第三十九話 神様が起こす奇跡

「腹は減ってないか? 大丈夫か?」

「朝ごはん、さっき食べたでしょ? 大丈夫だから」

 私が幽体離脱してから、怜慧がさらに過保護になったのは間違いないと思う。馬上の距離も近すぎて、ほんの少しでも離れようとすると引き戻される。そんな状況に対する胸のドキドキやときめきは、空腹の確認ですべて台無し。


「怜慧君、女の子はそんなに食わないからねー。ほどほどにしなよー」

 呆れ顔の将星からも突っ込みが入るのだから、相当なもの。この二日間、街道沿いの茶店が見えるたびに、何か食べるかと聞いてくる。


 十二之宮の三つの結界のうち二つが完成したせいなのか、大雨は降らなくなった。赤と緑の二つの月と小さな白い太陽が輝く空はどこまでも青くて、吹く風も快適。


 街道を歩く旅人の数は増え、荷馬車も馬も緩やかな速度で進む。時折、傍若無人な馬や馬車が凄まじい蹄の音を立てて走ってきて、人々が慌てて道を空ける。

「もー、クラクションもないのに、危ないじゃない!」

「警笛? 笛の替わりに警告音が響く蹄鉄を付けているだろ? あれは文や荷物を届ける役人だ」


「そっか。だから誰も文句を言わないのね」

 成程。あの凄まじい馬の足音は特製の蹄鉄のせいなのか。警告音は前へと指向性を持たせているのか、過ぎ去るとすぐに聞こえなくなった。


 一時的に街道脇に避難していた人々が、再び戻って歩き出す。歩く人々より多少は早くても、馬の歩みは緩やか。


「……ゆっくりすぎない?」

「すでに作った二つの結界の相乗効果は、事前に想定していた以上に強力だ。多少時間を掛けても問題ないだろう」


 あと一つの結界を完成させるためには、『九之宮』と『十二之宮』へ御神体を戻す必要がある。王都の結界を完成させて……龍は召喚しなくていいと思うのはワガママだろうか。


 怜慧も私と一緒にいたいと言ってくれた。でも、それはこの旅路の間だけのことなのか。この先もずっとと願う私の目の前で、今朝も龍の召喚の為の集束魔法を行っている。


 ……元の世界に戻っても、もしかしたら、私は……。あれは夢かもしれない。この世界も夢かもしれない。何が正しいのかわからなくて、ぐるぐると思考は回る。


 やがて街道は二つに分かれ、人々は王都を目指して左へと曲がり、私たちは右の道へと馬を進めた。


      ◆


 青龍が護っていた土地には、大きな川が流れている。立ち寄った川沿いの街には小さな旅館や飲食店が立ち並び、大勢の旅人で賑わっていた。


「この人たちも、王都に行くのかな?」

「そうだろうな。元々、ここは風光明媚な観光地として有名な場所だ。全国から人が集まる」


「貴族じゃなくても観光旅行とかできるのね」

 質素な着物や住居からイメージしていた清貧生活とは程遠い。失礼な話、旅行にも行けないくらいの生活水準と考えていた。


「……貴族の方が、気軽な旅行には出られないかもしれないな。物忌みだの方角だの、暦や占いを気にするヤツが多いし、王都が一番の格上で良い場所だと妄信して、都外に出るのは格下の下賤の行為と公言する高位のヤツも複数いる。貴族はしがらみだらけで動き難い」

 背後から、大きな溜息一つ。実際にそんなめんどくさい人がいるのかと思うと、王子様も貴族も大変。


「おい、菓子屋があるぞ。干菓子はどうだ?」

 溜息から一転、怜慧が声を上げた。怜慧の示す菓子屋は百メートル先でこじんまりと建っている。小さな木の看板で、よく見つけたなと感心している間に、馬は菓子屋へと一直線。


「ちょ。お菓子とかいらないから! 太ったらどうするの!」

「大丈夫だ。多少肉付きが良くなっても、お前は可愛い」

「かっ……」

 怜慧の声は真剣で、一気に顔が熱くなっていく。


「えっ、そ、その。か、可愛い?」

「ああ。可愛い」

 振り向いた私と目を合わせても断言されてしまうと、もう何がなんだかわからないくらいに顔が熱い。


 私の一応の抵抗もむなしく、怜慧は干菓子と飴を大量に買い込んだ。


      ◆


 目指す『九之宮』は、観光地にある湖のど真ん中で朽ちていた。中央の岩上で崩れ落ちた建物を苔が覆い、おそらくは鳥居だった黒ずんだ木は、両脇の柱だけが残っている。朝日で輝く緑あふれる湖岸と美しい水面。照らし出された廃墟との対比が寂しくも美しい。


