第四十六話 露天風呂への誘い

 街道沿い街に建つ宿は今日も旅人で賑わっている。金貨二枚で案内された豪華な離れの一軒家にも、その騒がしさが流れてきて、和風の木造建築のあちこちに潜む陰も怖さが薄れる。明るい陽の気は結界替わりになるというのがよくわかる。


 夕方の空には巨大な赤と緑の月。沈み行く白い月は欠けていく途中で半月に近い状態。この世界もちょうど新月のタイミングで日蝕が起きるらしい。


 離れに作られた露天風呂は快適で、ついつい長風呂をして怜慧に心配を掛けてしまった。怜慧の優しさと東我の優しさに思いをはせつつ、窓際に座ってガラスのない格子窓から空を見上げる。通り抜けていく夜風が几帳をはためかせ、お湯で温まり過ぎた体温を心地よく下げてくれる。


 私と交代で怜慧はお風呂へ。怜慧と離れると一気に不安が押し寄せてきた。


「どしたのー? 何かお悩みごと? 僕でよかったら相談に乗っちゃうよー」

 先ほど、怜慧から一緒にお風呂に入ることを全力で拒否された将星が笑顔で声を掛けてきた。毎度断られても懲りることなく、むしろ怜慧の冷たい言動を楽しんでいるような気がしている。


「もー、怜慧君もお嬢ちゃんも、二人だといちゃいちゃなのに一人だとお悩み顔だからさー。お兄ちゃん心配しちゃうよ?」

「お、お悩み顔?」

 それはどんな顔だろう。そして怜慧も悩んでいるというのは、どういうことだろうか。


 ピンクアッシュの短髪に青い瞳の美形は柔らかく微笑んだまま、言葉に詰まった私を待っている。何かを答えなければという気がして、私は口を開く。

「……儀式が終わったら、どうなるのかなって。いろいろ考えてしまいます」

 伝説の龍が召喚されて私が元の世界に戻ったら、もう怜慧とは会えないのか。怜慧も一緒にというのは、不都合があり過ぎるのは想像できる。


 召喚に失敗して私が元の世界に戻れなかったら、その後、私は怜慧にどう扱われるのか。近すぎる距離と羞恥と戸惑いの中、怜慧も私を好きと思っているのか、それとも、希少な神力を持つ者に対する王子の演技なのか、考えれば考える程わからなくなっていく。


「終わったら東我さんの屋敷でしばらく休んで、ゆっくり考えたらいいんじゃないかなー。日蝕の儀式の後、王宮でかなりいろいろあると思うけど、お嬢ちゃんは怜慧君が護ってくれるよー」

 はたして怜慧は、今のように隣にいて護ってくれるだろうか。王子としての責務もあるはずだし、東我を超える為の魔術師としての勉強も始めるだろう。


 そして私は何をするのか。何ができるのか。全く想像もできないのが不安。 


「元の世界に戻りたい?」

「……」

 即答は出来なかった。友達や家族のことも心配で、そしてあの時見せられた夢の光景。もしかしたら、爆発事故で死んでいるのかもしれないという恐怖もある。


「お嬢ちゃんが元の世界に戻りたいのなら、怜慧君も僕も方法を探すよ。きっと東我さんも探してくれるよ」

 将星は怜慧が伝説の龍を召喚しようとしていることを知らない。東我は最初に会った日に戻る方法を探すと約束してくれている。


「……迷っています。私は怜慧と一緒にいたいと思っていて。でも、元の世界に戻ったらもう会えない」

「そっかー。こことお嬢ちゃんの世界と気軽に行き来できたらいいのにねー」

 この世界と元の世界を自由に行き来できたら。私の心の中に、そんな都合の良い願いがあることに気が付いた。


「お嬢ちゃんは怜慧君のこと、どう思ってる?」

「ど、どうって……」

 好き。そんな単純な一言を口に出す勇気はなくて。


「……怜慧は、何を悩んでいるんでしょうか」

 答えることができなくて困った私は、話を変えることを選択した。怜慧が何を悩んでいるのか。馬上では話が聞けないし、顔を合わせていると嬉しさで気持ちが浮つく。


「まだ聞いてないからわからないけど、なんか深刻なんだよねー。……お嬢ちゃんと会う前の怜慧君って、感情も表情も乏しくてさ。笑わないし泣かないし……何て言ったらいいかな……作りたてで何も入っていない紙人形みたいだったのにさ」

