第三十話 手を振る意味

 二頭の馬が全速力で走る光景は、とても珍しいものらしい。遠くの田畑で農作業をする人々が、その手を止めてこちらを見ていたり笑顔で手を振ってくれる。袖の短い簡素な着物の裾をからげていて、昔話に出てきそうな姿が新鮮。男女共に髷は結っていないので、意外と古臭さはなかった。


 荷物満載の荷馬車とすれ違う為、馬の速度が緩やかになってから口を開く。

「何で皆、手を振ってくれるの?」

「……お前が手を振り返すからじゃないか?」

「それって、わかるの?」

 そもそも遠すぎて、私の手が見えているかどうかも不明なのに。もしかすると、この世界の人々は全員魔力持ちなのだろうか。

「さあな。俺にはわからない」


 荷馬車に小さく手を振ると、手綱を持つおじさんが笑って手を振り返してくれた。

「……だからな。お前、気軽に手を振り過ぎだろ」

「えー、別に何も減らないしー」

 何百人とかに手を振り続けるなら疲れると思うけど、すれ違うほんの数人になら問題ないと思う。


 荷馬車が完全に通り過ぎると、将星が馬を操りつつ隣に並んできた。

「何、揉めてるのー?」

「……揉めてはいないんですが……遠くの人が手を振ってくれるのはどうしてかなって」

 喧嘩しているように見えたのだろうか。そんなつもりはなかった。


「あー、手を振ってくれるのはさー、僕たちが旅人に見えてるからなんだよねー。検非違使の黒装束とか武官の装束だと何か怖がっちゃうけど、普段着で馬走らせてたら割と好意的に見られるよー」

 検非違使の黒い狩衣は確かに威圧感があったと思い出す。警察官の制服を見ると、悪いことをしていなくても背筋が伸びてしまうのと似ているのか。検非違使はその装束の色から、からすと呼ばれているらしい。旅人に見えるのは鞍に下げた大荷物のせい。


「あとさ、手を振るっていうのは『往く人が無事でありますように』って願う意味もあるんだー。遥かな昔はぬさとか鈴とか振って神や精霊へ、旅人の加護を願う祈りの合図だったのが簡略化していったっていう話だよー」

 それなら元の世界ではどういう意味だったのかと考えてみても授業で習ったこともなければ、当たり前過ぎて考えることもなかった。神社で鈴を鳴らすのと同じようなことが元になっているというのは面白い。


「怜慧君とお嬢ちゃんは仲良しさんだねー。いいなー。僕も混ぜてー混ぜてー」

 将星の軽い言葉の直後、ぴきっと何かがキレた音が背後でしたような気がする。絶対に気温が下がった。

「そろそろ走るぞ。距離を稼ぎたい」

 何かこう、恐ろしいまでの冷たい空気を後ろの怜慧から感じて、笑いがひきつる。原因を作った将星は全く気にしていないのか、能天気に笑うのみ。速度を上げて走り出す馬の上、お疲れ様の意味を込めつつ、私は怜慧の腕を軽く叩いた。


      ◆


 朱雀が護る土地は、やたらと池と田畑が多い。暗い森よりも林ばかりで、走る道も明るく気分が軽くなる。乗馬に慣れてきたのか、全速力ですれ違う馬に乗る人の顔や服装を落ち着いて観察できるようになっていた。


 怜慧も将星も、魔法の天才なのだと思う。全速力で走る馬上の人は、大抵砂埃で顔や服、全身が汚れている。街道は石畳で舗装されていても、馬が走ると砂埃は舞う。土の道ならなおさら。そんな状況が普通で、顔も服も全身綺麗なのは普通ではなかった。


 目指す宿は遠く青龍が護る土地にあり、夕方になっても馬は走り続ける。将星の言っていた王都の結界の崩壊を怜慧も感じ取ったらしく、珍しく焦っているのを感じる。


 野宿でもいいという私の提案は二人から即座に却下された。野宿は野盗や獣に狙われるから危険という以上に、野営の準備に掛かる時間と手間を考えると、お金で全て片付く宿の方がタイパもコスパも良いという話。


 周囲が完全に夜になった頃、ようやく街道脇に建つ大きな宿へと到着。宿の門前に降り立った途端、どこからともなく現れた男性へと馬を預けて歩き出す。

 白木の柵に囲まれた四階建ての木造建築。あちこちに白い提灯が下げられていて建物全体が光り輝いていた。


「ひぇー。まぶしー」

「あー。あれは結界だねー。この近くに何かいるのかなー?」

 怜慧と宿を見上げていると、横から呑気な将星の声が聞こえてきた。白木は魔除け効果のある特殊な木で、白い提灯は魔法陣が描かれた魔法灯らしい。


「何かって、何ですか?」

「んー。火と土の属性の結界だから、水系の何かかなー。楽しみだよねー」

「面倒は呼ぶなよ。遊んでいる暇はないぞ」

 うふふと不気味に笑う将星に、すかさず怜慧が冷たく釘をさす。


「えー、おもしろそうなのにー」

 首を傾げて拗ねる将星を置いて、私たちはさっさと宿へと入った。


      ◆


 異世界でも現金は強い。怜慧も将星も金貨一枚ずつを出すと、宿の対応が明らかに変わった。最上階の部屋を用意され、豪華な夕食を頂いた後は、部屋に付属の天然温泉かけ流しのお風呂でのんびり。


