第三十四話 降る雨と鳴る雷

 青く晴れ渡る空の下、二頭の馬は最高速度で街道を駆け抜ける。今日は終日全速力で走らせるからと、私は馬に跨らずに横座りで怜慧の片腕で抱きしめられている状況。いろんなことで頭がいっぱいで、恥ずかしいと考える余裕はなかった。


「眠りたいなら眠っていいぞ。俺が必ず支える」

「ありがと。でも、よくわからないけど目が冴えてるの」


 青龍を倒した後、仮眠と朝食を取って私たちは宿を出発した。目指すは『五之宮』。怜慧と将星は、もう一泊して休むことを提案してくれたのに、私はどうしても先に進みたいとワガママを貫いた。


 馬上で眠れるわけがないと思っていたのに、飛ぶように走る馬は上下の振動も少なくて、感じる風も柔らか。怜慧の腕の中、体温と心音に包まれて心地いい。きっと魔法で護ってくれているのだと思う。


 動きを止めると、ついつい青龍たちのことを考えてしまう。人を喰らって穢れた神獣は、浄化しても人の味を覚えているから元には戻れないと聞いた。滅することが唯一の救済と頭で理解していても、何か方法はなかったのかと思考の渦がぐるぐると頭で回る。


「お前は自分が出来る限りのことをした。俺もそうだ。あの正気だった青龍も最期は自分が出来ることをした。それだけだ」

 怜慧の言葉は、その通りで。終わったことを悔やんでも無駄。それでも正論では割り切れない気持ちが一気に溢れている。


「……私が考えてること、わかるの?」

「心を読むとか変な魔法は使ってないぞ。お前は顔と態度に出るから、なんとなくわかるだけだ。王宮で会った時にはわからなかったが」


 王宮で初めて会った時は、他の王子も十人近くいて緊張していた。金髪碧眼が多い中、真っ先に謝罪して頭を下げた第一王子と、静かに頭を下げた銀髪に赤い瞳が印象的な怜慧のことは覚えていた。

「眠れなくても、目を閉じていた方がいい」

 優しい声に従って目を閉じると、私は緩やかに眠りに引き込まれた。


      ◆


 王都を護る青龍が消え、王が構築した結界はますます不安定さを増していた。突如として黒い雨雲が沸き、私たちは馬を止めた。


 雨宿りの為に入った木造平屋の茶店には大勢の人々が押し寄せてきて、座る場所もなくなり全員が立っているという過密状態。窓際に追いやられた私を護るように、怜慧と将星が左右で立ってくれて一安心。鳳凰は私の装束の胸元に隠れて、ふるふると震えている。


 茶色や紺色の素朴な着物姿の人々は、カラフルな装束を着た私たちの姿をちらちらと気にしていながらも、不安げに窓から空を見上げていた。


 怜慧は薄紫、将星は淡水色の狩衣風。私は淡ピンクの水干風の装束で、かなり目立つ。貴族と庶民。そんな格差が見た目ではっきりと表れていて、少々居心地が悪い。


 雨雲の黒さが徐々に薄くなって、激しい雨足が緩み始めた。

「……そろそろ雨、止むかな」

「ああ。……怖がらなくていい。この雨は異常な熱を持った大地を冷やす為に降っている」

 屋根や窓に打ち付ける雨の音に負けないようにということなのか、怜慧の声はいつもより大きくて、一言一言を区切るようにはっきりと発音している。


「異常な熱って何?」

「地震の原因になる熱だ。地下の熱が高くなりすぎると大きな地震が起きる。だから強く雨が降る時は、大きな地震にならないように冷やしてくれているということだ。だから怖がらなくていい」

 怜慧の声はよく通り、怖がらなくていいという一言で、緊張していた店内の空気が柔らかくなったところで気が付いた。怜慧が大きな声で話すのは、きっと周りに聞かせる為。


「冷やすと地震が無くなるの?」

「雨では大地を完全に冷やせないから、地震を無くすことは出来ないだろうな。大地の熱を完全に冷やすと、植物が育たなくなる」

 流石、王子様。何となくそう思う。多くの人々を統べる者としての風格は凛々しくも優しくて、どきりと胸が高鳴る。


 閃光が窓の外から店内を照らし、数秒で雷鳴が響き渡った。店内にいた女性たちが悲鳴を上げ、再び空気が緊張していく。

「雷にも理由があるの?」

「ああ。雷は大地を清めて、魔物や瘴気を祓う。雷は恐ろしい物でもあるが、良い物でもある。雷が落ちた田畑が次の年に豊作になるというのは、それが理由だ」


「雷は地面を綺麗にしてくれるのね」

 そう言い終わらないうちに閃光と落雷の音が響いて、小さな茶店が揺れる。


「うっわー、びっくりしたー」

「魔物を驚かせる必要があるから、音が大きくなるのは仕方ないな」

「そうね。小さい音だったら、誰も逃げないもの」


 雷は、魔物や瘴気を祓うもの。そう考えると恐ろしさの中に敬う気持ちが生まれてくる。雷が鳴ると店内に悲鳴が上がるものの、緊迫した恐怖はなくなって落ち着いている。


 やがて雨雲は去り、私たちは茶店を後にした。


      ◆


 森の中にある『五之宮』は、広い蓮池の中央に存在していた。池には白い蓮の花が咲いていて瑞々しい美しさが広がり、崩れかけて廃墟と化した宮の建物との対比が物悲しさを滲ませる。


