第三十七話 地にめり込んだ運
目的の『七之宮』は深い森にそびえ立つ岩山の断崖絶壁の途中に埋もれていた。下から見上げると十メートル、上から見ても十メートル。階段やはしごもなくて、くりぬかれた岩の中に、崩れかけた社が存在する状態。両側には細い滝が流れ落ちていて、滝壺が青く澄んだ水を湛えている。
二つの滝が落ちる滝壺の前には、長机くらいの大きさで、厚さ十センチの平らな岩が置かれている。その両脇には、草や苔に覆われた六十センチくらいの小山。
岩の前に立つと、滝の水しぶきが細かいミストのように感じられて気持ちいい。濡れる程でもなく、潤う感触が快適。空気を肺いっぱいに吸い込むと森の爽やかさと相まって、心が澄んで落ち着いていく。
「はー。癒されるー。……これ、普通の人はどうやって参拝するの? ここから参拝?」
怜慧が魔法で跳躍してくれるから私たちは簡単にたどり着ける。魔力も何も持たない普通の人は、どうやって宮へ向かうのだろうか。
「宮の前まで、神の力で石段が作られてたらしいよー。石が浮いてたんだってー」
将星の軽い言葉を聞いてから浮いた石で作られた階段を想像すると、ものすごく信用できない怖い階段になった。
「これが石段か?」
怜慧の視線の先は、滝壺の前に置かれた岩。
「持ち上げていいか?」
「え? あ、どうぞ」
怜慧が岩を持ち上げるのかと思ったら、私の背後に回り、両脇に手を入れて持ち上げた。
「ふあっ? な、何をっ!」
超可愛くない悲鳴と抗議の声を上げた一瞬で、私は岩の上に立たされていた。岩は白い光を放ちながら、ふわりと浮き上がる。
「うっわわわわわっ!」
「俺は許可を取ったぞ?」
岩が浮き上がったのは約十センチ。怜慧は笑いを堪えつつ私を支えてくれていた。
「うおー、すげー」
将星の感嘆の声が向く方向を見ると、白い光に包まれた平たい岩が滝壺から次々と浮き上がり、階段状になって断崖絶壁の宮へと向かっていく。映画で見るような奇跡や魔法の光景が目の前に展開していた。
浮き岩で出来た階段は宮へと到達し、逆再生が始まる。折れていた柱や割れた壁板が戻り、風雨と苔で失われた色が復元される。褪せた朱色が塗り立てのような鮮やかな朱色になって、黒ずんで錆びていた金属が金色を取り戻す。
私が立つ岩の横の小山は、高さ二メートルの木彫りの双龍だった。龍は金と銀の色彩を取り戻し、その五本の爪でしめ縄を掴んでいる。鳥居ではなく龍の門なのか。
細い糸のようだった滝は水量を増し、滝壺に虹をかける。
灰色の岩に埋められ二本の滝に挟まれた朱色の宮、青く澄んだ滝壺と虹を背後にした金と銀の双龍の門。門から宮へと続く浮き岩の階段。あまりにも美しく幻想的な光景に息をのむ。
「行こう」
伸ばされた怜慧の手が、私の手を取った。足元の浮き岩は、ふわふわと不安定で怖くても、怜慧の手を握っていれば絶対に大丈夫。そんな気がするから不思議。
怜慧は一段ずつ、先に上って足元を確かめて私を誘う。踏むとじわりと沈み込む感触が伝わってきて、内心はハラハラドキドキ。これは怜慧に手を握られているからではないと自分の心に言い聞かせる。
時間を掛けて慎重に岩の階段を登り虹を抜け、宮の前へとたどり着いた。ちらりと下を見ると、三階か四階から見下ろすような光景で、手を振る将星が小さく見える。
宮は三メートル四方。正面には格子扉が嵌められていて、金色の美しい錠前が掛かっていた。
「扉を開けてくれないか?」
怜慧の要請に頷いて錠前に触れると、かちりと澄んだ音を立てて鍵が外れ、自動ドアのように格子扉が開いて、内部が露になった。宮の内部は三畳ほどの板張りの部屋。奥には神棚があり、手前には白木の祭壇。
怜慧と私でさっと清掃して御神体を戻し、お酒と勾玉を奉納した途端、白い瓶子がふわりと浮いた。
「え? 心霊現象?」
場違いな問いを発した私に答えるように、長い白髪の美女が現れた。白い瓶子を傾けて飲む姿は艶めかしいものの、身長は三十センチくらいしかないので、十五センチの瓶子が超巨大に見える。
『……ぷはーっ! 美味いな! もっと酒持ってこーい!』
あっという間に瓶子を空にして、豪快な酒好き女神は口元を拳で拭う。その瞳は青と銀色の混ざる不思議で綺麗な色合い。
「こちらをどうぞ」
いつの間にか背後にいた将星は、両手に持った瓶子を女神の前へと捧げる。
