第五十二話 女神の祝福

 床で寝ていた怜慧は、昼過ぎに一度起きた。将星は起きる気配もなく、また二人と一羽で昼食。運ばれてきたお膳は豪華な料理が揃っていて、最初に支払った金貨十枚の威力は凄い。偶然耳にした普通の大人一人の宿の相場は、金貨一枚で三ヶ月分。貴族なら金貨一枚で十日分。それなら、この高待遇も頷ける。

 

 食後に出された紫色の薬草茶は、ヨモギ茶の味に似ていて美味しい。疲労回復と胃腸の調子を整える効果があると言っていた。


「将星さん、全然起きないけど、大丈夫かな?」

「魔力が徐々に回復しているから大丈夫だろう。そろそろ腹が減って起きるんじゃないか?」

 眠る将星の顔色は良くなっていて、それを聞いて一安心。


「ミチカの体調はどうだ? 無理してないか?」

「私はもう完全回復。大丈夫」

「そうか」

 優しく笑う怜慧の赤い瞳はまだとろりとしていて、眠さを堪えているのだと思う。


「まだ寝足りないんでしょ?」

「そうなんだが……俺は……もっとミチカと話したい。……ミチカの話が聞きたい」

 怜慧の言葉が嬉しい。私ももっと話をしたい。もっと怜慧のことを知りたい。それでもやっぱり体調が心配で。


「もー。目が眠そうだから、ちゃんと寝て。怜慧が完全回復したらいろいろ話すから」

「……寝たくない」

「子供みたいなこと言わないで」

 私は、ごねる怜慧の手を引いて立ち上がらせた。


     ◆ 


 怜慧は寝所で横になるとすぐに眠りに落ちた。暇を持て余した私は、怜慧の許可を得て荷物の整理をすることにした。


 竹か何か植物で編まれたバスケットのような大きな箱を開けると、桐のような箱二つと、布に包まれ厳重に封をされた酒入りの瓶子が三個。空の瓶子が五個だけで、箱の中身はスカスカ。


「お掃除しますので出しますね。失礼します」

 桐の箱の中身は、最後の『十二之宮』の御神体が入った手のひらサイズの箱。白い飾り紐でしっかりと結ばれていて、開く心配はなし。綺麗な布の上に箱を置き、空になった箱を別の布で拭く。


 一体、どんな神様が中にいらっしゃるのか、興味はあっても紐を解いて箱を開けたいとは思わなかった。きっと宮に納めた時に会えるだろう。


「うわ。結構汚れてるっ」

 綺麗に見える箱も、細かな木の粉や布の繊維が付着していて、拭いた布に薄っすらと汚れが見える。


「……これって、浄化していいのかな?」

 手にもっているのはただの箱。御神体の箱ではないし。

『うむ。許すぞ。浄化せい』

「は?」

 顔を上げると、二メートル先に片手で頭を支え、体をこちらに向けて横たわる二十代半ばのイケメン。きらきらと七色の光を放つ長い銀髪に、青い瞳。白く輝く直衣が眩しい。どことなく、退廃的な色気が漂う。

 

『その容れ物も浄化せい。……どうした? 何故驚く?』

 そう言われても、神社の中でもないのにいきなり見えたら驚くに決まっている。


「あ、あの……箱、狭くないですか?」

『ふむ。その中に入っている物はただの依り代であって、常にその箱の中にいる訳ではないぞ。天界からこの世界につながる目印とでも言おうか。気が向けばこうして降りてくる』

 驚きすぎて、答えではなくて変な質問しか思い浮かばなかったのに、神様はちゃんと答えてくれた。


「あ、綺麗になった」

 神様に言われるまま御神体の箱を浄化すると、年季が入ってくすんでいた箱が新品同様になった。

『心地良い波動だな。気に入った。我の嫁になれ』

「お断りします」

 いくらイケメン神様でもそれは断固拒否したい。


『ほう。これは面白い女だな』

 長い髪をかき上げ、妖艶な流し目を私に向けながら、神様がゆっくりと起き上がる。逃げようと思っても、金縛りになったようで体が動かない。


 触れられたら終わり。そんな気がして震えた時、後ろから伸びてきた腕に私は抱きしめられた。


「恐れ入りますが、彼女は私の婚約者です。すでに創世の女神から祝福を受けております」

 断言する声は怜慧で、ほっと体の力が抜けていく。

『女神の祝福を?』

「はい。祝いに岩瓜を頂き、二人で食べました」


『そうか。それはめでたいことだな。我からも祝おう』

 口の端を上げて笑う神様が指を鳴らすと、目の前に美味しそうな桃が現れた。瑞々しい桃の香りが周囲にふわりと広がる。怜慧と目を合わせ、受け取っていいのか迷っていると神様が笑い声をあげた。


