第十七話 魔道具屋のタロットカード

 魔道具店の扉を開くと、お香の匂いとアヤシイ雰囲気たっぷりの光景が視界に広がる。黒い布に覆われた窓は日光を通さず、ゆらゆらと揺れるロウソクが店内を照らす。棚には天然石で出来た腕輪や指輪が木箱に入ってずらりと並び、ロウソクの炎を受けてキラキラと煌めいている。革表紙の本や巻紙、ハーブと思しきドライフラワーの束が天井から下がり、角が生えた動物の頭蓋骨、蛇の全身骨格、何か液体が入った茶色のガラス瓶等々、ありとあらゆる西洋の魔術的な道具が並んでいる。


「いらっしゃいませ」

 長い黒髪に青い瞳。透き通るような白い肌が印象的な美形が店の奥に座っていた。黒いローブはまさに西洋風の魔術師のようで、とにもかくにも似合っていてカッコイイ。暇を持て余していたのか、その手にはカードが収まっていた。

「え? タロットカード?」

「はい。今ならお安く致しますよ」

 店主の目の前にある卓には、深紅の布が敷かれていて豪華な絵柄が印刷されたタロットカードが並べられている。それは七枚のカードを使って六芒星の形で占うヘキサグラムスプレッド。人間関係や恋愛向けで、反射的に読み解いてしまいそうになるから慌てて視線を店主の顔へと向けた。


「これは……普通に売っている物なのですか?」

「はい。普通に売っています」

 にこにこと人の良さそうな笑顔を返されると、それ以上は追及しにくい。提示された価格は、先ほど見た置物よりも二桁安い。まだはっきりとは物価がわからないものの、子供でも買える値段ではないだろうか。


「……これは安価過ぎないだろうか」

 怜慧も私と同じ感想を持ったらしく、遠慮がちに問いかける。

「この価格でも全く売れませんので。あの大量の在庫が無くなりませんと、新しいタロットカードを仕入れることができないので困っております。廃棄するには惜しい逸品ばかりでしてね」

 微笑む男性が指し示した棚には、在庫と思しき木箱入りのタロットカードが大量に詰まっていた。ざっとみても百個は余裕で超える。


「えーっと、仕入れはどこから?」

 印刷されたタロットカード。元の世界と接点があるのか知りたくて、不躾な質問とわかっていても聞いてしまった。

「海の向こうの異国の商人からです。注文を出して入荷まで一年。これは売れると思ったのですが、私の見立て違いでした」

 異国のことを確認するのは難しい。もしかしたら私のように異世界召喚された誰かが作っているのか。困り笑顔で溜息を吐く店主を助けてあげたいと思っても、私はこの世界のお金を持っていないし怜慧に買ってもらうのも避けたい。


 店主が卓に広げていたカードに視線を落とすと、ヘキサグラム中央の結果を示す場所に置かれた『死神』と目が合った。鈍く光る鎌を持ち、黒いマントを翻す骸骨。その骸骨が笑っている。


「どうした?」

「あ、え、そ、その……このカードは私にはレベル高すぎかなーって」

 私の感が全力で逃げろと言っていた。ぞわぞわと背筋に悪寒が走る。

「もしよろしければ、お嬢さんに一つ差し上げますよ。貴女ならこのタロットカードを使いこなして頂けるでしょう」

 どこまでも人の良さそうな笑顔に、うすら寒い何かを感じた。どうして最初に気が付かなかったのか。揺らめくロウソクが店内のあちこちに設置されているというのに、店主の影がどこにも無かった。


「ご、ご、ごめんなさい! やっぱり、無理!」

 悲鳴に近い声で叫んだ私は、店の外へと飛び出した。


      ◆


「一体どうした?」

 追いかけてきた怜慧が、走る私の手を掴んで止めた。

「……怜慧は気が付かなかった? あの店主、影が無かったの」

「影はあったぞ? ずっと探っていたが魔力の欠片もない普通の人間だった」

「え、ホント?」

 アヤシイ雰囲気漂う店内から一転して日光の下、普通の顔で言われると恥ずかしくなってきた。

「うわー。どうしよ。悪いことしちゃったー」

 きっと『死神』と目があった気がしたのも、ロウソクの灯りのせい。人の良さそうな店主の笑顔を思い出すと猛烈に後悔が押し寄せてくる。断るにしても、もう少しきちんとした態度で返したかった。

