第二十二話 創世の女神の不在

 夜明け前、私たちは宿に荷物を馬を預けて女神の神殿へ向けて出発した。店もちらほら開いていて、意外と人が歩いている。完全に観光地のノリと雰囲気。 

「結構人いるのね」

「早朝の神事を見物するんだろう。年に二回の大祭と年始には、街に収まりきらない人数が押し寄せる」


 はぐれないようにと繋がれた手が熱い。これまで何度も触れたこともあるし、夜は一緒に過ごしていても、意識しすぎてドキドキする。

 出会った時から、カッコイイとは思っていた。いろいろと気遣ってくれて優しくて、私を護ってくれた。それはきっと、この国のトップであり父親の王が異世界召喚をした相手で、異世界に戻そうとしてくれるのも、この国としての罪滅ぼしというか謝罪の気持ちなのだろう。


 声を上げて笑うと可愛い。たったそれだけのことで好きになってしまった。一緒にいられる時間は短すぎるから、怜慧には何も言わずにいようと思う。怜慧が私のことをどう思ってくれているのか知るのも怖い。


 巨大な白い鳥居が見えてくると、数百人の人が列を作っていた。素朴な着物姿の人や、豪華な着物、平安時代の壺装束に似た服、シャツにズボン、簡素なワンピース等の洋装と、皆バラバラながら、唯一共通しているのは清潔感。泥や汗で汚れている人は一人もいない。

「うわ。人多過ぎー」

「この程度の人数なら、すぐに順番が来る」

 怜慧の言う通り、人々はどんどん進んであっという間に鳥居を超えた。


 女神の神殿は森に包まれている。参道の脇には巨木が立ち並んでいて、木の合間から朝の光が差し込むと草木が深呼吸しているように感じる。人々の明るい笑い声と話し声が響いて、小さくなった夜の闇が葉の影に隠れたように見えた。


 最初の鳥居からしばらく歩くと次の鳥居が見えてきた。鳥居は外鳥居、中鳥居、本鳥居と三つある。中鳥居をくぐると爽やかな風が吹き抜ける。

「鳥居は結界の入り口だ。神殿を護る結界は三層になっていて、まずは外界と分け、浄化しながら中界へと続き、神界へと向かう」

 普通の人には感知できない程度の結界と怜慧は説明してくれたけれど、神殿に近づくにつれて空気の澄み具合が違うと感じた。


 三つ目の本鳥居を抜けて、やっと神殿。高さはあっても全体的に小ぢんまりとした白い神社のような建物は木の柵に囲まれていて近づけない。正面から十メートル離れた場所に、祭壇と祈りの場が設けられていて、鈴やお賽銭箱らしきものはない。


 あれだけ賑やかだった人々も、神殿の前では口を閉ざす。朝の光が白い神殿を輝かせると静かな感嘆の声が波のように広がっていく。美しい女神の降臨。そんな光景に見えるから不思議。


 順番が来て、私たちも祭壇の前へと進み出た。挨拶の方法は人によって様々で決まっているものではないらしい。私と同じ二礼二拍一礼の人もいれば、跪いて祈る人もいる。祈りが終わっても、祈りの場から離れた場所に残っている人が多い。

「何かあるの?」

「ああ。女神へ朝食を捧げる儀式がある」

「へー。そうなんだ」


 少しして、白い直衣のような装束を着た一団が現れた。大きな箱を神輿のように木の棒で担ぎ、正面へと向かう。一人が階段を登り、正面の扉を開く。


 その時、私は気が付いた。これまで御神体を納めた宮との気配の違い。御神体を納めた宮は温かく息づいていた。先日『一之宮』へ戻った時、十メートル以上離れた場所でも、神様の気配は感じた。

