第十六話 蕎麦と天ぷら
森を抜け街道へ出た瞬間に寒気は消えて、歯をかちかちと鳴らしてしまうほどの体の震えも治まった。
「大丈夫か?」
「ん。……森を出たら寒気が消えたの。昨日もこうだったの?」
覚えてはいなくても、この状態だったのなら怜慧に過剰に心配されるのも理解できる。自分の体とは思えないくらいに体温が冷たくて、自分の意思では手も足も動かせなかった。とにかく寒くて寒くて、全身が氷にでもなったかのような状況だった。
「ああ。顔色も戻ったな。……森……か……」
ちらりと背後の森へと視線を投げて、怜慧は再び前を向く。
「森に原因があるの?」
「わからない。昨日も何か周囲にいるのかと探ってみたが俺には感じ取れなかった。……なるべく森に近づかない道を考えよう。宮に行く時は避けようがないが」
再び怜慧は馬の速度を上げて街道を駆け抜ける。遮る物がない広い土の道は、時折荷馬車や馬が走るだけ。お昼を過ぎた頃、道に人が増え始め、やがて賑やかな街へと入った。
「宿で昼飯を食うか、その辺の店で食うか、どちらがいい?」
「おすすめは?」
「わからない。この街で知っているのは東我の勧める宿だけだ」
馬上から見回すと、着物姿の人々が大勢並んでいる店が見えた。この世界でも人は整列して待つのかと感心してしまう。
「人気のある店と無い店って、こんなに明確に分かれちゃうのね……」
店は長屋のような造りで、五件の飲食店が並んでいるというのに人で混雑しているのは一件だけ。他の四件は、お客もまばら。
「……軒先に吊るされている物を見て、何か感じないか?」
声を潜めた怜慧の視線の先、空の小さな鳥かごがぶら下がっていて、見ただけで嫌な感じがした。それは言葉にできない不快感。
「何、あれ」
「やはりわかるか。人を呼ぶ呪術だ。……小さな生き物を犠牲にして、助けを求めるようにと仕向けてある。人はその声を無意識に聞いて、助けなければと集まってくる」
「うわ、怖。えー、でも、助けを求める声で店が繁盛ってする?」
「無意識に聞いているだけだから救援を求めているのは意識していない。ただ、目の前の店が気になるから入ってみようとなるんだろうな」
「ひえー。絶対そんなお店で食べたくないんだけど」
「俺も嫌だ」
どんなに美味しい料理を出してくれたとしても、集客方法が怖すぎる。迷いながら街を巡り、無難そうな蕎麦屋へと落ち着いた。
この店も木造の長屋づくり。平屋の奥が住居で、前面が店舗。十二畳程度の広さに素朴な木で出来たテーブルと椅子が並んでいる。お客は数名で、まだ日が高いのに蕎麦と天ぷらを肴にお酒を飲んでいた。
「気になってたんだけど、馬って勝手に連れ去られたりしないの?」
黒馬は長屋の端にある待機所の金具に手綱が結ばれているだけで、柵もない。荷物も鞍に載せたままだし、誰でも乗って逃げられそう。
「この国で黒馬を狙う馬鹿はいないな。白馬と黒馬は、王族や貴族、役人が使う馬だ。盗んでも売ることはできないし、すぐに捕まる」
さらりと言われて考えてみると、今まで見た馬は茶色やまだら模様ばかり。
「それに東我特製の護符を下げてるから、盗もうという気も起きないはずだ」
「何、どういうこと? 東我ってそんなに恐れられてるの?」
『王都の闇の支配者』という単語が頭の中を掠めても、あの筋骨隆々の美形には似合わないような気がする。見た目は何でも筋肉で解決しそうな雰囲気が強い。
「いや。そこに馬がいるという認識を薄れさせているだけだ」
そう言われても益々わからなくて首を傾げる。
「例えば、道端に石ころが落ちていても誰も気に留めないだろ? 何故なら、そこにあっても違和感がないからだ。街中の常時馬がいない場所に馬がいるから違和感を持って注目する。その違和感を薄れさせれば興味も引かない」
「石ころと同じって思わせるってことね……人より大きいのに」