『ほう。気が利く男じゃのう。何が望みじゃ? 言うてみよ』
うきうきとしながら瓶子に手を掛けつつ、女神が将星に問う。
「僕にも可愛い彼女が欲しいです! 切実です!」
『それは無理じゃ。お主の女運は我には救えぬ程、地に落ちておる。陰徳を積み、その地にめり込んだ運を掘り出してから来い』
あまりにも惨い即答で、笑いが込み上げてきた。隣に立つ怜慧も笑いを堪えているのがわかる。
「そ、そんな……」
『一体、何をすればそこまで女運を落とすことができるのであろうな?』
全くわからないと女神は首を傾げるけれど、私には何となくわかる。いくら美形でも天才魔術師でも、この軽い言動とイラっとする贈り物を見ると、恋人にしたくはないと絶対思う。
「我々は失礼致します。後に村人が参りますので、どうかよろしくお願い致します」
『うむ。大儀であった』
瓶子を手に上機嫌で微笑む女神に深く礼をして、怜慧は私の手を握った。
◆
森を出て、馬は街道をゆっくりと歩いていた。人を乗せた荷馬車と旅人たちがあちこちを歩いていて、馬を走らせるのは危険というのはわかる。これまでに見たこともない光景が不思議。
私は再び馬を跨いで乗って、背後から腰に怜慧の片腕が巻き付いている。以前よりも距離が近い気がして、ざわつく気持ちを必死で抑える。
「人、多いね。どこに行くんだろ?」
「王都へ向かっているんだろう。……日蝕の儀式まで、あと二十一日だ。おそらくは、これから人が増える」
日蝕と聞いて女神降ろしのことを思い出す。あと二十一日というなら、龍の召喚までは十九日。あっという間に過ぎた日々を考えると、怜慧との別れはすぐにやってくる。
明るく笑う人々は日蝕の儀式を楽しい祭りだと信じているようで、その足取りも軽い。どこそこの茶屋へ行こうだの、名物の話が風に乗って聞こえてくる。
「予定からは随分遅れたな」
「そういえば、三十日で勾玉の奉納終える予定だったんだっけ」
「ああ。早めに終えて、東我の屋敷に籠るつもりだった」
この異世界にいられるのは、もしかしたらあと十九日。元の世界に帰れないとしても、屋敷に籠るよりも怜慧と一緒に旅をしている方が楽しいと思う。
「あとは『九之宮』と『十二之宮』だ。急げば八日で終わるだろう」
「この状況で急げる?」
王都を目指して街道を歩く人が増えるのなら、馬で走ることは難しそう。
「街道以外の場所を走るしかないな。……お前には覚悟してもらわないと」
「崖下りは却下だから」
怜慧の口調から、何となく察してしまった。腰に回る腕をぺちぺちと叩きながら抗議を示す。
「……楽しそうだねー」
地獄の底から発せられたような将星の声が背後から聞こえてきて振り返る。女神に残酷な宣告を受けた将星は、いつもの明るい空気ではなくて暗くて重い空気を背中にしょっている。
怜慧と目が合った私は、将星が気の毒と思いながらも笑いを堪えることができなかった。
◆
今日の宿は街道沿いにあった。賑わって騒がしい二階建ての木造建築の宿は結構な大きさで、その窓から外を見る人々の姿は、旅人と思われた。
宿の中庭で馬を降り、怜慧が宿屋の従業員と話している姿を眺める。将星はまだまだ落ち込んでいるようで、項垂れたまま。
「本日、部屋が満員でございまして……個室は」
「これでどうだろうか」
「お部屋にご案内致します。少々お待ち下さい」
やっぱり現金は強い。金貨を見せた途端に従業員の態度が変わった。この旅の中、何度も見た光景に苦笑する。
「今夜の宿は決まりだな」
苦笑する怜慧に近づこうとして異変に気が付いた。
「あれ? ……足が……」
動かない。普通に歩こうとしているのに、右足が前に出ない。右足を前に出して、左足を前に。それは考えなくても当たり前の動きのはず。
ふっと体の重さが無くなって、視界がクリアになった。違和感と共に振り向くと、目を見開いたまま止まった私の顔が目に入った。私の前には私が立っていて、自分の手を見ると透けていることに気が付く。
『ゆ、幽体離脱?』
声を出しても、目の前の私の口は動かなかった。体に戻らないとマズいと思っても、どうやって戻ればいいのか。
「どうした? ……ミチカ!」
慌てた顔で駆け寄ってきた怜慧の叫びが遠くなり、私の意識が途絶えた。
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