第二十四話 金色のもふもふ

 獣道を突っ切って森から抜けると、村が見えてきた。田畑で農作業をしている村人を横目に見ながら、馬はひたすら走る。どこまでいくのかと思った時、石畳が敷かれた街道へとたどり着いた。


 街道を走り、宿がある街に到着した。日はまだ高く、あの独特の寒気も感じないことにほっと安堵の息を吐く。もしかしたら、一瞬過ぎて白虎に気が付かれなかったかもしれないし、そもそも神獣全部が穢れているかどうかも定かではない。


 当初予定していた宿を見て、怜慧は馬の方向を変えた。

「あれ? その宿じゃないの?」

「二軒隣が遊郭だ。長年蓄積した人の怨念が邪気になって渦巻いている。……普通は柵を作って外界から隔離することで簡易結界を生成するが、あの店は何の対処もしていない」

 先日見た歓楽街が赤い木の柵で囲まれていたのは、そういう意味があったのか。通りすがりに注意してみても、木の格子窓の中、綺麗な着物で着飾った女性たちが優雅にお茶を飲む飲食店にしか見えなかった。

「……店先に赤い提灯が下がっていただろ? あれが目印だ。……白虎が穢れているかどうかは不明だが、邪気を利用されたら面倒だ」

「面倒って何?」

「邪気を吸収して一時的に力を強めることもできるし、人間の心を操ることも可能になる。神獣相手なら問題ないが……人間を使われると厳しい」

「……ごめんなさい……私のせいで……」

 怜慧と玄武の戦いを見ていたというのに、私の不注意でまた戦わせることになってしまった。うつむいた私の頭にぽふりと怜慧の手が乗った。


「謝らなくていい。そもそもお前は、俺の国の問題に巻き込まれてるだけだからな。俺たちが片付けるべき事柄だ」

 ぽんぽんと軽く叩くと怜慧の手は離れる。たったそれだけでも、ほっとした。


「他の街に行くの?」

「いや。……知人の屋敷へ行く。早いが夕食は済ませて行こう。何か食べたいものはあるか?」

 正直に言えば食欲はない。それでも、怜慧に心配を掛けないように少しでも食べておきたい。

「魚料理か麺類かなー。あ、あの店どう?」

 私は雰囲気がよさそうな店を指さした。


      ◆


 私が適当に選んだ店は大当たりで、ほうとうに似た料理がとても美味しくて満足した。食べている間に日は沈み、外はすでに夜の闇。歩き出した馬は街の明るい光からどんどん離れて行く。


「知り合いって、貴族の人?」

 そういえば、逃避行は宿と貴族の屋敷に泊まると言っていたような気がする。

「ああ。子に官位を譲って隠居生活をしている方だ。……将星ショウセイの父君にあたる」

「お知らせとかせずに、いきなり行っても大丈夫なの?」

「先触れは送ってある」

 私が気が付かなかっただけで、怜慧は自らの式神を使って相手に知らせていた。


「えー、怜慧も式神とか使えるんだー?」

「……東我に昔習った。まさか使う日が来るとは思わなかったが……」

 暗いからわかりにくいものの、どうやら恥ずかしく思っているらしい。怜慧の式神は一体どんな姿をしているのだろうか。


 屋敷は街を見下ろせる高台に建っていた。隠居生活といいつつ、東我の屋敷よりも広い寝殿造。門はすでに開いていて、紺色の着物姿の男性たちが待っていた。

「夜分に失礼する。主に知らせておいた者だ」

「ようこそいらっしゃいました。主がお待ちしております。さあ、どうぞ」

 男性に馬と荷運びを依頼して、私たちは門の中へと案内された。


 広い正面玄関の上り口、濃紺の直衣姿の初老の男性が正座で待っていた。黒い烏帽子を被っているからか、将星と同じアッシュピンクの髪色が目立たなくて、むしろおしゃれに見えた。将星の父親は怜慧の姿を見て、青色の瞳を優しく細め、深く深くお辞儀をする。

「怜慧様、ようこそいらっしゃいました」

「急なことだが、西のたいにある将星の部屋を借りたい」


「どの部屋でも、どうぞご自由にお使い下さい。西の対の人払いも完了しております」

「此度の協力に感謝する。……貴方には正直に告げておこう。今夜か明夜、穢れた神獣が訪れる可能性がある。私が屋敷を包む結界を設置するが、夜明けまでは何が起きても部屋から出ないようにご留意願う」