 私がお風呂から上がると、交代で怜慧。一緒に入りたいとごねる将星を、無言で蹴り飛ばしていたのは見なかったことにする。

「恥ずかしがらなくてもいいのにねー。怜慧君がちっちゃい頃は一緒にお風呂に入ったこともあったんだよー」

「小さい頃?」

「えーっと、七歳か八歳くらいかなー」

 それは小さい頃と言えるだろうかと思っても、この世界では小さいと言うのかも。


 雨戸も障子も開け放たれていて、心地いい風が部屋を通り抜けていく。お風呂で温まった体には気持ちいい。窓枠に腰かけている将星に手招きされて、五十センチの距離は空けつつも隣に座る。


「ほら、あっちにヤバそうな沼があるよー。何か見える?」

 宿全体が光っているからか、将星が指さす先は真っ暗な夜の闇にしか見えなかった。夜空には赤と緑の月、そして小さな白い月。

「何も見えないです」

「そっかー。残念ー」

 それきり、会話が途切れた。怜慧となら会話が無くても平気なのに、将星だといたたまれない空気。鳳凰は荷物の上で寝ているし、早く怜慧が上がってこないかと心で願う。

 

「……怜慧君ってさ、お嬢ちゃんと一緒なら笑えるんだね」

 ぽつりとつぶやかれた言葉には、どことなく寂しさが含まれていた。将星の視線は夜空の向こう。どこか遠くを見つめている。


「昔、東我さんは絶対に弟子は取らないって言ってたんだよー。自分はヤバい神とか妖物と関わってて、いつ死ぬかわからないからってさー。僕が子供の頃に何度もお願いしたけどダメだった。それなのにさ、いつのまにか怜慧君が弟子になっててさー。あれ? 何で? ってうらやましかった」


 そういえば、怜慧以外の弟子の話を聞いたこともないし、見たことも無い。たった一人で王都を護る東我が、優秀な魔術師である将星を弟子にしない理由が思いつかなかった。


「ムカつくからさー、どんな奴かって思って見に行ったら、なーんか弱っちくて、いつも顔色悪いし笑わないしで……心配になっちゃってさー。……東我さんが密かに育児書読み漁った気持ちも分かったのよ」


 苦笑する将星の表情を見ながら、七歳という年齢で思い出した。それは怜慧の母親が毒殺された時。強くならなければ生き残れないと思った怜慧は、偶然出会った東我に弟子入りを志願して王宮から出たと言っていた。

 東我の見た目に似合わない母親のような細やかな気遣いは、怜慧の為に育児書を読み漁った成果だったのか。


「いつか怜慧君を笑わせてみたいって思ってたけど、お嬢ちゃんの方が先だったみたいだねー。ちょっと寂しいかなー」

 見た目はチャラくても優しい人。そう感じた。その方法はイラっとするけれど。


「どうやったら怜慧君を笑わせられるのか、僕に教えて欲しいな」

 一瞬で将星は距離を詰めて私の手を握っていた。ピンクアッシュの髪に青い瞳の美貌が超目の前で思考が固まる。


「え、えーっと……」

 座りながらじりじりと後退すると、窓枠に背中がぶつかった。絶体絶命。甘い笑顔というのはこういうものなのか。いくらイケメンでも、キスされてしまいそうな距離は怖すぎる。


 助けて! 心の中で叫んだ時、目の前の将星が消えた。

「え?」

 実際は将星が消えたのではなく、私が怜慧に助け出されただけ。私は怜慧の片腕にぶら下げるように腰を抱えられていて、窓際で座ったままの将星が目をぱちぱちとさせている。


「すごいねー。僕にも怜慧君の動きが見えなかったよー」

 へらへらと笑う将星を見下ろす怜慧の表情は絶対零度。将星に握られた手を拭うように叩いた途端、白い浄化の光が煌めいた。


「おい、こら。お前」

 またやってしまった。てへぺろ。将星が笑い転げているのは無視したい。

「えーっと、ここは……」

「……青龍が守護する土地だな。急ぎ結界を強化する」

 そう宣言して、怜慧は口を引き結んだ。

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