第四十七話 降り注ぐ黒い卵

「怜慧、今日はここに泊まる予定だったの?」

「いや。少し先にある宿屋だ。……俺たちには関係ないな。行こう」

「おじいさまの家なんでしょ? 気にならない?」


 母方の祖父の家が呪われているのに関係ないと言うのは、私を呪詛に巻き込みたくないという気遣いだと感じた。


「……俺が祖父に会ったのは一度だけ、母の葬儀の時だ。その後、十年以上会うこともなかったからな。他人も同然だ」

 怜慧は苦笑していても、家の場所を知っているのだから気になっていたのだとは思う。


 馬を進めようとした怜慧の横で、将星は馬から降りてさっさと門前の馬止めに馬を繋いだ。木製の柱は朽ちかけていても、賢い馬はおとなしく静かに佇む。


「えー。これはこれは、雑な護符だねー」

 木札の裏に回った将星が声を上げ、怜慧と私も馬を降りて近づく。朽ちかけて真っ黒になった立派な門には、あちこちにべたべたと護符が貼られていて、ミルフィーユのように層を作っていた。


「本当に『悪霊退散』とか『怨霊焼滅』とか書くのね」

 複雑な図形だけでなく、漢字とは違う文字が筆で書かれている紙もあった。異世界の文字は知らないはずなのに、何故か意味は分かる。


「あれは見たこともない符だな」

「……ちょっと待って……僕は見たことあるな。……どこだったかな……」

 怜慧が視線で示した護符を見て、将星が考え込む。手が届かない高さに貼られた紙には、円の中に七芒星ヘプタグラムという西洋の悪魔召喚の魔法陣に似た図形が描かれていた。


「……思い出した! 第二王子の左手の刻印だ」

「刻印? あいつが手袋で隠しているのは、それか」

 私は気が付かなかったけれど、第二王子は左手の甲を隠す手袋を付けていたらしい。


「符に何の力も感じないが……意味があるのか?」

 三人で見上げていると突然軋む音を立てながら内側から門が開いた。貼られていた護符たちがびりびりと音を立てて破れ落ちていく。


 門の中は、まっすぐに石畳が敷かれた道。両脇には木々が生い茂り、奥には立派な寝殿造の屋敷が見える。屋敷を囲む塀の長さを考えると遠近感が異常だし、日没前だというのに空が青い。


