第三十三話 残り八枚の絵札

 私は胸元からタロットカードを取り出して叫んだ。

「お願い、どうか私に力を貸して! 私はカードで呪ったりなんかしない! カードは未来への希望の光を示すものよ!」

 タロットカードにしろ何にしろ、その道具を使う人の自由はある。建前ではそう思っていても、目の前で呪いの道具として使われているのは許せなかった。


 手にしたカードが白い光を帯びて宙に浮き、肩に乗っていた鳳凰がふわりと浮いた。空中で展開されるヘキサグラムスプレッドは、過去を示す場所に『女帝』、現在に『教皇』、未来に『戦車』。本人を示す場所に『女教皇』、対応策に『節制』、相手に『隠者』、結果が『運命の輪』。予言者が掲げたカード並びと同一。左手に帰ってきたカードの前面には『魔術師』が現れた。


「――これは定められた運命。誰も抗うことのできないもの」

 予言者の声が静かに響き渡ると体の自由が奪われて、私の感情を逆なでしていく。

「負けないんだから!」

 黒い炎に包まれたカードの呪いがばらまく重い負の空気が、体にまとわりついて動きを鈍らせるのだとわかった。理解できれば対処はできる。場に漂う空気の浄化を願えば体は軽くなった。


「!?」

 私がカードのメッセージを読み解こうとした時、何かがぶつかる衝撃音が周囲に響いた。右に顔を向けると、赤い瞳をぎらつかせ、黒い悪鬼と化した龍の牙を紫の炎の刀で食い止める怜慧の姿が見えた。将星は暴れる青龍を赤い光の鎖でがんじがらめにして抑え込んでいる。砕かれたはずの角が再生していた。


「気にするな! 絵札に集中しろ!」

 振り抜いた刀に弾かれた龍が、宿を包む水晶に激突した。その衝撃で割れた水晶の欠片が散って煌めく。悪鬼は咆哮を上げつつ再び怜慧へと襲い掛かり、将星は光の鎖を引きちぎった青龍を新たな鎖で縛る。


『貴女は、どう読み解きますか?』

 鳳凰から放たれた静かな『魔術師』の声で、混乱する頭が冷えた。戦えない私が今、最優先するべきことはカードリーディング。私は紫と金色の光で護られていた。


 宙に浮かぶカードに右手をかざすと、白い光の輝きを増したカードが新たな未来を指し示す。呪いという強い力を覆す、希望の力を。


「穢された『女帝』は『節制』の〝聖杯カップ〟の水によって浄化され、『教皇』からの縛りから解放される! 『女教皇』は『隠者』の持つ灯火を〝ワンド〟の力に替え、『戦車』に正しい道を示す! 『運命の輪』は希望の未来へと回り続ける!」


 これは呪いではなく、私の〝願望の宣言〟。『隠者』が持つランプで輝くのは星。星の煌めきは太陽の煌めきでもあり、棒は四大元素の火を意味するもの。


「怜慧! 青龍を浄化してあげて!」

 左手に持つ『魔術師』のカードから白い光が放たれて、怜慧が持つ刀を包む。白い光は炎になり、紫の炎と共に燃え盛る。


 悪鬼が咆哮を上げて怜慧へと向かった時、青龍を縛っていた赤い光の鎖が砕け散った。

「ヤバい!」

 凄まじい勢いで将星の魔法を突破した青龍は、怜慧へと襲い掛かろうとしていた悪鬼に噛みつき、絡みついた。


「え?」

 目の前で起きていることを理解するのに、数秒掛かった。空中でもみ合う二柱の龍。悪鬼となった黒い龍に青龍が爪を立て、動きを封じている。


「お嬢ちゃーん! 僕にも神力分けて―!」

「あ、『魔術師』さん、お願いします」

 将星の叫びで我に返った私は『魔術師』へと願う。手元のカードから白い光が将星へと届き、その手から放たれた赤と白の光の鎖が、黒い炎に包まれて浮かんでいた予言者のタロットカードを斬り裂いた。


『今だ、我らを滅してくれ! 頼む!』

 懇願するのは男性の声。やはり後で現れた青龍は雄で、穢れてしまった青龍は雌なのか。龍は暴れ、もみ合い続けている。


「承知した! 火焔光水かえんこうすい! 浄化清澄じょうかせいちょうたてまつる!」

 紫と白の炎がその威力を増した。迷うことなく跳躍した怜慧は、空中に現れた紫の魔法陣を踏んでさらに高く跳び上がり、その刃をもみ合う龍へと振り下ろした。


 その炎の一撃で二柱の龍は斬り裂かれ、白い光に包まれながら地に落ちる。悪鬼の黒い角が折れ、元の青龍の色を取り戻すと、雄の青龍が安堵の息を吐いたのがわかった。どちらがどちらの体なのかわからない程もつれ合ったまま、二柱の青龍は白く輝く砂になって消えてしまった。


