第二十五話 災厄を起こす悪鬼

 もふもふの鳳凰ほうおうは可愛い。仕草で撫でろと要求されて、もふると嬉しそうに体を揺らすので嬉しくなる。

「……おい……」

「どしたの?」

「…………さっきから俺の命令を聞かないんだが」

怜慧レイケイが撫でてあげないからじゃない? 優しく撫でてあげて」

 先ほどから何度も怜慧が鳳凰を掴もうとしても、スライムのようにするんと逃げられている。両手の上に鎮座する鳳凰を怜慧の前に差し出す。


「撫でろと言われてもだな。こいつは式神で……仕方ない。試してみるか……」

 口を引き結びながら伸ばされた怜慧の手は空を切り、器用に体を変形させて避けた鳳凰が、その体を上下に揺らしている。

「……避けられたっ?」

「掴まれるって思ったんじゃない?」

「……撫でるだけだ、な? 動くなよ?」

 ひきつった笑いを張り付けつつ伸ばされた手は、またもや華麗に避けられた。

「……用件は済んだ。消えていい」

 ついには表情が死んだ怜慧が命令しても、鳳凰は私の手の上でころころと転がっている。その姿がとっても可愛くて頬が盛大に緩む。


「まぁ、いいだろう。飽きたら消えてくれ」

 鳳凰の制御をあきらめた怜慧は、がくりと肩を落として溜息一つ。

「消えないことで何か問題あるの?」

「式神が姿を現している時には、俺の魔力供給が必要になる。……大した負担ではないから構わない」

 完全に目が死んでいる怜慧から、拗ねている空気が流れてきて可愛い。鳳凰は私の腕をスキップで駆け上がり、左肩へと留まった。


「きゃー、可愛いー!」

 可愛いもふもふなマスコットキャラが仲間になった感でうきうきしていると、怜慧が格子戸へと視線を向けた。

「どうしたの?」

東我トウガからの連絡が来た。――入許ニュウキョ・伝達」

 怜慧が唇に二本の指をあてると、格子戸の隙間から紙のような薄さになった白い狐がにょろりと侵入してきた。ぺらぺらな狐は膨らんで、頭からしっぽまで約一メートルの白狐が空中に出現。


『王宮から追手がそちらへ向かった。人ではなく妖物の類だが、魔力が強い。妙な気配をまとっているから、念の為に加勢を送る』

 白狐の口から聞こえてきたのは、東我の声。可愛らしい白狐と筋骨隆々の東我のギャップが脳裏を駆け巡り、どうにもムズムズする。ついに追手が出たと言われても、怜慧がいてくれるから危機感は薄い。


「了解。王都の護りは四神獣だ。いずれも穢れている可能性が高く、浄化を求めている。玄武は浄化して滅した。他の処置を頼む」

 怜慧の言葉を聞いて頷いた白狐は水色の光に変化して、格子戸の隙間から飛び出していった。

「今の何?」

「管狐に返声を頼んだ。……今の説明で通じるといいが……」

 式神に長い言葉を預けるのは難しいらしい。文章制限があるなんて、まるでメッセージアプリの魔法版。


「妖物って、神獣のことかな?」

「どうだろうな。王宮からと言っているから、別物の可能性もあるぞ」

「あ、そっか。で、妙な気配って何?」

「全くわからない。邪気や瘴気なら、はっきり言うだろう」

 王都一の魔力を持つ東我でも判別できない気配とは、一体何なのか。


「そろそろお前は寝ていいぞ。何かあれば起こす」

「えー。そんなこと言われたって、まだ眠くないもの」

 穢れた白虎が追いかけてきた場合、私の浄化の術が必要。そんな思いが目を冴えさせている。

「今夜来るかどうかもわからないんだぞ。いいから寝ろ」

「怜慧は?」

「俺は夜が明けてから寝る。聞き分けがないなら寝所へ運ぶぞ」

 何を言うのかと反論する前に、ふわりと抱き上げられた。場違いな羞恥が頬に集まっていくのがわかる。部屋が薄暗くて良かった。


 部屋の中、几帳で囲まれた寝所へと運ぶ途中で、怜慧が動きを止めた。

「どしたの?」

「来た。……降ろすぞ」

 私をそっと降ろした後、怜慧は格子戸に駆け寄り少しだけ開いて外を覗く。何をどうしたらいいのかわからなくて、怜慧の隣に寄り添って外へと目を凝らす。


 寝殿造の屋敷の広い中庭は白い石が敷き詰められ、南側には池が作られている。あちこちに置かれた篝火と、下げられた白い提灯が庭を照らす中、ずるずると足を引きずるようにして移動する黒い影が見えた。高さは三メートルはあって、長いしっぽを含めると、体長十メートルはありそうな気がする。とにかく巨大で真っ黒な影が動いているのが不気味。