「……怜慧……この神殿……」

 女神の気配が全くない。周囲に人が多すぎて、そんな不敬な言葉は口にはできなかったものの、怜慧も気が付いたらしい。

「ああ。外に出てから話そう」

 儀式は短時間で終わり、人々の流れに乗って私たちは外へと出た。


      ◆


 女神のいない神殿から離れ、宿に戻って出発するまでは話ができなかった。途中、怜慧が防音結界を張ろうと言ってくれたものの、一刻も早く離れたい気分だった。


 急いで街を出て『八之宮』がある森へと入った時、馬の速度が緩やかに落とされた。

「そろそろ話をしてもいいだろ」

「そうね。……はー! もー! びっくりー!」

 深呼吸して、叫びを上げる。背後で笑われても想定内だから平気。


「ちょ。もう、叫びたくてどうしようもなかったんだから! あの神殿、空じゃない! 女神様がいらっしゃらないのに、誰も気が付かないの?」

「正直に言えば難しいだろうな。俺もお前と一緒にいるから気が付いたようなものだ。あの土地自体に、清らかな力がある。宮に戻った神々の気配と、お前の神力を感じていなければ、魔力持ちの俺にはわからなかった。神力を持つ神官の血は途絶えたから、今の神官に神力を持つ者はいない。女神がいるいないに関わらず形式的な儀式を続けているだけということだな」


「だが無駄ではないと思うぞ。俺たちが復活させている宮と同じで、いつか女神があの神殿に戻ってくるかもしれない。それまでの維持管理と、あの街の経済的な支柱と思えば暴かない方が得策だ」

「あ、そうか。そうね。今だけ不在かもしれないのか」

 あの場で騒がずによかったとほっとした。女神様が不在と広まったら、あの街に大変な損失が出ていたかもしれない。


「そっかー。もしかしたら、女神様は神降ろしを予知してどこかの岩戸にお隠れになってるのかも」

「岩戸に隠れた? 何だそれは?」

「岩戸って、岩で出来た洞窟なの。私の世界っていうか、日本っていう国の最高神も女神様なんだけど、弟の神様が暴れて世の中が荒れて穢れちゃったから、キレて岩戸にお隠れになったことがあったの」


「最高神は太陽神でもあるから、お隠れになったら世の中真っ暗よ。ご丁寧に、御自分の光が漏れないように入り口は大岩で塞いで完全防御だし。困った他の神様たちは何とか出てきてもらおうって、いろいろ試してみるんだけど全くダメ」


「神様たちが考えた奥の手は、岩戸の前で飲めや踊れやのどんちゃん騒ぎよ。よっぽどうるさかったのか、女神様は自分がいなくても皆が楽しそうなのは何で? ってちらっと岩戸を開けて聞くの。そしたら、女神様より美しく立派な神様がいらっしゃいましたって神様たちが答えて鏡を差し出すの」


「鏡に映ってるのは女神様本人なんだけど、岩戸の隙間からは見えにくくて、もっとみようと身を乗り出したら、手をひっぱられるし、岩戸も力持ちの神様が開けちゃうしで、女神さまは出てくるしかなくなってめでたしめでたしーっていう話」


「この世界の女神様も、嫌な空気感じてどこかに隠れてるのかなーって」

 自分で言うのも何だけど、どこにでもいる普通の女子高生に同化させられるなんて絶対嫌だと思う。


「創世の女神なら神降ろしの計画立案の時点で全てをご存じかもしれないな。それで隠れているのも頷ける。しかし……その話だけを聞くと、お前の国の最高神はとんでもなく面倒な方だな。人間味があり過ぎるというか……」

「神様は、自分たちに似せて人間をお創りになったっていうから、そんなものじゃないの? 他の神様も人間味あふれるエピソード満載よ。それに、この世界でも宮にいらっしゃる神様たちも個性的だし、人間味あり過ぎよ」

 日本の神話は盛沢山で面白い。元の世界に戻ったら、もっと読んでみたい。


「日蝕の神降ろしが失敗して安全になったら、あの神殿へ戻っていらっしゃるかな? 私は確認できないかもしれないから、怜慧が確認してくれる?」

 気楽な私の問い掛けに、怜慧は沈黙した。想定外の反応で驚いてしまう。

「えっと、私、無理なこと言った?」

「いや。俺はその時動けないかもしれないから…………気が進まないが将星ショウセイに頼もう。あいつは……ああ見えて有能だ」

 怜慧はあの検非違使の魔術師が苦手なようで、口を引き結ぶ。


「あいつは隠しているが、王都でも二番目……東我の次に魔力がある」

「え? 何でそんな人が検非違使やってんの?」

「精霊や妖物と関わるより、人間と関わる方が気楽でいいそうだ」

 あまりにも軽すぎる将星の顔を思い出し、私は納得してしまった。 

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