 静寂の中、後には何も残らなかった。怜慧は青龍が消えた地面を見つめて佇む。その背中には勝利の高揚感もなく、ただ寂寞としている。

 将星が指を鳴らすと白い提灯の光で輝く宿を包んでいた水晶が消え去り、青龍たちが暴れて折った木々や抉った地面も元に戻った。


「怜慧君、お疲れお疲れー。さーって、一緒にお風呂にでも入ろうかー。僕が背中流してあげちゃうよー」

「断る。独りで入れ」

 将星の明るい声で全身の力が抜けていった。瞬時に断った怜慧も、溜息にも似た深い息を吐く。重苦しい空気が一掃されて、明らかに軽くなった。


「ありがとう」

 手元に戻ってきたタロットカードたちを受け止めて、私は感謝の言葉を告げた。


      ◆


 四階の部屋へ戻ると将星はタロットカードについて説明を求めてきた。

「疲れてると思うけど、ちょーっと気になるんだよねー。このままだと眠れないからさー」

「あ、大丈夫です」

 今回は勝利の実感はなくても、異常事態を経験したという興奮は私の眠気を奪っていた。


 豪華な客室はいくつもあって、その一つには四脚の椅子と小さな円卓が置かれていた。

「今回もヘキサグラムスプレッドでした」

 カードの配置を思い出しながら、順番に並べていく。過去を示す場所に『女帝』、現在に『教皇』、未来に『戦車』。本人を示す場所に『女教皇』、対応策に『節制』、相手に『隠者』、結果が『運命の輪』。


「で、予言者は『――堕ちた『女帝』は『教皇』の慈悲を受け、絶望の闇を産む。『女教皇』は『節制』の〝聖杯〟の力を『戦車』へと注ぎ、過去に囚われ無力な『隠者』は『運命の輪』に轢き裂かれる』と言った。〝聖杯〟は水と春の象徴で、春を司る青龍に力を与えたってことだねー」

 私が説明する前に、将星が口にした。確か〝聖杯〟について将星に語ったのは一度だけのはず。軽そうに見えても天才魔術師というのは嘘では無かった。


「二柱の青龍をこの二頭立ての『戦車』に見立てて、その車輪としての『運命の輪』で『隠者』である怜慧君を轢き裂くつもりだった。うーん。完全に怜慧君を殺しに来てるねー。怖いねー」

 将星は知ってか知らずか、堕ちた『女帝』すなわち穢れた青龍については何も言及することがなくて、ほっとした。青龍の心情を想像すると涙が出そうでつらい。


「お嬢ちゃんは『穢された『女帝』は『節制』の〝聖杯カップ〟の水によって浄化され、『教皇』からの縛りから解放される。『女教皇』は『隠者』の持つ灯火を〝ワンド〟の力に替え、『戦車』に正しい道を示す。『運命の輪』は希望の未来へと回り続ける』と〝希望の宣言〟で呪いを塗り替えた。今回の〝聖杯〟は、青龍を浄化する為の水という意味かな。『隠者』が持つ魔法灯ランプの灯火を〝棒〟、すなわち火の力を怜慧君に与えた」

 落ち着いた場所で改めて見てみると、無茶苦茶なリーディングだと思う。ただ、あの瞬間にカードたちが伝えてきたメッセージは間違いなく、これだった。カードたちは私の願いに寄り添い、私の為に力を貸してくれた。


「……前回の絵札は出ていないんだな」

 じっと黙ってカードを見ていた怜慧が、ぽつりと呟いた。

「そ。あの予言者の絵札はお嬢ちゃんの神力を借りて、僕が浄化して焼き払ったから、完全消滅して再生できない可能性がある。残りの絵札はどれかな?」


「残りは……これです。『恋人』『正義』『星』『月』『太陽』『審判』『世界』『愚者』の八枚……」

 残っているカードは強い意味を持つ物が多い。特に『太陽』は強力。これまで逆位置リバースでは出てこなかったから、次も正位置と思っていいだろう。


「お嬢ちゃん、何か言いたいことあるなら僕に聞かせてよー」

「えーっと……この『太陽』は、とても明るくて良い意味があるカードなので、どうやって呪いに使うのかなって」


「んー。そうだねー。よく言われる話だけど、太陽みたいに明るく光ってるとさ、その光の反対側には同じくらい強い陰が生まれるっていうのがあるじゃん? 陽の力が強いなら、陰の力としても強力ってこと。ま、予想はしない方がいいよー。お嬢ちゃんの術はその時々で神力の性質が変わるから、瞬間の爆発力が高いんだよね。きっと事前に何も考えてない方が強力な術が使えるよー」

「成程。『愚者』だな」

 将星の言葉の後、さらりと付け足された怜慧の一言を私の耳は聞き逃さなかった。ぺちりと怜慧の腕を叩いて抗議すると、目を丸くした将星が笑い始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る