何となくわかったような気はしても完全に理解するのは難しい。そうこうしているうちに、料理がテーブルに運ばれてきた。
「うわー! 久しぶり!」
注文して出てきたのはざる蕎麦と天ぷら。その量は、まさしく大食い動画に出てきそう。近くの席に座る人の皿も割と大き目で、三人前くらいは軽くある。どうやらこの世界の男性は、大食漢が多いらしい。
蕎麦はぼそぼそしていて、まさに蕎麦粉百パーセントの味。つけ汁は関東風をさらに濃くしたもので、蕎麦の先にちょっぴり付けただけでも十分。
「天ぷら……油って切らないの?」
「油を切る? これが普通だが、何か違うのか?」
怜慧の返答に衝撃を受けた。カリッとあがった天ぷらは丼状の器に入っていて、溜まった油に浸かっている。要するに上はカリふわ、下は油どっぷりの漬け状態。
「油を切るっていうのは、あげた後にザルに乗せたりして油を落とすってことなの。…………結構美味しいかも」
添えられていた塩と香草の粉を掛け、恐る恐る口に運んだ鶏肉の天ぷらは意外と美味しい。衣が油をしっかりと吸っていて、背徳と禁断の味がする。
「うううううう」
「お、おい。ど、どうした?」
「これ美味しいけど、絶対カロリーヤバい!」
揚げ物であり油漬けでもあり。私の顔と同じくらいの大きさの天ぷらを食べきったら、それはそれは恐ろしいカロリーに間違いない。明日は絶対ニキビ出る予感。
「ね、熱量? 何か問題あるのか?」
どうやら異世界では、カタカナ言葉は翻訳して伝わるらしい。タロットカードは絵札だし。
「問題ありありよ」
特にダイエットをしてはいなくても、高カロリー食品は気になるのが乙女心というもの。
「……問題ありでも食べるのは何故だ?」
「美味しいからに決まってるじゃない! これは罠よ。絶対に!」
食べかけの蕎麦のことは忘れた。今はとにかく、この天ぷらを味わいたい。鶏肉とキノコ、野菜や卵の天ぷらを少しずつ口にする。
この世界に来てから、揚げ物類は出なかった。焼き物や蒸し物ばかりで体が油物を欲している。要するにジャンクフード食べたいですスイッチが入った。
「蕎麦はよろしく!」
「あ、ああ。わかった」
若干引き気味の怜慧を前にしつつ、私は天ぷらを心の底から味わい尽くした。
◆
大満足の昼食後、宿へと入った私たちは馬と荷物を預けて再び街へと繰り出した。
「疲れていないか? 大丈夫か?」
「大丈夫! 歩いてカロリー消費しないと!」
冷静な顔の下、怜慧が若干狼狽しているのを感じて頬が緩む。私が今までにないくらいに天ぷらを食べていたのが衝撃だったらしい。
山や森の中とは違って、街は賑やかで人が多い。街道沿いの街には土産物屋もあって、店先の台や棚に並べられた商品を見て回るだけでも楽しい。
「き、木彫りの人形……! 謎の置物!」
大抵は用途の分からない物の中、何の説明もなくてもわかるお土産を見つけてしまった。
「欲しいのか?」
「いらない。おばあちゃん家の棚に似たようなのがあったなーって懐かしくて」
ふと見た店先に、天然石をずらりと並べる店があった。五十センチはありそうな水晶や薔薇水晶にメノウが無造作に置かれている。かなりの重量物だから盗まれることはないのだろう。他の店頭のオープンさと違っていて、しっかりと扉もあるし、格子窓には裏から黒い布で目隠しがされている。
「このお店、何? パワーストーン屋さん?」
「力石屋? ここは魔道具屋だな」
「え? 堂々としすぎじゃない? もっとこう、路地裏とかにひっそりと建ってる店じゃないの?」
魔法に関する店なら、選ばれた人しかお客になれない気がする。
「そう言われればそうだな。入ってみるか?」
怜慧も興味が沸いたらしい。私に問いかけながらも、その手は店の扉を開いていた。
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