第四十八話 学んだ覚悟

 ゾンビたちの視線は、何故か私と怜慧に向けられている気がする。争いの手が止まり、巨体を揺らして不気味な叫び声を上げつつ、ゾンビたちが建物へ向かってのろのろと歩いて来る。爪で裂かれたり、食いちぎられた傷から滴る血や汗の匂いが熱い空気で温まり、吹き荒れる風で流れてくると吐き気がする。


「……予言者の計画か。趣味が悪いな」

「女の子の悪口は言いたくないけど、それだけは同意しちゃうねー」


 この凄惨な光景を作り出した予言者は、罪悪感はないのだろうか。重罪人とはいえ、人を妖物の入れ物にすることを実行するなんて。そう考えた所で、私自身も創世の女神の器として召喚されたことを思い出した。きっと予言者にとって、人間はただの道具。


『助けて……くれ……』

 数十人の恐ろしい雄叫びに紛れて聞こえた一言が、胸を抉った。もしかしたら、妖物に体を乗っ取られているだけなのかもという疑念が沸き上がる。


「怜慧、今、助けてって聞こえた」

「惑うな。中身は妖物だ。人の魂はない」

 そう断言しながら、怜慧の横顔にも迷いは見える。


「誰にも言ったことなかったんだけど、僕が検非違使やってたのってさ、覚悟を学ぶ為だったんだよねー」

「覚悟?」

 唐突な将星の言葉に私たちの視線が向かう。何の覚悟を学んだというのだろうか。


「妖物やら何やらだけでなく、人の命を絶つ覚悟。検非違使っていうのは、時と場合によって人を斬ることもある。……お嬢ちゃんは目を閉じてて欲しいな。これから僕は鬼になる。カッコ良くないから、女の子には見られたくないんだ」

 将星の笑顔には苦さが滲む。その瞳が青い炎のように光り、まとう装束が全身黒の狩衣風へ変化していく。……黒い服は返り血を浴びても目立たない。そんな言葉をマンガか何かで読んだ気がする。


 見られたくないと言われても、私を護る為に戦う姿を見なければいけないような気がしていた。何の言葉も見つからず、ただ見つめるだけの私に向かって、将星は場違いなウインクをして笑う。


「お嬢ちゃんと怜慧君は朱雀の浄化をお願いねー。……罪人は僕が引き受けるからさ!」

 その右手に現れたのは、いつも使う鎖ではなく赤い光を放つ巨大な死神の鎌。気のせいか、将星の周りに重い空気を感じる。


「すまない。頼む」

「いーよいーよ! 後でお兄ちゃんって呼んでねー!」

「絶っ対呼ばないからな!」


 屋根を蹴り、将星はゾンビたちの群れへと突入していく。振り上げられた両刃の鎌は首を斬り、切り離された体から血を噴き上げながら倒れていく。あれは人ではなく化け物だと言い聞かせても、私には恐ろしい光景だった。


「ミチカ、俺たちは朱雀の浄化に専念しよう」

 いつの間にか震えていた肩を強く抱きしめられて、我に返った。そう、私が最優先にするべきことを思い出さなければ。


「俺は朱雀と話をしてくる。ここで鳳凰と待っていてくれ」

 朱雀は遥か上空を旋回しながら飛んでいる。怜慧は空まで跳ぶつもりだろうか。


「待ってる。気を付けて」

「ああ。行ってくる」

 怜慧は将星と同じようにウィンクして、その手に現れた紫に光る鎖を空に投げる。上空に現れた魔法陣へ鎖が吸い込まれ、怜慧の体は空へと昇っていく。


 一瞬で朱雀と同じ高さまで到達した怜慧は、現れた紫色の魔法陣の上へと立った。人と並ぶと、翼を広げた朱雀の大きさが十数メートルあるのがわかる。


「神獣、朱雀とお見受けする! 貴殿の浄化を任せて頂きたい!」

 怜慧は光の鎖を消し、何も武器を持っていなかった。これまでと同じように背筋を伸ばして、穢れて真っ黒に染まった朱雀へ敬意を示す。


 返ってきたのは言葉ではなく、金属質な鳴き声と共に、くちばしから放たれた赤黒い炎の弾丸。一メートルはありそうな燃える球体が、無防備な怜慧目掛けて次々と飛んでいく。


「怜慧! 避けて!」

 このままでは怜慧が炎で焼かれてしまう。私の心配は直後に解消された。


解縛かいばく! 灯華とうか!」

 怜慧の手に紫の炎を纏った刀が現れて、赤黒い炎を斬り裂く。斬り裂かれた炎は黒い粉のようになって空気に溶けた。


 上下左右、あらゆる方向に現れる紫の魔法陣を足掛かりにして、怜慧は空を舞うように駆ける。襲い来る炎を冷静に斬り捨てて、炎を吐きながら飛び回る朱雀との距離を詰める。


「お願い、私に力を貸して。朱雀を浄化したいの」

 予言者がカードリーディングを始める前に浄化したい。その一心でタロットカードたちへと願う。


『私の道具を使って下さい。貴女は何を選択しますか?』

 鳳凰が金色の光を放って宙へと浮かび、『魔術師』の声が聞こえてきた。『魔術師』のカードに描かれているのは、金貨ペンタクルソード聖杯カップ棍棒ワンド


 白虎と青龍は怜慧が使う魔法の力を増幅させることで勝利してきた。私だけで浄化するとすれば、朱雀の属性に対立する力を選択するのがきっと正解。


 朱雀が守護する方向は南、司る季節は夏。夏に対応するのは棍棒であり、火を示す。対立するのは水を示す聖杯。


「聖杯を選びます!」

 私の足元に金色の魔法陣が現れて、水が渦巻きながら沸き上がってきた。金色の魔法陣は結界なのか、渦巻く水は私の体を避けていく。


 空を見上げると、怜慧が紫の光の鎖で朱雀を縛ろうとしていた。いくつもの魔法陣から鎖が現れて、暴れる翼を抑え込んでは砕かれるの繰り返しでも、飛び回っていた朱雀の動きは限定されている。


