第三十八話 魂と体の分離

 新宿駅の雑踏の中、夏の制服姿の私は学生カバンを持って歩いていた。夏休みの間、図書館で借りた本を元にしてお菓子をたくさん作ろうと思っていた。


 将来パティシエを目指すつもりはなく、お菓子作りは趣味の範囲で。家族や友達がお菓子の出来に驚いて、美味しいと喜ぶ顔が好きだった。


 占い師という職業も選択肢になくて、とりあえず大学に行って、それから将来を考えるつもりでいた。

 

 私にタロットカード占いを教えてくれた祖母は、農家でお米を作りながら、農閑期に知人の紹介限定で占いをする程度。当たると評判でも、占い師として金銭を受け取ってはいなかった。


『一生に一度の何かを選ぶ時は、自分のことだけを考えなさい。家族や友達がどう思うかなんて考えなくていい。家族といっても他人。自分の人生を背負ってくれることはないからね』


『家族が悲しむからと自分の願いを曲げても、その後に待っているのは後悔だけだよ。家族の為、他人の為だったと後悔し続けるよりも、自分の気持ちに正直に、これが自分の選んだ道だと胸を張って生きなさい』


 ふと、亡くなる直前の祖母の言葉を思い出した。祖母は自分の死期を知っていたのか、生前整理をきっちりと済ませて眠るように生を終えた。


 あちこちで工事が行われている新宿駅は混んでいて、新しく出来たバスターミナルへと向かう旅行者が大きなトランクを引きながら歩いている。


「あ、ごめんなさい」

「ご、ご、ごめんなさいっ!」

 壁に設置された大画面ディスプレイの動くポスターに視線を取られて、大きなトランクを引いた長い髪の女性の肩にカバンがぶつかってしまった。あきらかに私の方が悪かったのに、女性は申し訳なさそうに会釈して歩いていく。しまったと肩に掛けていたカバンを胸に抱え直して歩き出す。


 唐突に世界の音が消えて、白い光が周囲の光景を塗りつぶした。


『何?』

 私の体は半透明になって浮いていた。下を見ると、私が歩いていた場所が深く抉れて、コンクリートと土がむき出しになっている。私を含め、私がぶつかった女性も、周囲にいた人々はその姿もない。


 ……あの時、何かが爆発した。そして、おそらく私は……。

 血の気が引き、ぐらりと世界が回るようなショックに耐えきれず、私は目を閉じた。


          ◆


 目を開くと、異世界の宿の中庭で私は浮いていた。地面に倒れた私を抱きかかえる怜慧の姿が見える。

「ミチカ! どうした! 目を覚ませ!」

 怜慧は私の肩を抱き手を握りしめて、必死に呼びかけている。……私はここにいるのに。私の体を抱きしめる怜慧の姿に、嫉妬してしまう。


 赤い円形の魔法陣が地面に現れて、中央に立つ将星が何かを探すように周囲を見回し、やがて空に浮かぶ私と目が合った。

「怜慧、体を動かすな! お嬢ちゃんはそこにいる!」

 将星の声に反応した怜慧が顔を上げ、視線を巡らす。将星に私の姿は見えていても、怜慧には見えないらしくて視線は合わない。


「頼む、ミチカ。戻ってきてくれ」

 合わない視線がもどかしい。怜慧の腕に抱えられた体に戻ろうと近づくと、まるで反発する磁石のように押し戻される。


「俺は、お前と一緒にいたい」

 一緒にいたい。その言葉が私の心に響いた。もしもこの異世界が死後の世界だったとしても、私の夢だとしても、そんなことはどうでもいい。私も、怜慧と一緒にいたい。


『私も一緒にいたい。だけど、どうやって戻るのかわからないの』

 手を伸ばしても届かない。すぐ目の前、そばにいるのに。


 倒れた私の装束の胸元から、金色の鳳凰がころりと地面に転がり落ち、空中に『審判』のカードが白い光を帯びて現れた。


『貴女の、真実の願いは何ですか?』

 鳳凰から放たれた声は『魔術師』。『魔術師』は私に『審判』を受けろと言っている。『審判』のカードの意味は、単なる復活や再生だけではなく、後戻りのない最終決断、とらわれていた過去や物事を手放して新たな目覚めを促す意味もある。