『祝いの品だ。心配せずとも良いぞ。祝福された恋人たちを引き裂くような無粋な真似はせぬ』

「あ、ありがとうございます!」

 両手で受け取ると、ずっしりとした重さ。私がお礼を言うと、神様はウインクして消えた。


「あー。びっくりしたー」

 背中から抱きしめられたままの私は、怜慧の胸に寄りかかる。まさか神社の中以外で神様に会うなんて、本当に驚いた。


「……間に合って良かった……」

 がくりと首を垂れた怜慧が耳元で囁くから、背筋がぞわぞわしてくすぐったい。これ以上は無理と、必死に話題を探しつつ、体を捻って怜慧に向き合う。


「岩瓜が女神様からの祝福って、どういうこと?」

 怜慧が私を婚約者と言ったのは、神様の嫁にしない為の嘘だと思うから理由は聞かないことにした。代わりに岩瓜の疑問を投げる。


「女神の祝福は岩瓜だけじゃない。様々な書物には、女神から果物や作物が与えられたと書かれている。創世の女神は、困難を抱える男女の前に現れ、二人の将来を祝福するという伝承だ。……俺はあの時気が付いていたが、黙っていて悪かった」

 怜慧の頬が赤くなっていくのは何故なのかと見つめていると、私の頬も熱を帯びてきた。これは怜慧も私との将来を意識していると考えていいのかも。


「あ! 岩瓜、将星さんとも食べちゃったけど……」

 ふわふわと熱を帯びていく思考の中で、ふわふわのマシュマロのような岩瓜を三人で食べた記憶が蘇った。私が好きなのは怜慧一人で、一妻多夫なんて絶対に嫌。


「将星は関係ない。あれは二人でもらっただろ? もらった物を分けただけだ。……将星は寝てるし、今度は二人だけで食うか?」

「……そ、そうね」

 岩瓜の時とは違って、もらった桃は少々大き目サイズの一個。二人で分けるのは丁度良くても、三人では少ないかも。


「女神の祝福のこと、将星さんも気づいてたかな?」

「確実に気づいていただろうな」 

 ということは、私だけが知らずに岩瓜を食べていたのかと思うと恥ずかしさが増す。


「食べる前に、この箱片付けちゃっていい?」

「ああ、俺も手伝おう」


 その後、頬を赤くした怜慧と私は、一つの桃を二人で食べた。


      ◆


 夕方になって目覚めた将星は、とんでもない量のご飯を食べた後、怜慧に支えられるようにしながらお風呂に入ってまた眠りについた。


「将星さんの食べたご飯、凄い量で驚いちゃった」

 五合炊きの炊飯器のご飯の量から考えると、一升どころか、三升はありそう。怜慧もかなり食べたから何度もお替りになって、宿の人が運んでくるお櫃のサイズがどんどん大きくなっていったのも可笑しかった。


「あれだけ喰えば、魔力の回復も早くなる。眠るだけでは完全回復は難しい」

「あー、そうなんだ。食べて寝るって最高の疲労回復方法なのね。太りそうで怖いけど」

 そう口にして思い出した。魔力を使えば痩せるのだから、神力を使えば食べた物は無かったことに。


「どうした? 何考えてる?」

「何か浄化できるもの無いかなーって考えてる」

 私が確実に出来るのは浄化だけ。ならば、あちこちを浄化することで神力が消費されてやせられるはず。荷物は私の着替えも含めて、ほとんど浄化してしまっていた。


「むやみやたらに〝浄化の術〟を使うなよ。また何かを呼んだらどうするんだ?」

「……さっきのは近くに御神体があったからよ。きっと大丈夫」

 何故か溜息を吐く怜慧の腕をぺちりと叩き、私は浄化できる物を考えていた。

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