 その表情を消し、背筋を伸ばして堅苦しい言葉を話す怜慧は手が届かない王子様の印象が強くなる。隣にいるのに距離が遠くなったみたいで心細い。


「穢れた神獣ですか。もし、お許し頂けましたら主殿と東の対の結界は私が担当致します。怜慧様はどうか神獣にのみご注力下さい」

「ならば、結界は頼む。神獣はおそらく白虎だ。穢れているが故に正確な気配を感じることは難しいだろう。結界に精霊の力を借りるのなら、風と闇以外を選ぶべきだ」

「はい。承りました。すぐに準備を始めます」

 会話の内容がさっぱり理解できないまま立っていると怜慧から声を掛けられた。

「これからお前を運ぶが、いいか?」

「へ?」

 何故と聞く前に、怜慧は私を抱き上げた。思考が硬直して何が起きているのかわからないまま、私は運ばれていく。


 案内もなく、怜慧は慣れた足取りで主殿を通り、渡り廊下を通り過ぎ、やがて一か所だけ格子戸が開けられた部屋へと入って、私を降ろした。

「え、えーっと、何で?」

「お前の痕跡を主殿に残さない為だ。白虎には真っ先にここに来てもらう」

 門から玄関まで、私が歩いた跡は屋敷の主が消してくれるらしい。白虎にすれば、私はいきなりワープしてこの部屋に入ったことになる。


 将星の部屋は、国語の資料集で見た平安貴族の部屋そのもの。板張りの床に、四角い置き畳。文机や棚。几帳で区切られた場所にはベッド替わりの分厚い畳。

 奥の白い壁は塗籠と呼ばれる、寝殿造で唯一壁がある部屋だろうか。

「お前は塗籠の中で隠れて……」

 塗籠の扉を開けた怜慧が口を引き結ぶ。横から覗き込むと、三畳くらいの部屋の中には、本や巻物、木箱が積みあがって埃にまみれていた。


「あいつ……まだ処分してなかったのか……雑な封印しやがって……」

 ぎりぎりと怜慧が歯噛みする音がする。

「何? どしたの?」

「昔から将星は、研究と称して呪物の複製を作っていたんだ。俺は何度も実験台扱いされて酷い目にあった……」

 どうやら部屋に山積みになっているのは呪物のレプリカ。魔術師が作るレプリカなのだから効果も再現できていそう。何となく、嫌な空気が籠っているような気がする。


「何回もひっかかったの? 普通、警戒しない?」

「……子供の頃の話だ。箱が開かないだの、難しくて字が読めないだの、手を替え品を替えだったんだ……」

 怜慧は真面目で素直な子供だったのだと思う。可哀想にと思いつつも、その光景はどうしてもコメディでしか想像できなくて、せめて笑わないようにと必死で口を閉じる。


 諦めた怜慧は塗籠を閉じて丁寧な封印を施し、部屋の四隅に御札を貼って結界を張り巡らせた。眠るにはまだ早い時間で、がらんとした部屋の中、置き畳に並んで座る。油を燃やす高灯台の光が、ぼんやりとした二人の影を壁に映している。

「……白虎、来るかな?」

「それはわからない。今日、明日と様子を見て来ないようであれば、次の『二之宮』へ行く。追いかけてくると決まっている訳でもないしな。俺が必ず護るから心配するな」

「ありがと」

 ほわりと温かくなった心で怜慧を見上げると、赤い瞳と視線がぶつかった。今更ながらに、何を話したらいいのかわからない、もどかしいようなくすぐったいような不思議な空気が流れていく。


 薄暗い閉鎖空間で怜慧と二人きり。今まで何度となく同じ状況はあったというのに、自分の胸がドキドキしているのがわかる。こんな緊迫した状況で不謹慎とわかっていても、思考はぐちゃぐちゃで頭も頬も熱い。


「あ、あの、怜慧の式神ってどこ?」

「あ、ああ。……見ても笑うなよ?」

 熱を帯び始めた空気を打ち消したい私の言葉に、怜慧が答える。唇に人差し指と中指をあてて何かを呟くと空中にテニスボール大の金色の光が現れて、私の目の前へふらふらとやってきた。

「おい、こら。そっちじゃない。俺の命令を……」

 光は今にも落ちそうで心配になって両手を差し出すと、手のひらの上に金色の小鳥が現れた。その姿は冬仕様のシマエナガに似ている。

「きゃー! めっちゃ可愛いー! 何これー! もふもふー!」

 手のひらのもふもふが可愛すぎて頬が緩む。


「……鳳凰ほうおうだ」

「は? 鳳……凰? 鳳凰っ?」

 二度見どころか三度見してしまいそう。この金色のシマエナガが伝説の霊鳥の鳳凰とは俄かに信じがたい。

「……だからずっと俺は式神を使わなかったんだ……」

 そう呟く怜慧は遠い目をしていた。

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