第五十話 二人の鼓動

 粉々になったクリーム色の空は、夕焼け色へと変化した。周囲の景色も一変して、私が立っている屋根はボロボロで穴だらけ。魔法陣が無ければ下に落ちていただろう。屋敷全体も廃墟同然で、先ほどの美しい建物は見るも無残にあちこちの柱が折れ、植物に侵入されている。


「ご、ごめんなさい!」

 おそらく私は、妖蟲の殻ではなく異界を壊してしまった。荒れた庭の池の中で蠢く巨大な妖蟲は夕焼けの赤い色を反射して、さらに不気味さを増している。


「気にするな! 順序が変わっただけだ!」

「あー、まあ、そうだねー。一応結界張っとくねー」

 叫んだ怜慧と苦笑する将星は動きを止めることなく、炎を帯びた武器で妖蟲を斬りつけている。魔力で作られた防壁が、徐々に薄くなっていることがわかる。


 タロットカードたちは私の目の前で白く光りながら浮遊したまま。自分の失敗が怖くて、どうしたらいいのかわからない後悔で指先が冷えていく。


「あ、あの……」

『貴女が望むのなら、もう一度読み解いて下さい。一度出たカードの並びは変わりませんが、リーディングに失敗も成功もありません。我々が示すのは未来の可能性です。定められた運命はありません。貴女が望めば何度でも変えられる』

 魔術師の声は暖かくて優しい。深く息を吸って吐いて心を落ち着かせる。


 もう一度カードに向き合った時、何もない空から黒い雷が妖蟲へと落ちた。


「う、嘘!」

 巨大な長い体をうねらせていた妖蟲の背中が割れた。サナギの段階を飛び越して、一気に蝶へと孵化しようとする姿は、不気味すぎて声を失う。


 透明な皮の中から血まみれで現れた翅は、みるみるうちに乾いて玉虫色へと変化して広がった。十メートル以上ありそうな巨大な蝶には、体と同じ長さのクジャクの飾り羽に似た尾が何本も生えている。


「お嬢ちゃん、毒の浄化をお願いしたいなっ!」

 鎌を振り下ろした将星の声で蝶から目を離すと、私を護る結界の外に赤黒い粉が舞っていた。


「魔術師さん! 浄化を手伝って下さい!」

 私の叫びに応じた『魔術師』のカードから白い光が広がって、赤黒い粉を消していく。魔力防壁に包まれた毒蝶には届かないものの、空気は清浄化されている。


 赤と紫の光の鎖が巻き付いて、飛び立とうとした蝶の動きを止めて地面へと叩きつける。形勢は有利に見えても、幾度となく斬りつけている怜慧と将星には疲労の色が滲んでいた。この事態を解決するためのリーディングをとカードを見つめてみても、焦る心が思考を邪魔してしまう。


「……落ち着いて。失敗しても何度でもやり直せる。だから成功にしかならないの!」

 息を吐ききって、再び吸い込む。紫と赤、金色に輝く魔法陣で護られた私の周囲は清浄な空気だけ。護られるだけの存在ではいたくない。何よりも怜慧の力になりたいと強く願う。


『願いは執着であっては叶いません。肩の力を抜いて、貴方の心の聖杯カップに水を満たし、流して下さい』

 魔術師に言われて気が付いた。先ほどのリーディングはカードの声を聞く事なく、勝てると思いあがった私の決めつけであり、傲慢だった。


 もう一度深く息をして、カードの声に耳を澄ませると、心にメッセージが浮かんでくる。


「『星』の光は〝聖杯〟の力を愛に変え、『審判』の笛の音で、いにしえの神々の力を復活させる! 『太陽』は再び輝きを取り戻し、『正義』の剣を『月』へと与え、祝福された『恋人』たちは『世界』を再生する!」


 戦う怜慧に力を。これが私の願望の宣言。叫んだ途端、中庭に黒い雷が落ち、黒い炎をまとう予言者のカードが七枚現れた。その並びは私が引いたヘキサグラムスプレッドと同じ。


