第三十二話 雌雄の神獣

 座り込んだ私の胸元に金色に光る鳳凰が飛び込んできた。手の平に包み込んで抱きしめると、ふわりとした温かさに寒気が緩んでほっとする。


「……来た!」

 将星ショウセイの楽しげな声と同時に、沼から黒くて長い何かが飛び出してきたかと思うと、ハサミを振り回していた怪獣の背中にかじりついた。バキバキと硬い殻をかみ砕く音と、びしゃりと湿った音が周囲に響き渡る。


「うわ……心臓一撃?」

 生物の授業でザリガニの心臓は背中にあると習った。コイの頭でザリガニの体の怪獣とは別物だとは思っても、その位置が気になる。初めは抵抗していた怪獣の動きが止まり、ハサミがだらりと垂れ下がった。黒い何かは、蛇のように長い龍のシルエット。五本の爪はしっかりと怪獣の体を掴み、大きな口は青緑色の炎を覗かせていて、目は見えない。


 黒い龍が怪獣を食べている正面へ、剣を持たない怜慧レイケイが降り立った。

『神獣、青龍とお見受けする! 貴殿の目的は何か!』

 白虎の時と同じ言葉を怜慧は青龍へと投げかける。あの時と違い、青龍は怜慧の言葉へ答えることなく、一心不乱に怪獣を噛み砕き飲み込んでいる。しばらく待ってみても回答は無く、邪魔だと言わんばかりに振り上げられた巨大な尾が怜慧へと向かう。


「危ないっ!」

 思わず上げた私の警告は不要のもの。怜慧は攻撃を予想していたようで、間一髪で跳躍して避けた。

「話は通じないようだな」

「えー。怜慧君、対話しようとしてたんだー? ヤバいでしょー。こういう穢れたのは問答無用で滅していこうよー。神様まで喰ったんだよー?」


「望まぬ理由で穢された神獣だ。無駄な戦いは避けたい」

「怜慧君は優しいなぁ。そんな君が、僕は好きだよっ!」

 軽い言葉とは裏腹に、将星の手と地面から放たれた赤い光の鎖が青龍をがんじがらめに縛りつける。地上と空に五色に輝く複雑な魔法陣が浮かび上がった。


「極彩炎陣! 天上の炎で全てを焼き尽くせ!」

 赤、青、黄色、白、黒の炎が地上の魔法陣から立ち昇り、空の魔法陣へと到達すると、それはまるで炎の檻。炎の恐ろしさと神々しさを感じる。

 どうやら将星は、怪獣の苔をはがしている時に魔法陣を用意していたらしい。その姿は天才魔術師という言葉がぴったり。


「将星さん! 浄化はっ?」

「残念だけど、このまま滅するよ!」

 白虎の時のように浄化の力を怜慧に届けたくても、タロットカードの力が無ければどうにもできなかった。胸元のカードたちも鳳凰も沈黙したままで、感じていた寒気が薄れていく。

 

「……どうか安らかにお眠り下さい……」

 暴れる黒い影が生きたまま焼かれている。人だけでなく、神様を食べてしまった神獣に対する罰だとしても見ているのはツラ過ぎて直視しているのは無理。将星の炎の魔法陣は力尽きて地面に落ちた青龍を焼き続けていて、その真っ黒な巨体は動いておらず、もう死んでいるとしか感じられなかった。せめて浄化だけでもと思っても、戦うことのできない私は怜慧や将星の邪魔は避けたい。


 徐々に魔法陣の炎が消え、これで終わりかとほっと息を吐いた途端、空を見上げた将星が叫び声を上げた。

「ヤバい! 川から何か来る! お嬢ちゃんを!」


 将星の要請に応じて地上にいた怜慧が跳躍し、私のいる四階の窓へ飛び込んできた。私を左腕で抱きしめつつ紫の炎をあげる刀を構え、燃え盛る魔法陣を背にして立つ。怜慧が凝視する方向は雨戸が開け放たれていて夜の闇。白く光る提灯のせいで闇が濃すぎて私には何も見えない。


 真っ暗な闇の中、雷鳴が轟く。

「……お前は必ず俺が護る」

 抱きしめる腕と、その静かな断言が頼もしい。不思議なもので体の震えと恐怖が消え去った。

 宿へ落雷の轟音が響き渡り、建物が音で激しく振動する。一方で窓の外、宿を包むオレンジと緑の煌めく光の魔法陣へ突撃してきた巨大な影が弾かれた。宿の光にさらされて見えた巨体は、青みがかった緑色の龍。