「これ、どうやって参拝するの?」

「たぶん舟だよねー。そこにあるヤツ」

 将星の指さした場所には、かつて舟だった木材が苔に覆われて残骸と化していた。


「跳躍するから問題ないな。いいか?」

 その問いは、私を抱き上げていいかというもの。頷くと横抱きにされてふわりと体が軽くなる。転がり落ちそうになった鳳凰は私の肩にしがみつく。


「いいなー。僕も怜慧君に連れていってもらいたいなー」

「断る。自力で来い」

 冷たく言い放って、怜慧は跳んだ。池の上に現れた紫の魔法陣を踏んで、次の魔法陣へと跳ぶ。白い蓮の花や大きな葉に付いた水玉が一斉に転がって、きらきらとした光を煌めかせる。幻想的な光景の中、頬が熱くなってきた。


 ほんの数歩で宮へと到着。その腕から降ろされる時に、残念と思ってしまう。

「どうした?」

「蓮の花が綺麗だなって思ってたの。誰かお世話してたのかな?」

 自然に、というには整っているような気もする。


「近くの村の誰かが管理しているのかもしれないな。間引かれた跡がある」

 怜慧の指摘でよく見ると、水面を覆う葉の下に切られた茎が何本も見えた。花か葉を切ることで、増えすぎることを抑制しているのか。


 静かな森の中に広がる蓮の池。黄昏が近い空を背景にすると、神聖な空気感を感じて背筋が伸びる。

「お・ま・た・せー!」

 目の前に出来た赤い魔法陣から現れた将星のお陰で、何かが壊れた。半眼になった怜慧と二人で無言のまま、くるりと将星に背を向けて、宮へ向かって歩き出す。


「ちょ! お嬢ちゃーん、転移魔法って、凄い高度で難しい魔法なんだよっ? ちょっとは驚いてよー!」

 そう言われても、ひと昔前のアイドルの決めポーズで男が現れたら見なかったことにしたくなる。

 

 木で出来た鳥居と宮は完全に崩れ落ち、黒ずんでいた。それでも何となくすっきりとしていて、雑草や苔は生えていないのが不思議。

「雑草、誰かが抜いてるのかな」

「そうだろうな。様子を見ながら、神が戻って来るのを待っているのだろう」

 

 怜慧に促され、崩れた鳥居に触れて数歩後ずさる。白い光に包まれた鳥居と宮が、逆再生で元の形を取り戻していく。まずはゆらりと宮の屋根が持ち上がり、柱や壁が元へ。立ち上がった鳥居も朽ちていた箇所が埋まり、綺麗な朱色を取り戻す。


 あちこちに使われた金色の装飾が輝きを取り戻すと、宮は新築のような姿を現した。

「可愛い! 蓮の花なのね!」

 白木で出来た宮を支える土台は、白く塗られた蓮の花。縦横三メートル程度の小さな建物が、可愛い印象を強めている。きっと可愛らしい女性の神様が祀られているのだと思う。


 正面の扉を開いて、建物の中に入ると二畳くらいの小さな部屋。神棚へ置かれたのは手のひらに収まるサイズの四角い木の箱。


 用意したお酒と勾玉を祭壇へと置き、祈りをささげて頭を上げると、祭壇の先に筋肉隆々の端正な顔立ちの男性が、上半身裸で筋肉自慢のポーズをしながら立っていた。これまでの小さなサイズの神様と違って、身長二メートルはありそう。短い白金髪に青い瞳。白い上着を腰に巻いて、白い袴に黒い沓。


「……怜慧、見えてる?」

「……ああ」

 二畳の狭さに怜慧と私。そして祭壇があるから、ぎゅうぎゅうもぎゅうぎゅう。筋肉から蒸気が立ち昇っているような幻覚が見えて、一言で言えば暑苦しい。


「おおー! 見事な筋肉ですねー!」

 扉の外から覗き込んでいた将星が歓声を上げると、神様は白い歯を見せて別のポーズを取った。めちゃめちゃ上機嫌なのが伝わってくる。


『暇を持て余しておったのでな。鍛えてみたのだ』

 筋肉自慢。これは厄介すぎる神様のような気がする。将星が拍手して褒め称えると、神様が手招きして筋肉に触らせる。ついには、がっしりと手を握り合っていた。


 狭すぎる部屋の中が熱気に包まれ、怜慧と私は隙をついて外に出た。

「将星は放置して、王都の結界を張り直す。お前の浄化の力を貸してくれるか?」

「どうぞ。何すればいいの?」


 承諾すると、怜慧は私を背中から左腕で抱きしめた。

「ちょ。何? どういうこと?」

 暮れ始めた空の下、平時の屋外で抱きしめられている状況は、とんでもなく恥ずかしい。どきどきと胸が早鐘を打つ。


「俺の左手を握って、浄化を願ってくれ」

 これは儀式の一部だから。心の中で繰り返しても、胸の鼓動は早くなるし頬は熱くなっていく。


 怜慧は私を抱きしめたまま、何か祝詞のような言葉を紡ぐ。右手の先からは、紫と白の光の糸が現れて、天へと登る。二本の光の糸は輝きながら、撚り合わさって空で藤色の糸玉へと変化した。


「――かい

 怜慧の一言で糸玉がはじけて、一本の光の糸が光の粉をまき散らして赤と青が交わる薄紫色の空を駆け抜けていく。それはとても不思議で綺麗な光景。


 ほどなくして、張った糸を弾いたような音が響いた。

「……王都の結界の一つが元に戻った」

 怜慧の安堵の息が耳をくすぐる。体を捻って抜け出そうとすると、両腕で背中から抱きしめられた。


「怜慧? 儀式は終わったんでしょ?」

「……力を使いすぎて疲れた。……もう少しだけ」

 それなら仕方がない。怜慧の腕の中、早い鼓動と熱くなった頬がバレないようにと、私は願った。

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