 鈴の音がしゃらしゃらと鳴り響き、女性の声が周囲に響く。今回も抑揚は無くて、何の感情も読み取れない。


「――『星』は〝聖杯〟の力を『月』へと注ぎ、闇夜を広げる。『審判』の笛の音は黄泉の死者を呼び、『正義』の剣は堕ちた『太陽』を斬る。堕落した『恋人』たちは『世界』を破滅へ導く」

 黒い雷が毒蝶へと何度も落ちて、光の鎖を消滅させていく。飛び立とうと羽ばたく毒蝶を、赤と紫の鎖が再び縛り付ける。


「違う! この『世界』は破滅なんてしない! 私は怜慧と『世界』を再生するの!」

 予言者は私のリーディングを上書きして、将星が作った結界を壊そうとしていると気が付いた。もしも毒蝶が結界の外に出てしまったら、きっと大勢の人が死んでしまう。焦る私の目の前で、また鎖が砕かれる。


『『正義』の剣を『月』へと与えましょう』

「はい! 私の浄化の力を怜慧に贈ります!」

 魔術師の言葉の意味が、何故か私にはわかった。女神の力でもある浄化の力は『正義』。『魔術師』のカードに手を添えると、白い光が炎になって怜慧の持つ刀へと宿った。紫の炎と白い炎が燃え上がり、周囲を明るく照らす。


「怜慧! お願い!」

 毒蝶を倒して欲しい。私の心からの叫びを聞いて、振り向いた怜慧は頷いて刀を構えなおした。


奏炎水華そうえんすいが! 浄化清澄じょうかせいちょうたてまつる!」

 魔法陣を踏んで跳躍した怜慧の周囲には、紫と白の炎の花びらが舞う。無数の花びらは毒蝶を包んでいた魔力防壁を砕いた。透明な破片が炎を映し、輝きながら飛び散る。


 光の鎖を砕いて飛び立とうとした毒蝶の頭を、光の刃は正確に斬り落とした。怜慧が地面へ到達する直前、毒蝶は白い光に包まれて、粉々に砕け散る。


 同時に、黒い炎に包まれていた予言者のタロットカードは白い炎を上げて燃え尽きて、静寂が訪れた。


「……勝った?」

 妖蟲も毒蝶の痕跡も完全に消え失せて、枯れた広大な池と荒れた庭。廃墟と化した屋敷が残るだけ。カードたちもいつの間にか、私の懐に入れた袋へ収まり、鳳凰は左肩に止まっている。


「そうみたいだねー。完全に気配は消えたよー。結界解くねー」

「……良かった……」

 怜慧も将星も鳳凰も無事。安心してへたり込みかけた私を、慌てて跳んできた怜慧が抱きしめた。


「ありがとう。助かった」

 怜慧の優しい笑顔が嬉しくて、その背へと腕を回して抱き合う。一瞬緩んだ怜慧の腕の力が強さを増して、熱い体温を感じる。


 怜慧は、ずっと私を護ってくれていた。異世界でも、この腕の中なら安心できる。

 見上げると、至近距離で赤い瞳と視線がぶつかった。離れたくないと心が叫ぶ。


「ミチカ……」

「怜慧……私……」

 私を強く抱きしめていた怜慧の腕が優しく緩んで、二人の唇がゆっくりと近づいていく。ファーストキスへのときめきが、恥ずかしいくらいに鼓動を爆上げ。怜慧の鼓動も早い。


 唇が触れそうになった時、怜慧が慌てて顔を離した。何故と聞きそうになった私も、その理由を理解した。


「僕たちは気にしなくていいよー。さ、続けて続けてー」

 すぐそこには鳳凰を手に乗せた将星が立っていた。将星と鳳凰の興味津々、きらきらと輝く瞳が眩しくて痛い。


「……続けられるかー!」

 叫んだ怜慧は将星に殴りかかり、将星は笑いながらその拳を避ける。じゃれ合う二人を見ながら、私は熱くなった頬を手で包み込んだ。 

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