『私は、怜慧と一緒にいたい!』

 心の叫びと共に『審判』のカードに手を伸ばす。今、この瞬間を怜慧と一緒に。ただそれだけを願う。


 白い光に視界が奪われて、その眩しさに目を瞑る。


「ミチカ! ……よかった、戻ってきた……」

 怜慧の腕の中、温かな体温を感じてほっとしながら目を開く。怜慧のそばに戻ってこれたことが嬉しい。今すぐキスできそうな距離で見つめあう。将星の時は怖かったけど、怜慧とならキスしてもいい。


「はいはい。良い雰囲気の所、お邪魔するけどー。続きは寝所でねー」

 苦笑する将星の声で、二人きりではないと気が付いて距離ができた。慌てて立ち上がろうとする私を、怜慧が抱き上げる。


「はー。僕もいちゃいちゃできる可愛い彼女欲しいなー」

 がくりと項垂れる将星の横で、私と怜慧は顔を見合わせて微笑み合った。


      ◆


 用意された部屋は整っていて、明らかに高そうな雰囲気を漂わせていた。木の床に分厚い置き畳。几帳で区切られた二十畳の部屋は、貴族の屋敷で見たものに近いから、貴族の為に作られた部屋なのだろう。ただ、周囲から聞こえる人の声は宴会でもしているのか賑やか過ぎて、静寂とは程遠い。


「何があった?」

「それが……全然わからないの」

 将星が呼び出した水の精霊の診察を受けても、私の体に病気や異常はなかった。


「今まで、何か兆候はなかったー?」

「あ。物を掴む時とか、目で測る距離と合わないことがあったりしました」

 将星に聞かれて思い出す。自分の体ではないような奇妙な感覚のことは言いだしづらい。


「魂と肉体が離れやすい体質ってことかなー? ……まさか」

 首を捻って考えていた将星が、何か気付いた顔をした。

「将星、隠さなくていい」


「……女神降ろしの為に、お嬢ちゃんの魂と肉体を離れやすい状態にしているのかもしれない。もしくは、元々そんな特性があるお嬢ちゃんを召喚したか」

「そうか。女神と魂の入れ替えが目的か」

 私の体を女神に乗っ取られる。想像しただけでぞっと背筋が寒くなって体が震える。そんな私に気が付いたのか、怜慧は私の肩を抱き寄せた。怜慧の温かさを感じると心強い。


「魂が離れにくくする方法はあるか?」

「今は思いつかないねー。……さっき東我さんに相談しようと思って式神送ったんだけど、王都に入る所で破られたんだよねー」

 破られたと聞いて、怜慧の顔に緊張が走った。


「破られたって何ですか?」

「誰かに術を破られた、つまりは式神を破壊されたってことー。あ、式神は死んだりしないから安心してねー」


「王都で何かが起こっているということか」

「そうみたいだねー。第二王子の力とは思えないから、予言者か、最後に残った朱雀ってところかな。負け戦確定の第二王子に協力する魔術師がいるとは思えないしー」

「そうだな。あいつにそんな人望はない」


 酷い言われようだと思っても、そもそも私を召喚した第二王子が全て悪い。一瞬でも可哀想と思った私はお人好しなのかも。


「今は俺たちに出来ることを済ませるしかないな」

「そうだねー。宮の結界を完成させることが最優先かなー」


 怜慧と将星が好戦的な笑顔で笑い合う。終わったら第二王子を二人で殴りに行きそう。そんなことを考えた時、部屋にお腹が鳴る音が響き渡った。

 

 ちょっと待って、私のお腹。どうしてこの緊迫したタイミングで鳴るのか。


「もしかして……魂が分離したのって、お腹減ってたのが理由?」

「違います! 関係ありません!」


「すぐに夕飯を頼もう」

「ちょ、本当に、違うから!」

 これ以上は鳴らないで欲しい。頬に羞恥が集まっていくことを感じつつ、私は懸命に否定し続けた。 

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