第三十五話 ザリガニと詐欺師

 外は雨。お昼前なのに黒い雨雲のおかげで暗く、大きな雨粒が窓を叩く音が宿の部屋に響いている。怜慧と将星は、不安定な王都の結界を強化する神事を行う為に外出中。宮の結界を一つ完成させただけでは、玄武・白虎・青龍が消滅した王の結界を補強するには弱すぎた。


 この国の窓に使われている安価な板ガラスは植物の樹液で出来ている。木の幹を傷つけて、採取した透明な樹液を熱して板状に固める。その樹液を嫌がる神様や精霊が多く、貴族の屋敷や神社、高級な宿では使用を避ける傾向がある。人間の便利さよりも神様たちの居心地の良さが優先。私にとってアンバランスに見える光景にも、その世界なりの理由がある。


 宿は和風でありながら、テーブルと椅子がある不思議な和洋折衷。几帳で仕切られた広い部屋のあちこちに敷かれた分厚い畳の上以外は室内用の靴を履くのが面倒。東我の屋敷のように、玄関で完全に靴を脱ぐ方が便利なのに。


 何を占うということでもなく、ただタロットカードをシャッフルしていると、心が落ち着いていく。テーブルの上、シマエナガに似た金色の鳳凰がうつらうつらとしながら揺れている。紙と木で出来た行燈の灯りがゆらゆらと柔らかく室内を照らす。


 シャッフルの手が自動でとまった。これはカードからメッセージがあるということ。元の世界では、祖母以外の誰に言っても理解してもらえなかったのに、怜慧と将星はあっさりと理解してくれた。ここは魔法と奇跡が普通にある世界。


 整えたカードをめくると逆位置の『世界』。逆位置の『太陽』。逆位置の『恋人』。正位置の『悪魔』。テーブルの上にカードを並べた私の手は止まらず、手持ちのカードを数えて七枚目を開く。


 正位置の『月』。正位置の『愚者』。正位置の『魔術師』。最後に正位置の『運命の輪』が出て手が止まった。


 テーブルに開いたカードは二つに分かれていて、交わることはない。対立する二つの陣営。世界を滅ぼす側と世界を護る側。そんな言葉が頭に浮かんだ。


 創世の女神を地に落とし世界を滅ぼす。逆位置の『恋人』を手に取ると、第二王子と予言者の後ろ姿が頭をよぎる。


「……それじゃあ、『悪魔』は誰? 王様?」

 『悪魔』のカードを手にした時、長い黒髪に青い瞳の美形の男の笑顔が閃いて消えた。

「え、ちょっと待って…………誰だっけ?」

 見た覚えがあるような、ないような。思い出そうとカードを握りしめても、何も出てこない。


「ただいまー」

 御簾を豪快にめくりあげて入ってきたのは、ピンクアッシュの髪の将星と、銀髪の怜慧。二人ともずぶ濡れで、髪や装束から水が滴っている。


「あ、おかえりなさい」

 カードを置いて、タオルか何かないかと見回しても見当たらない。椅子から立ち上がろうとした私を制した将星が指を鳴らすと、水色のリボン状の光が派手に舞いつつ煌めいて、二人の髪も装束も一瞬で乾いた。


「すごーい!」

 ぱちぱちぱち。思わず手を叩いてしまう。何かこう、アニメの魔法少女の変身シーンぽくて綺麗だった。

「でしょ、でしょ? いやー、お嬢ちゃんに褒められると嬉しいなー。もっと褒めてー」

「……将星……それが目的か……」

 低くうなるような怜慧の言葉で気が付いた。宿の中に入る前に魔法を使えば、廊下や床が濡れることも無かったはず。


「大丈夫、大丈夫。ちゃんと廊下も乾かしておくからさー」

 笑う将星が再び指を鳴らすと、今度は黄緑色の光が煌めいて床の水滴が消え去った。複数の精霊の力を使う天才魔術師。なんという才能の無駄遣い。


「あれ? お嬢ちゃんは占い中?」

 テーブルに目を止めた将星が、カードの結果を覗き込む。

「これは……王と僕らってことかなー?」

 王はどこにも出ていないのに。そう思ってカードを見ると、『皇帝』のカードが開いていた。


 逆位置の『世界』『太陽』『恋人』と正位置の『皇帝』。もう一方のカードは、正位置の『月』『愚者』『魔術師』『運命の輪』。……私が見た結果と違うような気がする。何が違っていたのかと考えても思い出せない。

