも、怜慧に会いたい。そう言い掛けて気が付いた。


「……あ。もしかして、私、邪魔?」

 異世界の王子様の仕事のことはわからないし、東我の弟子として王都を護る最強の魔術師になる勉強もあるだろう。私が異世界人でなければ、本来は気軽に会える人ではないのかも。

 

「違う。邪魔なんかじゃない! 俺は……」

 怜慧の赤い瞳は何故か悲しみを湛えていて、何かを伝えたがっている。

「何?」

 その瞳の奥に隠された感情を知りたくて、私は見つめる。……もしも怜慧が、私と離れたくないと言ってくれたら。


「……俺はいつでも歓迎する。ミチカの休みは、土日だったな。春の休みでも、夏の休みでも、好きな時に遊びに来てくれ」

 ふと表情を緩めた怜慧が微笑んで、私の肩の力が抜けていく。


「こっちに曜日なんてないでしょ?」

「暦はあるぞ。七曜ではなく十曜だ。宿で暦を見せてもらおう。そもそも念押ししておくと、本当に龍が召喚できるかどうかはわからないからな。期待はするなよ」

 どこかすっきりとした表情で明るく笑う怜慧に、私は違和感を覚えた。  

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