第二十一話 笑顔の可愛さ

 早朝に宿を出て怜慧レイケイは『八之宮』を目指して馬を走らせていた。残り七カ所の宮を最短で回るルートは、二人で話し合って決めた。

 神獣のことは気になる。それでも、怜慧に負担を掛けてしまうから私は手を出さない方がいいと繰り返し自分の心を説得する。


 北を守護する玄武が私を追ってきたのは、王都の北部に建っている『一之宮』の近くで浄化の術を使ったからだと怜慧は推測していて、私は浄化の術を使うことを禁じられた。


 玄武が消えたことで、現王が作る王都の結界の均衡は崩れた。穢れていたとはいえ神獣の力の影響がすぐに消えるとは思えず、しばらくは結界は維持される。その間に十二の宮を再生させて結界を再起動するということが、今の私たちに求められている。


 結界は王都を災いから護るものであると同時に、王宮内に祀られたまがかみを封じ込めるものだと怜慧は教えてくれた。代々の王は、全国で災厄を起こす精霊や妖物を捕らえて封じ、王宮で丁重に神として祀りあげて鎮めている。


 怜慧としては王都の結界はどうでもよくて、龍の召喚の方が重要らしい。私を元の世界に戻す可能性を優先したいというその気持ちが嬉しい。ただ、私が元の世界に帰れても怜慧はこの世界で生きていくことになる。だから王都の結界も完成させておきたい。


 怜慧は私の安全を気にして街道を走るルートを提案してくれたけれど、私はあえて完全な最短距離を求めた。森の中、獣道かと思うような道を走っていても、黒馬はとても賢いし怜慧の馬の扱いの技術も高くて安心できる。何よりも私の腰を支える腕を信頼している。


 唐突に視界が開けて、崖の上で馬が止まった。眼下の石で舗装された広い道には、十台以上の荷馬車が走っている。

「あれは大街道だ。あの道を進めば全国を一周することができる」

「へー、牛車はいないんだ」

「あれは近距離用の乗り物だ。この大街道を使っての移動なら、長距離になるから馬車を使うのが普通だな」

 それはそうかとみていると、のろのろと走る一台の牛車を見つけてしまった。牛車を囲み十名くらいの従者が歩き、五名の騎馬した護衛がゆっくりと同行している。人間が歩く速度と同じだから、遠方へ行くなら何日掛かるのだろう。


「あれ、牛車じゃない?」

「……そうだな。見栄っ張りの貴族の初旅というところか。詩歌か物語で牛車の旅を夢見たんだろうな」

「あー、成程ね。時間が有り余ってる人の贅沢旅よね」

 ゆるゆるとした牛車の歩みは、上から見ているとちっとも進んでいるように見えない。


「さて、降りるぞ。舌を噛まないように口を閉じておけよ」

「は? 降りるって、どこを?」

「この崖を降りる」

 さらっと何でもないような口ぶりに驚いて振り返る。


「何驚いているんだ? お前がこの道で良いっていっただろ? 俺は何度も良いのかって確認したよな?」

 私の顔を見て、怜慧は笑いをかみ殺す。確かに何度も聞かれたことは覚えている。

「が、崖って地図には書いてなかった!」

「一応、道ということになっているからな。地図上ではよくあることだ」

「意味がわかんない! カーナビ通りに走ったら湖一直線でしたとかそういうノリなのっ?」


「地点表示? よくわからないが、とにかく降りるぞ!」

「ひょええええええええええ!」

 黒馬は軽やかな足取りで崖を降り、私はおおよそ可愛いとは言い難い叫び声を上げながら、怜慧の腕にしがみつくしかなかった。


      ◆


 衝撃の崖降り後、次の街へ到着しても私は魂が抜けたようになって馬に揺られていた。怜慧はずっと体を震わせながら笑いを堪えている。

「そろそろ宿に着く。大丈夫か?」

「大丈夫な訳ないでしょっ! 何あれ、ジェットコースターよりヤバいじゃない!」

 馬上では足元が一切見えないから、とにかく怖い。上るよりも降りる方が怖い典型だと思った。


「遊戯列車? 何だそれ? あの崖はまだ道の部類にはいるぞ」

「絶対、道じゃないって!」

 あの岩だらけの崖の、どこが道だというのか。

「普通の崖なら馬体ごと逆さになって降りるが、そうではなかっただろ?」

 その言葉の意味が全くわからない。馬体ごと逆さ? 人語でお願いしますと言いたい。先ほどの崖以上に怖い状況なんて想像してはいけないと踏みとどまる。


「と、とにかく。今後、崖は避けて!」

 私が抗議しながら振り向くと、ついにこらえきれなくなったのか怜慧が声を上げて笑い始めた。その顔が想定外に可愛らしくて、ときめいてしまった。

 羞恥かときめきか理由がわからないまま頬が熱くなった私は、ぺちぺちと怜慧の腕を叩いて誤魔化すことにした。


      ◆

 

 今日の宿はこの世界では珍しい三階建て。一番お高い部屋は、やっぱり一番上の三階三室という贅沢さ。完全木造建築のベランダの床はすのこ状態で、板と板の間に広い隙間があって下が見える。

「え、これ、何か物とか落としたら最悪じゃない?」

「お前が落ちるなよ」

 背後から怜慧の注意を聞きつつ、最初の一歩の恐怖を乗り越えれば意外と平気だと思った。


「流石にこの隙間で落ちる訳な……っ!」

「何やってんだ?」

 見事に隙間でつまずいて、顔面からコケそうになった所を怜慧が抱き留めて難を逃れた。

「ありがと。……笑わないで!」

 声を上げて笑うと怜慧は可愛くなる。そう気が付いても、笑う原因が私なのは酷いと思う。笑うなら、違う理由にして欲しい。


 怜慧の腕の中から抜け出て、ベランダのお寺の欄干のような手すりをしっかり握る。見下ろす街は、とても賑やか。多くの人や馬が道を歩いているのが見える。

「人が多い街なのね」

「この街は国で二番目に大きな女神の神殿があるからな。参拝客がほとんどだ」

 言われて見ると、マントや笠を被った旅姿の人が多いような気がする。

「神殿ってどこ?」

「あの森の中だ」

 怜慧の指さした先には、深い森。じっと目を凝らしてみても、屋根の装飾らしきものが木の間に見えるだけ。


「行ってみるか?」

「んー。行くなら朝がいいかな。もう日が暮れちゃうでしょ」

 傾いた太陽は、高い山の向こうへと近づいている。今から神殿に向かうと確実に夜の時間になってしまいそう。……それよりも心配なことがある。

「……私が参拝して、女神は怒ったりしないかな?」

 私は女神を地上に降ろす依り代としてこの異世界に召喚された。

「大丈夫だろ。お前が怒られるのなら、王族である俺の方が先だ。不敬な計画を止められなかったんだからな」


 夕焼けの中、街中いたるところに下げられた白い提灯の光がともる。白く丸い光が無数の星のようにも見えて美しい。

「あ、綺麗……」

「……ああ。綺麗だな」

 ふと怜慧を見ると、一瞬だけ視線が合った。すぐに目は逸らされてしまったから、何に対して綺麗だと言ったのかはわからない。それでも自意識過剰な私の鼓動は爆上がり。


「ご、ご飯まだかな?」

「夕飯遅いな」

 同時に放った言葉が何故か可笑しくて、怜慧と私は一緒に笑い始めた。

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