 

「『月』が怜慧君でー、『魔術師』が僕ー」

 将星も『月』は怜慧のイメージなのか。夜空に輝く孤高の月。ぴったりだと同意しようとすると、怜慧が口を開いた。

「待て。何故俺が『月』なんだ?」

「このザリガニが怜慧君っぽいじゃーん?」

「あ? 俺がじめついてるってことか? それは聞き捨てならないぞ」

 怜慧がキレた。うん。そんな感じ。流石に月を見上げるザリガニ扱いは可哀想な気がする。将星に異議を、と思った時に気が付いた。


「待って。まさか二人とも『愚者』が私って思ってる?」

「だろ?」

「だよねー」

 当たり前のような顔をする二人に私がキレた。確かに言い返せないくらいの失敗はしていても、『愚者』扱いは酷すぎる。


「じゃあ、怜慧は『月』のザリガニ! 『魔術師』っていうのは、自信家の詐欺師っていう意味もあるのよ! ぴったりよね!」

「ザ、ザリガニ……」

「さ、詐欺師……」

 ショックを受けたという顔で固まる二人を放置して、私はカードを片付けた。


      ◆


 昇り始めた太陽の白い光の中、怜慧から紫色の光が立ち昇った。薄紫色の狩衣に似た上着と濃い紫の脚衣に黒のブーツ。銀髪に赤い瞳に、和風の衣装が不思議と似合う。綺麗な紫の光は怜慧の頭上で球体の魔法陣を構築していく。魔法陣の大きさは徐々に大きくなっていて、集める魔力も量が増えているらしい。


 銀色の髪が輝き、その凛々しい横顔にときめきを覚える。元の世界に戻ったら、怜慧以上にカッコイイと思える人に出会えるだろうか。そんな不安がちらりと心をよぎった。


 もしも龍の召喚が失敗して、私がここに残ることになったら、怜慧はどうするのだろう。優しくて真面目な怜慧なら、責任感で私のそばにいてくれるかもしれない。でも……私は……責任感ではなくて、私が好きだからそばにいたいと思って欲しい。怜慧が残って欲しいと言ってくれたら、私は……。


「お嬢ちゃん、何か心配事?」

「え? あ、あの……将星さんは集束魔法やらないんですか?」

 いきなり話し掛けられて驚いた私は、質問に質問で返してしまった。ピンクアッシュの短髪に青い瞳の美形は、今日も軽い。淡い萌黄色の上着に濃い紅色の脚衣に茶色のブーツという、大胆な色合わせが普通に見えてしまう。


「僕は限界近くまで魔力溜めてるから、これ以上はいいかなー。人それぞれ、魔力量には限界があるんだよねー。怜慧君は東我さんと同じで上限無しみたいだけど。あれ、普通の魔術師一人分以上の魔力だよ」

 将星は気にすることなく笑顔で答える。


 怜慧の頭上に輝く魔法陣は、直径一メートルはある。四十八日間続けた時、怜慧はどのくらいの魔力を溜めるのだろう。……龍の召喚に失敗してほしいという願いが、ちらりと私の心の奥底に見えた。元の世界の友達や家族に会いたいという気持ちはある。学校へ行って友達と過ごす何でもない幸せな日常が懐かしいとも思う。


 元の世界から召喚されて一ヶ月と少ししか経っていないのに、元の世界がとても遠く感じる。逆に言えば、元の世界に戻ったら、この世界は遠い夢だったと思うのかも。


 魔法陣は回転しながら小さくなり、ビー玉サイズに圧縮された。怜慧が掴むと、右手の甲に紫の魔法陣が浮かんで消えた。大きく息を吐いた怜慧は、背筋を伸ばし太陽に一礼してから、私へと振り返る。


「待たせたな」

 太陽の光で輝く銀髪がキラキラしい王子様。その眩しい笑顔が嬉しくて、自然と頬が熱くなる。

「お疲れ様」

 怜慧と離れたくない。身勝手な願いを隠しつつ、私は微笑み返した。

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