第四十三話 女神の隠れ家
翌日、日も高くなった頃、私たちは宿を出発した。街道を歩く旅人が増えていて、荷馬車と馬はゆっくりと歩くしかなくなっている。歩く人も馬との距離を取るように気を付けてはいても、人が増えると気にしない人も混ざっていて、ひやりとする場面もある。
「ひゃっ!」
前を歩いていた旅人の集団がふざけていて、馬の前へと数人が倒れ込んだ。馬は前脚を高く上げて方向を変え、人を踏むのを避けた。その代わりに私は背後で私を支える怜慧に倒れ掛かって、片腕でぎゅっと抱きしめられる。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしちゃっただけ」
胸のどきどきは、馬のせいなのか、怜慧のせいなのか。
「馬って、ものすごく賢いのね」
「ああ」
馬は何事もなかったかのように歩いているのに、私をぎゅっと抱きしめる怜慧の腕は緩まない。怜慧はそんなつもりはなくても、指先にキスをされた私はもう意識しすぎて口から心臓が飛び出そう。
「……何故、俺を避けるんだ?」
「さ、避けてる訳じゃなくて……は、恥ずかしいだけだから!」
耳元に囁かれた言葉でもう限界。
「恥ずかしい? ……そ、そうか」
「れ、怜慧こそ、何か、変でしょ。どうしたの?」
昨日から目が合うと逸らしたり手や体が触れるとぱっと離れたりするのに、こうして抱きしめるように密着したりする。もう、何が何だかわからなくて混乱するのみ。
「俺は……お前が心配で…………いや、違うな…………自分でも、よくわからない」
好きという言葉を期待した訳ではないのに、肩透かしのような若干の失望感。私と同じで混乱しているだけなのか。抱きしめ続ける怜慧の腕をぺちぺちと叩くと、力が緩んだ。
「これからは、適切な距離でお願いします」
「ああ。わかった」
そんな返事が背後からあったのに、私が少し離れようと動くと逆に怜慧の腕の力が強まった。
「ちょ。言葉に行動が伴ってないでしょ」
「……す、すまない」
我慢できずに振り返ると、頬を赤くして口を引き結ぶ怜慧と目が合った。笑顔とは違う可愛さに、胸がときめく。カッコイイのに可愛い。それはずるいと叫びたくなる。
「……れ、怜……!」
はっと気が付くと、周囲を歩く人々は私たちを興味津々といった顔で見上げている。馬上の私たちは全然周りが見えていなかった。
「僕たちは気にしなくていいよー。さ、続けて続けて―」
「……少々走るぞ」
「了解っ」
すぐ後ろにいた将星の声で我に返った怜慧は、人を避けて街道脇の林へと馬を走らせ始めた。
◆
林を抜けるとモンステラに似た巨大な葉が茂り、太い茎にびっしりとキュウリやカボチャに似た赤い花が咲く畑が広がっていた。色が濃すぎて、ここだけを切り抜くと南国か熱帯雨林かと勘違いしそう。青い空に浮かぶ赤い月と緑の月が異世界感を増している。
「これ、何?」
一株の高さは約三メートルくらい。馬上でも見上げる高さで、一メートルはありそうな巨大な葉の先が目の前に垂れ下がる。
「岩瓜の木だな」
「岩? 硬いの?」
「ああ。岩瓜の果実の皮は岩のようで食べられないが、割って中身を食べる。果肉は淡い紅色で甘い。食べたいか?」
「んー。興味はあるけど、季節じゃないんでしょ?」
見回しても茎についているのは赤い花ばかりで実はないし、この世界にビニールハウスは無さそう。
「聞いてみよう」
無理をしなくてもというのは建前で、聞いたことのない果物を食べてみたいとは思う。怜慧はゆっくりと馬を進めて、畑の奥に見える人家へと向かった。
畑と林に囲まれて、ぽつんと建つ家は、真新しいヒノキの香り。これまでに見た村の家とは全く違っていて、神社やお寺に似た雰囲気。東我の屋敷ほど広くはなく、こぢんまりとしている。
「神社?」
「……覚えがないが……」
怜慧が広げた地図には、岩瓜村と書かれていた。まさしく作物がそのまま村の名前。
さらに近づくと、ぱたん、からからという規則的な音が聞こえてきた。軽やかな音は絶え間なく繰り返されて、まるで音楽のようで心地いい。