 ふと気が付くと、将星は私のすぐ近くに迫っていた。荷物の上で眠っていた鳳凰は消えていて、将星と二人きり。別の意味での危機感で、背筋に緊張が走る。


「お嬢ちゃんの将来は、僕に任せて欲しいな。僕なら一生涯、大事にすると約束す……」

 甘い微笑みを浮かべながら私の頬に手を伸ばそうとした将星の頭に、バスケットボールのような何かがぶつかって将星は吹っ飛ばされた。


「……鳳凰に呼ばれて来てみれば、これか……」

 見れば白い湯着から湯気を立たせた怜慧が、怒りの形相で立っていた。倒れたままの将星の方を見ると、ボールサイズに膨らんだ金色の鳳凰が将星の頭の上にずっしりと乗っている。鳳凰はいつもと同じ顔なのに、怒っているように見えるのは気のせいだろうか。


「ミチカ、無事か?」

 怜慧の銀色の髪からはお湯が滴っていて、急いで駆け付けてくれたことがわかる。

「ありがとう。無事無事」

 緊張感が抜け、恥ずかしさと嬉しさで頬が緩むのは許して欲しい。赤い瞳が盛大に揺れたかと思うと、怜慧は大股で将星に近づいて、将星の襟を掴んだ。ごろりといつになく重い音を立てて、鳳凰が将星の頭の上から転がり落ちる。


「鳳凰! 将星の替わりに、ミチカの護衛を頼む!」

 手のひらサイズに戻った鳳凰が、了承したというように体を震わせる。その姿は何故か凛々しい。

「れ、怜慧? 将星さんをどうするの?」

 まさか宿の外に捨ててきたりしないだろうか。怒りのオーラに包まれた怜慧は、そのくらいしそうな勢い。


「心配するな。風呂に連れて行くだけだ。お前と将星を二人きりにさせた俺が馬鹿だった」

 気を失ったまま、ずるずると引きずられていく将星の姿を見ても、可哀そうと思えないのは何故なのか。首を傾げた瞬間、満面の笑みでウィンクする将星の顔を見てしまった。


 その時私は理解した。将星が私に迫ったのは演技で、きっと怜慧と一緒にお風呂に入りたかっただけ。


 将星の『地にめり込んだ女運』が、ますますめり込んだような気がして、私は笑ってしまった。


      ◆


 観光めいたこともしながら、ゆっくりとした旅はあと七日で終わりを迎えようとしていた。『十二之宮』へ御神体と水晶を納めて、一度王都へ戻るという計画は白紙。このまま龍の召喚を迎えることになっていた。


「あと少しで街道を曲がる。旅人は正面から王都へ向かうから右へ行く。俺たちは左だ」

 しばらくして十字路が現れた。怜慧の言葉通りに大多数の旅人は右へと曲がり、ほんの数名はまっすぐ。左へと曲がったのは私たちだけだった。


「……全然人がいなくなると、こんなに寂しくなっちゃうものなのね……」

 賑やかな人混みが迷惑と思うことは時々あったのに、いざ無くなると寂しい。街道に敷かれた灰色の石畳とまばらな木々の光景が、わびしさを醸し出している。


「そうだな。……いなくなると寂しいな」

 怜慧はそれきり黙ってしまった。その言葉の意味を深読みしそうになって困る。


 先日の騒動から怜慧は将星と私が二人きりになるのを徹底的に阻止していて、怜慧が何を悩んでいるのか将星から聞けてはいなかった。だから、余計に気がかりで。


 日が傾きかけてきた頃、街道沿いに白い壁が見えてきた。王都で見た貴族の屋敷と同じ壁。ただ、その色は土であちこち汚れていて、崩れている箇所もある。


「……おかしいな……」

「どうしたの?」

「……人がいない。俺の母方の祖父が住んでいるはずなんだが」


 壁に作られた立派な彫刻が施された門は朽ちていて、金具が剥がし取られた跡もあり、昔はかなり豪華だったとわかる。門には複雑な模様が掛かれた紙のお札が何重にも貼られていて、大きな木札が立てられていた。


『呪詛が掛けられている為、立ち入りを禁じる』


 一メートルはありそうな木札の前で、私たちは困惑するしかなかった。

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