第三十一話 這い出る影

「とりあえず、結界強化するよー」

 将星が懐からさっと出した四枚の御札が部屋の壁に貼り付いて、オレンジ色の光を発した。赤色ではないから、おそらくは精霊の魔力を借りている。


 将星を横目にぎりぎりと歯噛みしながら、怜慧は荷物から地図を出して広げた。

「どこから来ると予想する? 宿の正面の方向にある川か?」

 宿の周囲には森はなく、林と沼、あとは田畑が広がっている。川はかなり離れた場所に流れていた。王都の東側を流れる川があることを除けば、朱雀が護る土地と大差ない印象。


「そうだねー。僕の予想としては、裏手に広がる沼かなー。随分と瘴気をため込んでるし、瘴気の流れを辿ると地下で川と繋がってる。普通の神獣は瘴気を嫌うけど、穢れているなら逆に瘴気は力を増幅させるからねー。それに……」

 言葉を止めた将星が意味ありげに、にやりと笑う。


「何だ?」

「沼に水属性の何かがいると思うから、そっちも一緒に来ると面白いよねー」

 穢れた青龍と正体不明の妖怪。こちらはたった三人で、しかも私は浄化だけで戦力外。

「大丈夫大丈夫。そっちは僕が何とかするからさー。怜慧君とお嬢ちゃんは神獣と予言者に専念しててー」

 ぱちりと片目を閉じて将星が笑う。ふとその仕草で怜慧に助け出された日のことを思い出した。怜慧が片目を閉じる仕草は、将星から影響を受けているのかも。


 予言者と言われて、またカードリーディングの呪いがあるかもと気が引き締まる。タロットカードを呪いの道具に使うなんて、絶対に許したくなかった。


「じゃ、手短に水浴びてくるねー」

 余裕の笑顔を浮かべた将星がお風呂へと向かう姿を、怜慧と私は脱力しながら見送った。


      ◆


 じりじりと夜が更けていく。和風の板張り床と白い漆喰壁の部屋の中、一度は寝所に放り込まれた私も、どうしても眠れなくて紫の狩衣を着た怜慧の隣に座る。深緑の狩衣を着た将星は胡坐をかいて壁にもたれながら目を閉じていた。


 夜だというのに雨戸も障子も全開で、沼の湿気を含んだ生ぬるい風が通り抜ける。高い部屋だからなのか、灯りは油を燃やす高灯台ではなくて、木と紙で作られた行燈風の魔法灯がぼんやりと周囲を照らしていた。


「……東我さんが青龍の対処してる可能性ってないかな?」

 管狐に伝言を頼んでから数日。もしかしたらと聞いてみる。

「ないな。というより、今の王都の結界の状況が不安定過ぎて神獣を滅することもできないから、俺たちが十二の宮の結界を完成させるまでは手出しできないだろう」

 

 私には全く感じられない結界の状況を、怜慧は感じ取っていた。玄武と白虎が不在になった今、朱雀と青龍、そして東我の結界で王都は護られている。

「東我は王宮のまがかみを封じ込める為に結界の主力を移動させている。これまで移動させることは一度もなかったから、余程危険な状態なんだろう」

「禍つ神の封印が解けたらどうなるの?」

「……力の差はあるが、かなりの数の神だ。王都の多くの人間が死ぬ」

 市場へと向かう賑やかな朝の光景を思い出して、あの人たちが死んでしまうと考えると震えてしまう。


「それだけじゃないんだよねー。王は日蝕の儀式に向けて、全国から人を呼び寄せてるんだー」

 眠っているのかと思っていた将星は起きていた。

「……それはこいつに知らせなくてもいいだろう」

 将星の軽い言葉を受けて、怜慧の表情が曇る。

「んー。でもさー、怜慧君のいない時に知るよりはいいかなーって。自分の身を護るためにもなるしー」

「怜慧、何のこと?」


「日蝕の……女神降ろしの儀式の際、生贄にする為に大勢の国民を呼び寄せている。総数は十万以上」

「十万人? え……そ、そんな大勢どうやって生贄にするの?」


「女神降臨の祭りだって嘘ついて、王都の中央通りに人を集めて堕ちた女神に喰わせる……って予定らしいんだよねー。僕も魔術師だから生贄は知識として理解してるけどさ。流石にヤバすぎて笑えなかった」


「それって……私に食べさせる予定だったってこと? そんなの……無理」

「妖物とか魔物に憑かれた人間っていうのは、とんでもない力を出すんだよね。儚げな姫君が魔物に憑かれて、牛車を片手で投げ飛ばしたなんてこともある。創世の女神が人に憑いたらどうなるかなんて僕たちにもわからない」


「他にも酷い儀式があってさ。この計画を阻止しようと、多くの魔術師がお嬢ちゃんを狙ってた。だから怜慧君が攫ったって聞いて、皆がほっとしたんだ」

 将星の言葉に滲む意味が伝わってきて体が震える。儀式を阻止するには、私を殺すのが一番確実。王都を護る東我の弟子であり、王子の怜慧が私を保護していなければ、儀式の前に私は殺されていたのかも。


