第四十九話 妖蟲の混成術
クリーム色の空は異様で、空気がまとわりつくようで体が重く感じる。真夏のぬるいプールの中にいるようで、違和感が不快へと変わっていく。
「何? 朱雀を浄化したらこの異界から出れるんじゃないの?」
「朱雀とは違う何かがこの異界の支配権を乗っ取ったっていう感じかなー」
軽い言葉を放ちつつ、将星の青い瞳は何かを感じ取ろうとしてあちこちを観察している。
「予言者じゃないのか?」
「僕は違うと思うなー。神や神獣ならともかく、この規模の異界が人間に操作できるとは思えないんだよねー。……最初に飛ばした式神がまだ境界に到達してない」
いろんなことが一度に起きて、将星がツバメに似た式神を飛ばしてから、どれだけの時間が経ったのかわからなくなっていた。一時間か二時間かと考えても、ツバメが飛ぶ速度を考えると広いと思う。
「予言者には、何か悪い神様が憑いてるってことですか? 禍つ神とか」
「それならヤバい話になるねー。予言者が禍つ神に操られてるとなると、歴代の王が作ってきた後宮の結界にも引っ掛からない高位の神である可能性が高くなる」
歴代の王は、禍つ神を祀る場所と後宮に常設の結界を構築してきた。王たちの祈りと愛する者への護りは強く残って雪のように降り積もり、結界の層を成している。その後宮に出入りしていても誰も気が付かなかったという点で、恐ろしい想像が沸き上がる。
「現王と第二王子を操り創世の女神に敵対させることで、この国を滅ぼそうとしているということか」
「そうかもしれないんだけど……もう一つの見方もある。鳳凰は『正しき王となる者』が現れた時に出現すると言われてる。我が国で最初に現れたのは、初代の王がこの地を治めようと志した時だ。初代の王が没した後は、出現したという記録がない」
「それって……」
鳳凰を式神とする怜慧が『正しき王となる者』だとしたら。金色の丸い鳳凰を見つめると、私の左肩に乗ったままで首を傾げるような仕草を返してきた。その仕草の意味が読み取れなくて不安になる。
「俺は王にな
私の不安と困惑を打ち消すように表情を硬くした怜慧がきっぱりと言い切り、私の思考がクリアになった。
「待って。怜慧を王にしたいのなら、どうして神獣たちは怜慧を殺そうとしていたの?」
穢れた神獣たちは怜慧を殺そうとしていた。怜慧を王にしようとしているなら、そんなことは起きないだろう。
「そっかー。あの殺意は本物だったよねー。じゃあ、それは違うってことかなー」
苦笑する将星の顔を見て、肩の力が抜けていく。もしも怜慧を王にする為に多くの人や神獣たちが命を奪われたなら、真面目な怜慧には重荷でしかないと思う。
「あれ? 浄化してないのに」
ふと振り向いた私は、中庭の様子が変わっていることに気が付いた。血の海と化していた地面や、真っ赤に染まっていた草花が綺麗になって元の色を取り戻している。バラバラになっていた遺体もすべて消えていた。
「浄化じゃなくて、集束だねー。……お嬢ちゃんが見なくて良かったー」
将星も怜慧も異変を察知していたらしく、私の足元には紫と赤の魔法陣が現れていた。集束ということは数十人の血も遺体も、どこかに集められたのか。見なくて良かったという将星の言葉から、私が集束の場面を見ないよう、注意を逸らす為に話をしていたと理解できた。もしかしたら、音も聞こえないように遮断されていたのかも。
「防護結界だ。ここから出るなよ」
怜慧の視線は、血と泥で濁った広大な池に向かっている。ぼこぼこと大きな空気の泡がはじける光景は、まるで血の池地獄。元の色彩を取り戻した庭との対比が恐ろしい。
池の中から発生する空気の泡は、次第に速度が落ちていく。ぼこりという音で血の池の粘度が上がっていくのがわかる。
「何が起きてるの?」
「集めた血肉を混ぜて
「混成術?」
怜慧も知らない魔法を将星は何故知っているのだろうか。そんな疑問が顔に出てしまったのか、将星が苦笑する。
「僕の家は代々、王家の持つ文書のすべてを管理して暗記している。それは封印された書物も含まれているんだ」
きっと焼失や虫害、そういった万が一の事態に備えてのことだろう。
「やっぱり、悪い神様がこの国を潰そうとしているの?」
祖母に昔聞いた、神様と魔物の戦いを思い出す。この世界では神々の戦いなのか。
「そうかもねー。……まぁ、予言者に神が味方してるとしても、僕は絶対に許さないよ」
「ああ。俺も許さない」
二人の言葉の直後、目の前で血の池が一つになって巨大な赤黒い芋虫へと変化した。
芋虫の皮は透明で、中で血と人体のパーツ、臓物がぐるぐると混ぜられているのが見える。
「うわ……グロテスク……」
「妖蟲をこのまま放置しておくと、サナギになって、毒をまき散らす蝶になるそうだよ」
「将星、急所はどこだ?」
「わからない。蝶になった時は頭だ。初代の王は毒蝶の状態で倒してた」
「そうか。切り刻んでみればわかるな」
好戦的な笑みを浮かべた二人が刀と鎌を手に屋根を蹴り、魔法陣を跳んで左右から妖蟲へと近づいていく。
将星が振り下ろした鎌が、妖蟲の二十センチ手前で何かに弾かれて、黒い火花が散った。
「魔力防壁か!」
怜慧が振り下ろした刀も同様に弾かれて、二人は妖蟲から離れて距離を取る。妖蟲は体をうねらせて池だったくぼみで蠢く。
「将星、どうする?」
「取り込まれた妖物の魔力が動力源だから、ひたすら削るしかないよねー」
再び跳んだ二人は妖蟲を包む防壁に斬りつけ、そのたびに弾かれて黒い火花が散る。何度も繰り返される光景が果てしなく感じて、私はタロットカードを手に握りしめた。
「お願い、私にできることを教えて」
妖蟲を包む透明な殻のような防壁を無くす為、私に何ができるのか。肩に留まっていた鳳凰がふわりと浮いて光を帯びた。
『貴女の手で未来を選択してください。――ヘキサグラムスプレッドを』
鳳凰から聞こえるのは『魔術師』の声。手にしたカードをシャッフルして七枚目を開く。過去を示す一枚目を引くと『星』。カードは私の手からするりと離れて空中で留まる。
現在を示す二枚目は『審判』、未来を示す三枚目は『月』。対応策を示す四枚目に『太陽』。相手を示す五枚目は『恋人』。本人を示す六枚目には『正義』。
現れるのは強く明るいカードばかりで、高揚していく自分の心を止めることは難しい。何故か最後に出てくるカードがわかった。
「結果は『世界』!」
最後のカードが示す万能感は凄まじく、目の前に展開した七枚のカードから勝利の希望が満ち溢れている。これなら、何をどう読んでも勝てる気がする。深く深く呼吸して、自分の目的は何なのか目を閉じて考える。
怜慧と将星に協力して、妖蟲の殻を壊す。今はきっとそれだけでいい。
「『星』の光は『月』の光と共に、穢れた魂へ『審判』を下す! 『正義』の剣は『太陽』と『恋人』たちの助けを受けて、穢れた『世界』の殻を破る!」
「お嬢ちゃん、それはダメだ! 妖蟲が外に出る!」
焦りながら振り返った将星の叫びが響く中、クリーム色の空が粉々に砕け散った。
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