 私の目の前に『魔術師』のカードが現れた。

『貴女は、どう読み解きますか?』

 求められたのは一枚引きのカードリーディング。白く光り輝くカードに手を添えて、私は私の願望を口にする。


「『魔術師』は聖杯を掲げ、穢れを無へと流し、隠された真実を世界に開き指し示す!」

 ただ願うのは、穢された神獣朱雀の浄化。完全には元に戻せないとはわかっていても、安らかな眠りを心から願う。


 渦巻く水は空へと高く沸き上がり、縛られながら暴れていた朱雀を包み込む。マユのような楕円になった水玉は、雲のない空から落ちてきた黒い雷を弾き飛ばし、朱雀を洗い清めていく。


 黒い雷は何度も落ち、そのすべてを白く輝く水が弾き返す。やがて、朱雀の体が朱金の輝きを取り戻した。


「浄化……できたの?」

『体は浄化されたが、我が魂はすでに堕ちておる。このままでは再び人の肉を欲するだろう。……滅してくれ』

 水でできたマユに包まれたままの朱雀から聞こえてきたのは、決然とした男性の声。距離は遠くても巨大な黒い瞳は、まっすぐに私を見ていることがわかる。


 一度人を食べてしまったら、体を浄化しても元には戻れない。この世界に来て何度も聞いた話と、朱雀の覚悟が悲しくて涙が溢れてきた。


『悲しむ必要はない。滅する前に浄化されただけでも僥倖ぎょうこうだ。感謝しておる』

 優しい朱雀の言葉を聞いて、私は慌てて涙を拭いた。泣きたいのはきっと朱雀。全くの他人である私が被害者の目の前で泣いても、何の解決にもならないのに。


『我の為に泣く者がいるというのは、我は幸せだな』

 朱雀の表情はわからなくても、その声が微笑んでいるように感じる。優しすぎる言葉が胸を締め付けて、また涙が流れていく。


『頼む』

 その言葉は、朱雀の近くにいた怜慧に向けて。頷いた怜慧は降ろしていた刀を構えた。


「承知した! 奏水蓮華そうすいれんか!」

 刀に宿る紫の炎が水のように変化してその威力を増した。紫に光る水は、結晶化した透明な花と花びらをまき散らし、きらきらとした美しい音色がまるで音楽のように世界を彩る。


 空中の魔法陣を蹴り、怜慧はその刀で水のマユごと朱雀を一刀両断。朱雀の体は地上に落ちる前に白く輝く砂になって消え失せた。


 朱雀の最期に何の言葉も見つからず、屋根の上で佇む私に向かって、怜慧が降りてきた。

「助かった。ありがとう」

 怜慧の言葉は、きっと優しさ。

「お礼を意うのは私の方よ。ありがとう」

 私は浄化をしただけで、怜慧がいなければ、朱雀を本当の意味で助けることはできなかった。


「将星はどこだ……?」

 朱雀に集中していて、地上での戦いを忘れていた。屋根の下に広がる中庭は、血の海と表現するのが相応しい状態で、あちこちでバラバラになった人の体が倒れている。大量の水を湛える広い池にも体のパーツが多数浮いていて、血と泥で濁っていた。


「……っ!」

 吹きあがってきた風の匂いは重々しい生臭さ。倒れた人々は完全に死んでいて、うめき声もなく静寂が世界を支配している。


「将星! どこにいるっ?」

 怜慧が叫ぶと、渋々といった表情で、全身血まみれになった将星が屋敷の中から出てきた。


「ごめーん。水が無いかって探してたんだけどさー、水も井戸も無くてさー」

 頭から血を被ったのか、ピンクアッシュの髪も綺麗な顔も汚れている。黒い装束は黒い光沢を増して重々しい。その姿を見て、魔力での浄化は血を消せないという話を思い出した。


「将星さん、もしよかったら浄化します」

「え? いいの?」

「はい。もう浄化の術を使っても大丈夫ですよね?」

 穢れた神獣はもう消滅した。気を遣う必要もないし、何よりも血で汚れたままなのは、将星本人が嫌だろう。


 屋根に飛び上がってきた将星を浄化すると、将星の青い瞳が揺れる。

「……お嬢ちゃんは、怖くないの?」

「何がですか?」


「血まみれの男って、怖いでしょ?」

「それは怖いですけど、怖くないというか……私を護る為に戦って下さったのに、怖がったら失礼というか……将星さんは怖くないですよ」

 血は怖いと思う。それでも、護ってくれた人を怖がってはいけないという思いが強い。私と怜慧の為に尽力してくれた将星に感謝する方が先。


「お嬢ちゃん……」

 驚いた顔で私に何かを言おうとした将星の表情が変わり、空を見上げる。


「将星、どうした?」

「今、結界の術式が変わった。何だこれ?」

 魔術の天才が青い目を細めて訝しんだ途端、藍色の不気味な空がどろりとしたクリーム色へと変化した。

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