「青龍? 怜慧、青龍って一柱じゃないの?」

「複数いる。王都を護っているのがそのうちの一柱というだけで、青龍というのは種族の名前でもある。どの神獣も雌雄がいて…………穢れた青龍のつがいの可能性もあるな」

 青龍が何度も突撃してきても将星の魔法陣は敗れることなく保っている。落雷の音で建物が揺れても、巨体での攻撃は建物も揺れないし完全に防ぐ。その不思議な魔法が凄いと思う。


 何度も攻撃してきた青龍は、諦めたのか上空へと昇って姿を消した。

「諦めた?」

「いや。……狙いは術者だ!」

 青龍が狙うのは、宿を護る魔法陣を生成した将星。振り返って窓の下を見ると、赤い光の鎖で襲い掛かる青龍をがんじがらめに捉えた将星がいた。白いたてがみがなびき、立派な髭と角。青みがかった緑色の鱗。その手足の鋭い爪は五本。人が乗れそうな太い胴体から考えると、測ったら体長十五メートル以上は確実にありそう。目は憤怒の光を帯びていて、直視するのは怖い。


「怜慧君、ちょーっと手助けしてくれないかなー?」

 赤い光の鎖で何重にも縛られていても、青龍は逃れようと激しくあがいている。人間と龍の体格差があり過ぎて、このままでは鎖がちぎられてしまうのは私でも予想できた。


「どうすればいい!?」

「この状況だと、角を折って落ち着いてもらうしかないよねー。簡単に再生できないように砕いてくれるかなー?」

 余裕めいた表情の将星の声の中、わずかな焦りが感じ取れた。


「怜慧、早く行って!」

「ああ。鳳凰、頼む!」

 怜慧が窓から飛び出し、胸元に抱いていた鳳凰から金色の球体の魔法陣が現れて私を包む。


「光炎爆砕!」

 空中に現れた紫の魔法陣を踏んで跳躍した怜慧の刀の炎が勢いを増し、緩んだ赤い光の鎖から現れた青龍の頭から生える角の一本へと振り下ろされる。角の半ばまで刃が沈んだ時、紫の光が爆発して角がバラバラに吹き飛んだ。


 それがどんなに痛々しい光景でも、悲鳴を上げることはできないと思った。叫びそうになった口を手で押さえて堪える。これは私が呼んでしまった結果。


 二本の角が砕かれると、青龍は地に落ちて動かなくなった。赤い鎖で縛られた全身を荒い呼吸で震わせていて、死んでいるのではないとわかる。


「もう遅いけど、一緒に封印……かな」

「そうだな。その方が良いだろう」

 将星が懐から水晶の勾玉を取り出したのを見て、私は四階の窓から叫んだ。

「怜慧! 封印の前に浄化してもいい?」

 玄武と白虎の時とは違って、穢れた青龍の命は完全に尽きている。もう遅いという将星の言葉を頭で理解していても、感情が追い付かなかった。

「ああ、そうだな。将星、いいか?」

「……怜慧君もお嬢ちゃんも優しいなぁ。いいよー」


 迎えに来た怜慧に抱きかかえられ、私は地上へと降り立った。見上げる宿は水晶に覆われていて、白い提灯のおかげで輝いている。炎の魔法陣は消え、緑の草に覆われた地面に黒い影と青龍が横たわる。現実とは思えない不思議な光景が胸に痛い。


 玄武の時と同じように、背中から私を抱きしめる怜慧の右手に手を重ねる。浄化を願おうとした瞬間、雲のない夜空から黒い雷が穢れた龍に落ち、怜慧は私を抱きかかえて後方へと跳躍して逃れた。


 黒い雷で地面に描かれた魔法陣から、黒い炎に包まれたタロットカードが七枚現れ、空中でヘキサグラムスプレッドを展開した。過去を示す場所には『女帝』、現在に『教皇』、未来に『戦車』。本人を示す場所には『女教皇』、対応策に『節制』、相手に『隠者』、結果が『運命の輪』。


 鈴の音がしゃらしゃらと鳴り響き、予言者の声が周囲に響く。女性の声は平坦で、何の感情も読み取れない。

「――堕ちた『女帝』は『教皇』の慈悲を受け、絶望の闇を産む。『女教皇』は『節制』の〝聖杯カップ〟の力を『戦車』へと注ぎ、過去に囚われ無力な『隠者』は『運命の輪』に轢き裂かれる」


 『節制』に描かれた聖杯は四大元素の水を意味しており、季節は春。青龍が守護する方向は東、司る季節は春。


 黒い炎が、穢れた青龍と赤い鎖で縛られた青龍へと注がれていく。二柱の青龍が『戦車』を意味していると気が付くと、堕ちた『女帝』が、何故か穢れた青龍のイメージと重なった。もしかしたら、穢れた青龍は雌なのかと考えた時、『教皇』が神獣を騙して穢した王ではないかと気が付いて、私はぶち切れた。

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