「機織りの音だな」
「わかるの?」
「ああ。…………俺の母親が時々布を織って、俺に装束を作ってくれていた」
「それ、すごっ。布から作っちゃうんだ。怜慧のお母さんって、怜慧のこと大事にしてくれてたんだね」
「大事?」
「だって、普通は布から作らないでしょ。愛情ないとそんな大変なことできないもの」
「………………そうなのか?」
怜慧がその静かな表情の下で驚いていることを感じる。何をそんなに驚くのだろうか。
「この世界では、皆が布作ったりするの?」
「いや。布は職人が作って王宮へ納めている。その布を使って装束を縫うのが女官の仕事で……俺の母親は身分の低い貴族で、王の妃になる前は女官だった。誰よりも美しい布を織り、美しい装束を縫う姫だと評判だったらしい」
それだけを聞くと、女官が王妃になるシンデレラストーリー。実際の王宮内は王位継承をめぐって毒殺される危険がある陰謀渦巻く世界。現実はお伽話のように甘くは無いらしい。
『何か御用でしょうか』
いつの間にか馬の近くに立っていたのは、水色の大きな瞳の十歳くらいの少女。ふわふわとした長い白金髪をピンク色の大きなリボンで結び、ピンク色の着物に淡いパープルの帯に丸い靴。夢カワイイを体現したかのようで、かわいいと叫びそうになったのを堪える。
「通りすがりの旅の者だが、岩瓜を少々売ってもらえないだろうか」
『
ぺこりと頭を下げ、少女は家へと戻っていく。怜慧と馬を降りて待っていると、機織りの音が止み、少女が籠を抱えて戻ってきた。
籠の中には、ラグビーボールのような形をした岩三個。どうみても完全に黒い岩。
『代金は、貴方様がお持ちの水晶の勾玉を一つと、主が申しております』
瓜三個にそれは高すぎるのではないかと思ったのに、怜慧は顔色一つ変えることなく、馬に乗せた荷物から勾玉の箱を一つ取り出して少女へと手渡した。もしかしなくても、超高級フルーツだったのか。
「季節外れの貴重な品に感謝する。主にも伝えてくれ」
怜慧がそう口にした途端、格子戸が少しだけ開いた。暖かい陽だまりのようでありながら、清冽な空気が周囲を包む。その気配は宮の神々よりも強くて暖かい。
その瞬間、何故か私にはわかった。この家の主は、創世の女神。あの神殿から逃れて、この家にお隠れになっている。
「女神様! ありがとうございます!」
私の声で驚いた顔をした怜慧は、開いた格子戸へと向かって、深く深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
私も慌てて深い礼をして、二人で顔を上げると女神の家も岩瓜の畑も少女も綺麗さっぱり消えていた。目の前には、林に囲まれた古くて大きな切り株一つ。
「あれ? 消えちゃった……」
「ああ。岩瓜は残っているぞ」
怜慧の手には、三個の岩瓜が入った籠。
「家に隠れていらっしゃったのは創世の女神様と思ったんだけど、違ったかな?」
「俺もそうだと思った。これまでになく温かな力を感じた。ご無事でよかった」
「そうね」
二人で微笑み合った時、走る馬の音が近づいてきた。
「怜慧くーん! もー、いきなり置いていくなんて酷ーい」
愚痴りながら近づいてきた将星は、馬を止めて岩瓜を凝視した。
「え? それ、マジでヤバくない?」
「何が?」
「その岩瓜から強すぎるくらい神力を感じるんだけど」
よく見てみると、岩瓜は淡く光っているようにも感じる。
「ああ、創世の女神から頂いたからな。三つ頂いたから将星の分もあるぞ」
「れ、怜慧君、う、嘘でしょ? それ、食べるの?」
「今夜の宿で食べるつもりだ。将星が食べないのなら、俺たち二人だけで食べる」
「ちょ、待って待ってー。食べる、食べるからー!」
青ざめたり赤くなったりと、忙しく表情を変える将星を見て、怜慧と私は顔を見合わせて笑ってしまった。
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