第四十五話 甘い誘惑と馬上の囁き
早朝、怜慧の集束魔法を見ながら、体育の時間の定番体操で体を動かす。昨日、調子に乗って食べた岩瓜がマシュマロと同じカロリーだったら、きっと恐ろしい数値になっているはず。
「お嬢ちゃん、何してるのー?」
「将星さん、気にしないで下さい。私は今、少しでもカロリーを消費しようと必死なんです」
最近、怜慧にお菓子や果物を口に運ばれて舞い上がっていたけれど、冷静に考えるとカロリーオーバーではないかと気が付いた。着物に似た和風装束は、紐で結んで着るものばかり。体重計なんて便利な物は皆無の世界だし、太ってもわからなくなりそう。
「熱量を消費? えーっと……痩せたいってことかな? 魔力を使ったら痩せられるけどー」
「は?」
聞き間違いでなければ、魔力で痩せられる。そんな便利な魔法がある世界だったのか。
「切実に痩せたいです。よろしくお願いします」
「あ、ごめん、ごめん。他人を痩せさせるっていうのじゃなくて、魔力を使うと痩せるって話なのよー。僕らの食べる量が多いのも、それが理由なのよねー」
そうか。そういうことなのか。がくりと項垂れた私は気が付いた。
「も、もしかして、神力を使ったら……」
浄化の術でなければ、神獣を呼ぶこともないかも。
「こら。馬に乗っているだけでも体力は使っているだろ」
期待で顔を上げた私の両肩を背後から怜慧が掴んだ。キレた私が勢いよく振り返ると肩から手が外れる。
「誰のせいだと思ってるのっ?」
「お、俺のせいなのかっ?」
「怜慧が私を甘やかすから悪いのよっ! お菓子とか果物とか、美味しい物で誘惑しないでっ!」
「ゆ、ゆ、ゆ、誘惑っ……? いや、その、俺は……また魂が……と心配で……」
うろたえる顔が可愛いと思っても、それとこれとは話が別。ここできっちり話をつけておかないと、美味しい物の誘惑は断ち切れないと思う。
「大丈夫大丈夫。きっと怜慧君が責任取ってくれるよー」
どんな責任を取ってくれるというのか。無責任なことを言わないで欲しい。
「装束の寸法が合わないのなら、新しい装束を取り寄せる。何色がいい?」
ひらめいた。そんな表情の後で告げられた言葉がこれ。
「ちーがーうー! サイズの余裕は十分あるから!」
おやつは一日の適正量で納めたい。怜慧の誘惑さえなければ、我慢できるはず。
将星が怜慧に何かを囁き、怜慧が私の手を握った。突然の至近距離で頬に熱が集まっていく。
「お前は可愛いから、多少肉付きが良くなっても大丈夫だ。……むしろもう少し肉があった方が俺は良いと思う」
「ちょ、怜慧君。僕はそこまで言ってないよー! 願望駄々洩れだよー!」
「は? それって、私を太らせようとして食べさせてたってこと?」
将星の突っ込みは耳を素通り。半眼で怜慧を見上げつつ、問い詰める。
「い、いや、そういう訳では……」
「もう、怜慧の誘惑には絶対乗らないんだから! 絶対よ!」
私は怜慧の手を振り払い、うろたえる二人に向かって宣言した。
◆
朱雀が守護するエリアに入ると、明らかに周囲の気温が上がった。これまでは心地よかった気温が、真夏とはいかないまでも、じわりと汗が滲む暑さ。
日中の街道は歩く人がいっぱいで、急ぎたい荷馬車や馬に乗る人が通してくれと叫ぶと、人々が道を空けてはくれる。怜慧と将星は急がせることもなく、周囲を気遣いながらゆっくりと馬を進めていく。
「怜慧、街道の外を走る方がいいんじゃないかな?」
元の世界の馬は、繊細で臆病な生き物だと聞いている。異世界の馬はかなり大きいし、全く同じではないだろうと思っても気になる。
怜慧は懐から護符を一枚取り出し、防音結界を張って口を開いた。
「……昨日、街道から外れたら異界へと入っただろう? 何故かはわからないが、この辺りの空間は異界へ繋がりやすくなっているようだ。女神は俺たちをここに戻してくれたが、もしも
そうか。そういう理由だったのか。道を外れたら敵に遭遇なんて、まるでRPGゲームの世界。
「どうして街道は大丈夫なの?」
「人々が持つ陽の気が集まって、結界と同じ効果を作りだしている。多くの人々の笑いは、穢れを寄せ付けず払い清めるからな」
成程。祭りへと向かう浮かれた人々の明るい笑顔と話し声にそんな効果があるとは知らなかった。怜慧と将星が見ている世界と、私が見ている世界が微妙に違うことが、少し寂しい。
「どうした?」
「結界とかそういうの、全然感じないしわからないなーって。私にもわかったら便利なのに」
神力があるはずなのに、私にはさっぱり。
「……正直に言えば、わからない方がいいと思う。……見えていても見えないふりをするというのは、時折苦しくなる」
「苦しくなる?」
「……結界が破れたり、神の加護がない村や人を見ても、全部を助けることはできないからな。東我と違って、俺が手助けできる範囲は限られている」
優しい怜慧は、見えるからこそ、助けられない自分を責めてしまうのか。
「東我さん、ものすごい年上だもの。怜慧も東我さんと同じ歳になったら、同じくらい結界作って人を護ることができるようになるんじゃないかな。もっとすごいこともできるかも」
王都を一人で護る東我の魔法は凄いと思う。でも、怜慧はそれを超えそうな気がする。
私の言葉を聞いて、何故か怜慧は黙り込んでしまった。ただ、腰に回された腕の力が強まって、背中に怜慧の体温を感じる。振り返って顔を見ようと思っても、首に掛かる怜慧の息が近すぎて恥ずかしい。
「ごめん。何か悪いこと言った?」
「いや。……俺が東我を超えられるか、考えているだけだ。……そうだな。東我を超えたい。……俺が東我を超えられると本当に思うか?」
「私は超えられると思う。信じていれば願いは叶うと思うの」
無責任な言葉かもしれなくても、私は怜慧を応援したい。
「そうか。俺も信じてみるか」
笑う息を感じると同時に緩みかけた怜慧の腕が止まった。何故と振り返りかけると、馬に乗った将星を含め、周囲の人々が私たちを凝視していることに気が付いた。
「……っ!」
防音結界を張っていたから、何を話していたのかは周囲の人には聞こえていないはず。この状況では、馬上で背中から抱きしめられて囁かれていたように見える。
走って逃げ出したくても、異界へ紛れ込みたくはないし、人が多すぎ。
「怜慧の馬鹿馬鹿馬鹿! 場所を考えて!」
「す、すまない……」
ぺちぺちと怜慧の腕に八つ当たりをしながら、熱くなった頬と羞恥を持て余した私は青い空を見上げるしかなかった。
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