第五十一話 前途多難な妄想と現実

 完全に廃墟へと変貌した屋敷を離れ、私たちは三キロ程先の宿に到着した。お寺のような和風建築の離れに通された後、慌ただしく夕食とお風呂を済ませ、これ以上なくガチガチに結界を部屋に張り巡らせた怜慧と将星は、倒れ込むようにして眠りについた。


 疲れて面倒だったのか、いつもなら将星との間に置かれる几帳も無しで、三人と一羽で並んで寝る状況。立派な几帳は重すぎて、私一人で動かすのを断念した。


 掛け布は別とはいえ、男女で雑魚寝なんて非常識と思いつつも、死んだように眠る二人の姿を見ていると、私を護る為にどれだけの魔力と体力を使ったのか想像がつく。


「……怜慧」

 隣で眠る怜慧にそっと囁いてみても、全く起きる気配はなくて寂しい。反応したのは鳳凰だけで、ころころと転がって目の前にやってきた。手を伸ばすとほわほわのふわふわで頬が緩む。


 私自身も疲れているとは思う。ただ、勝利の興奮と……ファーストキス寸前の記憶が眠りを許さないだけで。寸前で止められてしまった怜慧とのキス。指先で自分の唇に触れると、頬に熱が集まっていく。


 怜慧も私を好きだと思っているのだろうか。怜慧への恋を完全に自覚してしまった私は、眠る怜慧の唇を見るとキスの妄想をしてしまいそうで、その恥ずかしさに見悶える。


 このままでは、妄想が暴走してしまう。心を落ち着ける為、横向きに寝ころんだまま、枕元に置いた袋からタロットカードを取り出して、数回シャッフル。上から七枚目を開くと、現れたのは『愚者』のカード。


「……愚か者ってこと? ちょ。正直過ぎでしょ」

 カードにまで浮かれた心を指摘されたようで、恥ずかしくなってきた。静かに息を整えると、予言者のことを思い出した。


 ヘキサグラムスプレッドで使われた予言者のタロットカードは燃えてしまって、おそらく予言者の手元に残ったのはこの『愚者』だけ。私の手元にはすべてのカードが揃っている。何故、予言者は私と同じカードを持っているのか。この異世界では神々の戦いが行われていて、予言者と私はそれぞれの陣営の代理人ということなのか。


 仰向けになって右手を伸ばし、『愚者』のカードを掲げる。タロットカードは数字の順で一つの物語になっていて、二十一番目の『世界』で完結した後、再び零番目の『愚者』へと戻り、運命の物語を繰り返していく。


 生きている世界は常に動いていて、運命は止まることがないことをタロットカードは示している。一つの場面で完全停止させてしまうと物語が終わり、世界は死ぬ。


 予言者は、この世界が嫌いなのかもしれないと、ふと思った。タロットカードを使って世界を呪うなんて、私には無理。カードは私たちの未来の可能性を指し示すものだと私は思う。


 左手に持ったボトムカードを見ると『魔術師』。淡く微笑む表情は優しくもあり、すべてを見透かした自信家にも、運命への挑戦者にも見える。


 この『魔術師』は何度も私たちを助けてくれた。予言者の『魔術師』は最初のリーディングで消えていて、予言者を助ける人やカードはいたのかと考えてしまう。第二王子の顔が浮かんでも、都合が悪くなると後宮の塗籠ぬりごめに引きこもる無責任な男が予言者を護っているとは考えにくい。


「あー、ダメダメ。憐れむ必要無しなんだから」

 穢された神獣や、殺された人々の悔しさを無かったことにはできないし、何よりも突然異世界召喚された私は怒っていい立場。


 これ以上考えても無駄。そう心に言い聞かせた私はカードたちを袋に戻し、温かな鳳凰に寄り添って目を閉じた。


      ◆


 翌朝、中庭で日課の集束魔法を終えた怜慧は、私と朝食を食べて再び寝所へ戻って眠ってしまった。将星は全く目が覚めないまま。怜慧によると、二人とも魔力が枯渇する直前だったらしい。そんな状態でも毒蝶を外に出さないように結界を張り続けていた将星は、精霊から魔力供給を受けていても疲労が深い。