「怜慧君、どーする? ご招待受けてるよー」

「断る。放置して…………ちっ。遅かったか」

 いち早く振り返った怜慧につられて背後を見ると、繋いでいた馬も街道も門も消えて、私たちは石畳の道の上に立っていた。完全に別世界。


「第二王子の罠か?」

「僕の直感としては、第二王子じゃないと思うなー。ここで立ってても仕方ないから、屋敷に行ってみようかー」

「待て、先に式神を」


 そう言った怜慧が懐から護符を取り出す前に、将星の式神が屋敷に向かって飛んでいた。カラフルな七羽のツバメが屋敷の上下左右を飛び回る。


「……異常がないのが異常だねー」

 ツバメは屋敷の中へも入り、外へと出てくる。隅々まで調べても、何も異常な場所はなかった。


「仕方ない。招待を受けるか」

 左に将星、右に怜慧が立ち、私は小さな鳳凰を手に包み、護られながら屋敷へと向かう。空はどこまでも青く、赤い月と緑の月が輝いていた。


 ふと私は気が付いた。

「太陽が無い?」

「ああ。ここは異界ということだろう」

 同じ異界でも、創世の女神が隠れ住んでいた世界には太陽が輝いていた。女神の加護の無い世界なのかと思うと恐ろしいものを感じる。


 寝殿造の屋敷の玄関は、牛車が横付けして乗り降りする構造で、木で出来た階段を上るともう屋敷の中。

「一応、声を掛けてみるか?」

「まぁ、そうだねー。誰か出てくるといいなー」


 三人で苦笑していると、屋敷の奥から、ばしゃばしゃと何かが水に落ちる音が盛大に響き渡った。

「何だ?」

「何だろうねー。上から行こうかー」

「わかった。跳ぶから抱き上げてもいいか?」

 急いでいるからなのか、私が頷いた時には怜慧に横抱きに持ち上げられていた。


 空中に紫の円形の魔法陣が現れて、怜慧は跳んだ。その横に赤い三角形の魔法陣が現れて、将星も跳ぶ。

「あ、跳べるんだ」

 将星の移動魔法は瞬間移動だけではないのか。


「怜慧君にお風呂で教えてもらっちゃったー」

 うきうき。そんな楽しそうな声が将星から返ってきて、怜慧は苦虫を嚙み潰したような顔で歯噛みする。


 どこまでも続く暗い森に囲まれた屋敷を見下ろす高さまで跳ぶと、中庭に広大な池が見えた。その池の中へ、空中に突然現れた一メートルサイズの黒い卵が降り注いでいる。落ちた卵は割れることなく山を築き上げていく。


「卵? 何あれ」

「……屋根に降りるぞ」

 正確には、檜皮葺の屋根の上へ怜慧が作った魔法陣の上に私たちは降り立った。私を腕から降ろした怜慧と将星は黒い卵の山へと厳しい目を向けている。

 

「さーって、何の卵かなー? 五十個くらいありそうだねー」

「きっと、ろくでもないモノだな」


 巨大な卵の出現が止まり、池の中央には黒い小山が出来ていた。池の水は溢れ、白い玉砂利が敷かれた広い庭を水浸しにしている。


「来るよ!」

 将星の言葉の直後、青い空が奇妙な藍色へと変化した。見ていると不安になる色で包まれた空は不気味。周囲の空気が急激に温度を上げて、庭に咲いていた花々が茶色く枯れていく。


 雲一つない藍色の空を斬り裂いて、黒く巨大な鳥が現れた。闇の色に染まる翼は禍々しく、長い尾は闇色の光を振りまく。高音過ぎる金属質な鳴き声は、大気を震わせて不快感を抱かせる。


「朱雀か」

「……私、浄化の術を使ってないのに……」

「お嬢ちゃんが呼ばないから、罠を張って待ってたってことかなー」

 

 空中で静止していた朱雀が、その翼で起こした風を卵の山へと送ると黒い卵に赤いヒビが入った。赤い線のようなヒビは、次々に連鎖するように卵へと広がっていく。


「朱雀の卵?」

「違う……最悪なことしやがって……」

 将星の声には怒りを感じる。まだ割れてもいないのに、将星には中身が何かわかったらしい。


 赤いヒビ割れが出来た卵の山に、轟音を響かせて黒い雷が落ちた。


「え?」

 割れた卵の殻を押しのけて、姿を現したのは人間だった。粗末な袖なしの着物を着た体格の良い男たちがゆらゆらと立ち上がる姿は、まるでゲームに出てくるゾンビのよう。


『あああああああああ!』

『おおおおおおおおお!』

 一斉に叫び声を上げた男たちの肌は土気色で、本当に死人のようで怖い。虚ろな目は焦点があっておらず、叫びながら笑う口からはよだれを垂れ流している。


「……牢獄の罪人だな」

「罪人?」

「腕に黒い輪になった彫り物があるでしょ? あれが、重罪人の証拠。ただし、中身は妖物に喰われて置き換わってるね」


 怜慧も将星も表情は硬い。殻を押し破ったゾンビたちはずぶ濡れになりながら池を出て庭を徘徊し、ゾンビ同士で殴り合う。相手の肉を噛みちぎる姿もあって、慌てて怜慧は私を抱き寄せて目を隠した。


「お前は見ない方がいい」

 ゾンビの奇声や殴り合いの音、何かを咀嚼する音。怖いとは思っても、このままでは怜慧は朱雀と戦えない。私はそっと怜慧の手を降ろして、その瞳を見つめる。


「怜慧、お願い。朱雀を浄化したいの」

 私にできることは、朱雀の浄化だけ。空で飛翔する朱雀の動きを止められるのは、怜慧と将星のみ。

「……わかった」

 緊張した面持ちの怜慧は、私をその腕から解放した。


 再び黒い雷が地面へと落ち、ゾンビたちの視線が一斉に屋根の上に立つ私たちへと向けられた。

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