「……あのシルエット、虎だよね? やっぱり白虎かな?」

「ああ、そのようだな。早々に片付けよう。それから……俺が良いと言ったら、結界から出てきてくれ」

 怜慧は格子戸の一つを開け放ち、廊下を蹴って庭へと駆け出した。走る中で体が紫色の光を帯び、狩衣と洋装を足して割ったような不思議な淡い紫色の装束へと変化していく。

「うっわ。トラックサイズ……」

 怜慧が白虎の正面に立つとその対比がわかってヤバい。


「神獣、白虎とお見受けする! 貴殿の目的は何か!」

 剣を持たず対峙した怜慧の言葉を聞いて、虎の影は咆哮した。獰猛にも聞こえる声はどこか物悲しく、悲鳴にも聞こえる。

『……ようやく、我の真の姿を見る者が現れた……。だが、我は正体を語れぬ。真の名を縛られ、贄を喰わされた』


『神獣とは魔力と神力の二つの力を自在に操る者。贄を喰えば一時的に魔力が高まるが、神獣たる根本の神力を失っていく。我の神力はさほど残ってはおらぬ。このままでは魔獣へとなり下がり、人の世に災厄を起こす悪鬼となる』


『……我が守護する地で、創世の女神と同じ懐かしく清らかな浄化の力を感じ、居てもたってもいられずに気配を追って来てしまったが、今更浄化は望まぬ。できれば一刻も早く殺して欲しい。でなければ、程なくして我は見境なく人を喰らうであろう』

 黒い影は震え、泣いているようにも見えた。


「承知した。――飛翔・炎鷹えんおう

 怜慧の手から離れた一枚の護符が、紫色の炎の鷹になって黒い影の周囲を飛ぶ。紫光の軌道は、ぱらぱらと小さな星のように降り注いで地面に光の魔法陣を描いていく。紫色の光は、青みを帯びて水色へと変化した。


水冠華すいかんが・発動せよ」

 怜慧の静かな声に応じるように、水色に輝く魔法陣から水柱がいくつも立ち上がり、鳥かごのように影を包み込んでいく。黒い影はまっすぐ怜慧を見据え、安堵しているようにも見えた。


 水で出来た鳥かごは、白虎から何らかの力を奪っているらしい。白虎はうずくまり、やがて頭も地面へと落ちた。そろそろ私が呼ばれるかと身構えた時、空に雲一つないのに黒い雷が白虎へと落ち、轟音が響き渡った。

 

「結界から出るな! ――解縛かいばく灯華とうか!」

 私に向かって叫んだ怜慧の手に、紫色の炎をまとった刀が現れる。

「何が起きてるの?」

 白虎だった影は地面に倒れ小山のようになっていて、魔法陣は真っ黒に変色している。その魔法陣から、黒い炎に包まれたタロットカードが七枚現れた。それは私がいつも使っているカードと絵柄が同じ。胸元に収めた自分のタロットカードに服の上から触れて確認しても変化はなかった。


 七枚のカードは、空中でヘキサグラムスプレッドを展開した。過去を示す場所には『塔』、現在に『皇帝』、未来に『悪魔』。本人を示す場所には『魔術師』、対応策に『力』、相手に『吊るされた男』、結果が『死神』。遠くからでも慣れたカードは、その絵柄がはっきりと見える。


 鈴の音がしゃらしゃらと鳴り響き、聞き覚えのない若い女性の声が周囲に響いた。

「――いにしえの神々の力は『塔』と共に崩壊し、『皇帝』は自らの目的を達成するために正義の『力』を振るう。『魔術師』は〝剣〟の力を『悪魔』に与え、『吊るされた男』は『死神』に連れ去られる」


 無限の可能性を持つ『魔術師』のカードには、金貨・剣・聖杯・棍棒が描かれている。ソードは四大元素の風を意味し、季節は秋を示す。白虎の守護する方向は西、司る季節は秋。


 タロットを包む黒い炎が勢いを増し、地面に倒れた白虎へと注がれていく。白虎の影は一回り巨大になり、その額を突き破って二本の禍々しい角が現れた。神獣が悪鬼になるという光景を目の前にして、思考も体も止まっている。


「――これは定められた運命。誰も抗うことのできないもの」

 女性の声が頭に響き、ずしりと空気が重くなったように感じて動けなくなった。


 悪鬼と化した白虎がゆらりと立ち上がる。見えなかった目は血のように赤く輝き、開いた口には真っ赤な舌と鋭い牙。咆哮は大地を揺らす。

 白虎は地響きを立てながら怜慧へと向かっていく。怜慧は刀を構えたままで微動だにしない。


 すべてがスローモーションのように見えていた。運命に圧し潰されるというのは、こういう事なのだろうか。指一本動かせない状況で、嫌な汗が流れていくのを感じるだけ。刀を持つ怜慧が、体を動かそうと抗っているのがわかる。……抗っても無駄なのにと、心が何故か重く落ちる。


 白虎の巨大な腕が振り上げられた。その爪は巨大で刃物のように鋭い。

「……やめて! 怜慧を殺さないで!」

 ようやくふり絞った言葉も小さすぎて届かない。自分に止める力がない絶望が心を斬り裂いていく。


 白虎の爪が怜慧を引き裂こうとした瞬間、どこからともなく飛んできた赤い光の鎖が腕や体に巻き付き、白虎の動きを止めた。


「怜慧くーん。遅くなってごめんっ。加勢に来たよっ」

 白虎を縛る赤い光の鎖を手に片目を瞑って現れたのは、萌黄色の狩衣姿の将星ショウセイだった。

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