 怜慧の隣で横になってみても眠れなくて立ち上がり、部屋と外廊下を区切る御簾を上げて外の景色を見る。晴れ渡る空には赤と緑の巨大な月が輝き、白く小さな太陽が輝く。柱に寄りかかると、爽やかな風が緑と花の香りを運んできた。


 龍に願い事を叶えてもらえるのなら、この世界と私がいた世界を自由に行き来できるようにできないだろうか。それはとても良い思い付きだと思っても、果たして怜慧は、どう思うのか。


 成人の儀を済ませれば、王子としての職務もあるだろう。王と第二王子の後始末もある。東我の弟子として、王都のインフラを管理する術を学ぶようになるかもしれない。忙しい中、遊びに来た私が相手にしてもらえるのかどうか。


 東我はおそらく独り身だし、もしかしたら怜慧も結婚したりしないのかも。


 結婚という単語が頭に浮かぶと、さらに困難が待ち受けているような気がした。結婚式はどこで挙げるのか、そもそも、両親や親族への挨拶はどうするのか。役所への届けはどうなるのか。


「異世界の王子様ですって紹介する? ……あ、ダメ。全然わかんない」

 マンガやドラマの知識だけでは、どうなるのかさっぱりわからない。戸籍の問題もあるし、前途多難ということだけが確定していると思う。


「今の私に必要なメッセージをお願いしまーす」

 取り出したタロットカードを手が止まるまで軽くシャッフルして、一枚を引くと逆位置リバースの『恋人』。


「……そうね。そうだった」

 カードに指摘されてようやく思い出した。そもそも、私は怜慧と付き合ってもいなかった。恋人同士ですらないのに、結婚のことを考えても仕方のないこと。


 まずは恋人になることからでも、あと六日でそれはハードル高すぎ。私から告白をすればいいのかと思っても、恥ずかしさでむずがゆい。怜慧から言ってくれればいいのに。


「えー。もう、どうしたらいいの……?」

「何か困っているのか?」

「ひょええええ!」

 正直言って、私には可愛らしい悲鳴というのは無理だと思う。振り返ると笑いを堪える怜慧が立っていた。白い着物の襟が緩んでいて、妙に色気を感じてどきどきしてしまう。


「驚かさないで。……もう起きて平気なの?」

「いや、まだ足りないな。……隣にいないから心配した」

 私の隣に胡坐で座り込んだ怜慧が、寄りかかってきた。高い体温を感じて鼓動が早鐘を打つ。


「あ、あのね。この世界と私がいた世界と、自由に行き来できるようにお願いできないかなって考えてたの」

「行き来?」

「そ、そうしたら、いつでも会えるし。あの、その、怜慧のお仕事が忙しい時は遠慮するから」


 好きという単語を口にすることは恥ずかしくて難しい。その単純な一言を伝える勇気が欲しいと願う。


「……そうか。いつでも会える……それは良い案だな」

 怜慧も同意してくれた。そのことがとても嬉しくて、ますます鼓動が早くなる。頬は熱いし、何なら脳まで沸騰しそう。


「怜慧も、私に会いたいって思ってくれる?」

「ああ。俺はお前をずっと護りたい。たとえ……」

 何かを言いかけた怜慧の腕が私を包む。とろりとした赤い瞳が近づいてきて、思考が硬直。突然のことで、目を閉じることもできない私の前で、赤い瞳が閉じた。


「れ、怜慧?」

 そのまま、ずるずると床まで崩れ落ちた怜慧は、完全に眠っていた。


「……ゆ、床で寝ないでー!」

 恥ずかしさを隠すために抗議の叫びを上げても、怜慧は眠ったまま。途方に暮れる私の元へ、鳳凰が掛け布を咥えて運んできてくれた。


「ありがと。そうね。ちゃんと眠ってもらわないとね」

 怜慧に心配を掛けないように、隣にいよう。さらりとした銀髪を撫でると笑みがこぼれて、私の心が温かくなった。

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