「まぁ、仕方ないだろ。無料で高級品を提供しようとする奴にまともな奴はいない」

「高級品? やっぱそうよねー。高そうだったもの」

 金色の箔押しでしっかりとした厚みのタロットカードは絵柄も繊細で、元の世界でも相当な価格になるだろう。何故か怜慧は口を引き結んで不機嫌顔。

「欲しい物があれば俺に言え。店に戻って絵札を買うか?」

「いらないいらない。私にはこのタロットカードだけで十分だもの」

 長年使い続けて手に馴染んだカードは、今や私の体の一部。新しいカードを手に入れたとしても、使わずに観賞用として放置してしまいそう。


「もう少し見て回るか?」

「そうね。もう少しだけ」

 まだ日は高い。私たちは笑顔を交わして街を歩きだした。


      ◆


 深夜、ふと目が覚めた。今回の宿の寝具は、分厚い畳に五センチ厚さの綿が入った敷布団に掛け布。隣の寝具で眠っているはずの怜慧の姿が無くて飛び起きる。

「怜慧? どこ?」

 不安になって部屋を区切る几帳をめくると、白い着物姿の怜慧が木戸の外をうかがうようにして立っていた。その表情が真剣で、声を掛けることはためらわれる。


「……周囲の人の気配が消えた」

 耳を澄ませてみると、人の声が全く聞こえない。夜であるにしても、賑やかな街の中、飲食店が立ち並ぶ界隈に隣接する宿としては静かすぎた。

 窓ガラスがないので、格子にも木がはめ込まれていて外を見ることはできない。ただ外の気配だけを追っている。


 宿で一番高い部屋は離れになっていて、狭い和風庭園の中央に建つ。二十畳の板張りの部屋の周囲は板戸で仕切られていて、周囲はぐるりとオープンな板張り廊下。


 ぞくりと背筋に寒気が走った。寒気は全身へとあっという間に広がって、立っていることができなくなって座り込む。慌てた怜慧が駆け寄ってきた。

「……何かが来たようだな。……解縛かいばく灯華とうか

 怜慧の左腕が私の肩を抱き、その右手には紫の炎を帯びた刀が現れた。


「部屋には防御結界を張ってある。……招かない限り何者も入っては来れない」

 二十畳の部屋の四隅の柱には、和紙に図形が書かれた御札のような物が貼ってある。御札の文字は紫色の光を帯びていた。


「来た。俺が護るから安心しろ。言葉を発するなよ」

 凍えて震える口からは何の言葉も出てこない。ただ首を縦に振って意思をしめす。


 ずるり。何かが木戸を撫でる嫌な音がした。ずるりずるりと撫でる音は移動していく。部屋の外、板張りの廊下がみしみしと音を立て、何かが歩いているような、ひきずるような正体不明の音が恐ろしい。ぐるぐると部屋の周囲を回った後、板扉の前で音が止まった。

『こちらに浄化の術をお使いの方がいらっしゃると聞きました。どうか私を浄化してください。お願い申し上げます』

 静寂の中、哀願する女性の声が聞こえてくる。心臓は口から飛び出そうな勢いでどきどきするし、寒さと恐ろしさで歯が鳴りそうで口を手で抑えて堪えた。


『浄化を、浄化をお願いします。もう耐えられないのです。……助ーけーてー下ーさーいー。……助ーけー……てー……』

 女性の声は徐々に間延びして、低くなっていく。耳障りなカリカリと爪で板扉をひっかくような音が部屋の中に響き、やがて静かになった。急に寒気が無くなってほっと安堵の息を吐く。


「まだだ。……そこにいる」

 疑問を口にしようとした私を、刀を構えなおした怜慧が制した。

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