「将星、もうやめてくれ。こいつはもう誰にも渡さない。……大丈夫だ。絶対にお前は護る」

 隣に座っていた怜慧の腕が私の肩を抱き寄せる。狩衣の袖越しに伝わる鍛えられた腕の強さと体温が、私の心を鎮めて震えが止まった。……怜慧の腕の中は安心できる。


「いいなー。二人は仲良し……」

 へらへらと笑っていた将星の青い瞳が窓の外へと向いた。怜慧の赤い瞳も鋭く追う。何か来たのかと思っても、正直言って私には何の変化も感じられなくて困惑するのみ。

「将星、結界は?」

「三階から下は結晶防御陣を敷く。面倒だから全員に眠ってもらうよ」

 将星が懐から護符の束を取り出すと、護符は様々な色のツバメになって窓を飛び出し、廊下を飛んでいく。


「んー。これは単独だねー。僕一人でもいけるけど、怜慧君はここで待ってる?」

「俺も手伝う。一人より二人の方が早いだろう。……お前は鳳凰と一緒にこの部屋にいろ。今、こちらに向かっているのは青龍じゃない」

 ごぼごぼという不気味な音が沼の方向から聞こえてきた。何かが沼から出てこようとしているのはわかっても、暗くて何がどうなっているのか見えない。

 

「何故来たと思う?」

「穢れた神獣と同じで、お嬢ちゃんの浄化の術に惹かれたかなー? 瘴気を浄化してもらいたいと思うのかもー」


 二人が話している間に、巨大な黒い影が這うようにして宿へと近づいていた。宿の光に照らされて、その姿が露になる。

 頭はコイ。体は鱗と背ヒレがついたザリガニ。黒っぽい全身に藻や苔らしき緑の何かが大量に付着している。不気味なキメラが巨大なハサミを振り上げながら、頭をもたげ立ち上がって直立する。


「ヤバっ。マジで怪獣じゃない!」

 四階の窓が、ちょうど怪獣の口の高さ。ぎらぎらと銀色に光る眼が私の姿を捕らえ、ロックオンされたと思うのは自意識過剰でも何でもないはず。


 怪獣がコイのように大きく口を開いて、咆哮するのかと思いきや吸引し始めた。人より大きな口が怖くて柱に抱き着いてみたものの、宿全体が将星の結界で護られているからか、怪獣の口へと吸いこまれるのは周囲の草木だけ。


「……古い神だな」

「そうだねー。忘れ去られた神ってことかな。随分瘴気を溜めていらっしゃるけど、祟り神にもなっていないし穢れてもいない。この宿は結界じゃなくて、沼の近くに社を建てて祀るのが正解だったんだろうねー」

 静かに見守る怜慧と将星の表情には、憐憫とも感じる複雑な感情が見える。


「将星、どうする?」

「瘴気を削り落として力を削ぐ。落ち着いて頂いた所で封印、かなー。怜慧君、予備の勾玉持ってる?」

「ああ」

 予備の勾玉とは、龍の召喚魔法に使用している水晶の勾玉のことだろうか。怜慧の荷物の中の小さな木箱は確かに十二個以上あったような記憶。


「封印してどうするんですか?」

「ん。今、王宮に祀るのは難しそうだから、小さな社でも沼の近くに作ってもらって、そこに収めるのがいいかなーって」

 

 怜慧が小箱から水晶の勾玉を二つ取り出して、将星に一つを投げる。チャンスがあればどちらでも封印できるようにということらしい。


「怜慧君、行くよ!」

 将星が四階の窓から飛び出すと、その服装が黒い狩衣に似た装束へと変化した。手から繰り出された赤い光の鎖が、怪獣の体にまとわりつく緑の苔を削り落としていく。

解縛かいばく! 灯華とうか!」

 怜慧は淡い紫の装束で、右手に紫の炎をまとう刀。斬りつける刃は緑の苔を削ぎ落す。あれが瘴気なのだろう。


 怪獣はハサミを振り回し、大きな口で周囲の物を吸い込みながら抵抗するように暴れまわる。宿の建物は透明な結晶で包まれていて、その巨体や尾びれが当たってもびくともしない。


 戦っているわけではなくて苔を削ぎ落しているだけだし、二人の動きは素早くて、何故か安心して見ていられる。みるみるうちに苔が消えていく。


「あ。綺麗になった」

 最後の苔を赤い鎖が削ぎ落すと、周囲に漂っていた重い空気が軽くなった。怪獣がまだハサミを振り回して暴れまわっていても、危険というよりも子供が駄々をこねて暴れているような雰囲気。


「さーて。そろそろ封印かなー」

 軽い声が聞こえて、ほっと安堵の息を吐いた途端。

 私の全身を寒気が包み込み、立っていることもできずに座り込むしかなかった。

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