 割と早朝だというのに、ひっきりなしに見物客が参拝して賽銭箱にお金を投げ入れている。

「やけに堂々と参拝してるけど、いいの?」

「いや、そんなはずは……」

「建前では宮への参拝じゃなくて、湖への参拝ってなってるからねー」

 成程。宮ではなく湖への参拝で言い逃れしているのか。


「この街の管轄の検非違使に毎年、多額の献金が入ってたと記憶してるよー」

 将星がそっと囁く言葉で納得。頑丈な鍵が掛かった賽銭箱は大きくて、相当なお金になりそう。街で馬に乗ってパトロールする黒い検非違使の姿を、短い滞在中に何度も見かけた。


「どうするの? 人、多すぎじゃない?」

「派手にやっちゃえばいいんじゃないかなー? おもしろそうじゃーん」

 将星は軽い笑顔で言い放ち、怜慧は口を引き結ぶ。逆再生動画のないこの異世界で、リアルな宮再生を見たら人生変わりそう。


「人払いの結界を……」

「あれだけの人数を排除するなら結構な魔力喰うよー?」

 将星が示した先、百人近い人がばらばらと歩いてくるのが見えた。この瞬間も参拝している人がいる。


「自分は奇跡を目撃したっていう土産話ができるじゃん。これだけたくさん証人いるから、嘘つき扱いもされないよー。平気平気ー」

「そういえばそうですね」

 一人二人の目撃なら、嘘つき呼ばわりされてしまうかもしれなくても、これだけの人数が証言したなら、それはきっと本当の奇跡と思われる。


「わかった」

 腹を括ったという顔で、怜慧は息を整えた。

「宮の前まで跳ぶ。抱き上げていいか?」

 怜慧が私を抱き上げると、周囲にいた人々が目を向けた。これは恥ずかしいかも。


「いくぞ」

 宣言と同時に、怜慧は湖上へと跳ぶ。現れた紫色の魔法陣を踏むと、周囲に五色の光の花びらが舞い散った。


「これは……将星か! あの馬鹿っ!」

 広範囲に派手派手しく花びらが舞い、人々の動揺と驚愕の声が背後に広がっていく。ぎりぎりと歯噛みしながらも、怜慧は跳び続け、やがて岩の上へとたどり着いた。


「後ろは見たくないな」

「私も見たくない」

 花びらが煌びやかに舞う中、騒々しい声へ背を向けたまま、怜慧と語り合う。ただただ恥ずかしい。


「さっさと済ませましょ」

 鳥居と思しき柱に手を触れると白い光に包まれて、逆再生が始まった。鳥居が元の形を取り戻し、苔に埋もれていた宮の建物が持ち上がり、元の姿を取り戻していく。黒ずんでいた木は朱色を取り戻し、さび付いていた金属は金色に輝く。


 再生が進むにつれて、背後が静寂に包まれた。気になってちらりと見ると、数百に膨れ上がった見物客が手を合わせ息をのんで見守っていて、涙を流している人も見えた。

「う、嘘っ。増えてるっ」

 私の声で振り返った怜慧も息をのむ。


「早く済ませよう。開けてくれないか」

 怜慧の冷静な声で、焦る気持ちが落ち着いた。鳥居をくぐり、宮の格子戸に手を触れると、かちりと音がして扉が開く。中は二畳ほどの部屋があった。


 二人で手早く清掃して、御神体を元に戻し、お酒と勾玉を奉納。どんな神様がいらっしゃるのかと顔を上げると、水色と赤のツートンカラー、ビジュアル系バンドメンバーのような髪型で、白い狩衣姿に琵琶を持つイケメンが現れた。


『久しぶりに戻ってこれたぜ! 派手に決めるぜ!』

 琵琶をかき鳴らす姿は、まるでロックバンドのギタリスト。妙にかっこよく感じるのは何故なのか。


「我々は失礼致します」

 小声で挨拶をした私たちは、笑顔で頷く神様の邪魔をしないようにとそっと宮の外に出た。


 今度は目立たない場所へと跳んで二人で振り向くと、湖の周りはまるでライブ会場。宮からは琵琶の音楽だけでなく、派手な光がレーザービームのように何本も空へと放たれて、光の花びらが紙吹雪のように舞う。熱狂した人々は手を振り、音に合わせて踊っている人もいる。


「……皆、楽しそうね」

「そうだな」

 私たちが起こした奇跡より、神様が起こす奇跡の方が派手。どちらからともなく、私たちは大声で笑い出した。

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