第十四話 無詠唱の浄化の術
「発見したのは村長でした。村の男が交代で、山の恵みを採りながら森を歩いて、宮を確認して帰るのが習わしなんですが、綺麗な宮が現れたって慌てて帰ってきました」
「いつも物静かな方なのに、その時の慌て方は尋常ではなくて、山の怪にでも憑りつかれたかと大人が取り囲んだくらいです」
あの逆再生シーンを見ていなければ、突然現れたようにしか見えなから驚くのも仕方ないと思う。
「見えてきました。あれが僕の村です」
緩やかな坂の下には茅葺屋根の集落が広がっていた。中央の広場には屋根が付けられた井戸と洗い場があり、奥には黄土色の土壁で大きな家。その周囲には木で出来た小屋が並んでいる。……ざっとみて、竪穴式住居に柱と壁を付けて持ち上げたような印象が強い。昔話の絵本から飛び出してきたような光景に目を見張る。
大きな家の周囲には篝火がたかれていて、中からは賑やかな笑い声が上がっていた。
「神様が戻ってきたので祝宴です。村の決まりで祝いは最長八日と決められていますから、今日が最後なんです。先に知らせてきますから、待っていて下さい」
村の入り口と思しき場所で、少年は私たちを立ち止まらせて走り出した。
「……ついてきちゃったけど、お祝いの邪魔にならないかな?」
「祝宴の間に訪れた客は、大きな幸運をもたらすと言われているから、歓迎はされるだろう。……後で金を置いていく」
しばらくして、村長と少年の父親である元神職の男性が私たちを迎えに現れた。
「久しぶりの客人じゃ。めでたいめでたい」
「ようこそお越し下さった」
怜慧の言葉通り私たちは歓迎を受け、村人全員が参加している祝宴へと招かれた。全員と言っても、子供五人を合わせて二十八人。集落で一番大きな家は村長の家で、土間の玄関を上がると広い板張りの部屋。そこにお膳を並べて皆で食事をしていた。食事途中にお酒を勧められ、年齢を言って断ると子供用の薄い甘酒のような飲み物が出された。隣で怜慧がとても残念そうな顔をしていたのは言うまでもない。
少年の父が横笛を吹き、村長が小太鼓を叩く。軽やかで明るい音楽に乗って、村人が思い思いに踊る。楽しい祝宴が続く中、子供は先に就寝と追い出され、子供枠に入っていた私たちは村長の家の離れへと案内された。
「今夜が最後なもんで、ちと煩いかもしれんがお許し下され」
大人たちの祝宴は夜が更けるまで続くらしく、案内する女性が申し訳なさそうな微笑みを浮かべている。
「大丈夫です。皆さんで楽しんで下さい」
離れは竪穴式住居が木の壁で持ち上げられたような建物。二畳サイズの土間から上がる板張りの床は六畳で、上り口に
掃除は行き届いていると思う。磨き上げられて艶々な飴色の床、敷かれたゴザもそれほど古くはなくて、部屋中に良い匂いが漂っている。
囲炉裏の火は燃えていても、部屋の隅々まで照らす程ではないのが原因なのか、土間に置かれた水瓶やかまどで遮られた場所に闇が濃い。濃密な闇は、じっと見ていると何かがうごめいているような気がして震える。
今までは王宮だったり貴族の屋敷だったり、お高い宿ばかり泊まっていたから庶民の生活水準について考えることもなかった。寝殿造りやお寺のような建物と、竪穴式住居と古民家の中間地点のような民家。この落差は大きい。
「どうした?」
案内してくれた女性がいなくなると怜慧が緊張を解きつつ私に話しかけた。
「えーっと。貴族と庶民の差って大きいなーと思ったの」
「ああ、そうだな。泊まりたくないなら、今からでも宿へ向かうぞ?」
「そういう訳じゃないの。何て説明したらいいのかなー」
この世界の人だけでなく、私の世界でもきっと一緒。お金持ちとそうでない人との生活は違う。だからと言って、王子様に護られているだけの私は何もできないし何も言えない。
「お布団どこ?」
「それだろ?」
怜慧が指さしたのは薄いゴザ。まさかと見回しても作り付けの棚だけで、押し入れはないから、これが敷布団なのかと衝撃。
「えーっと、掛け布とかは?」
この世界で掛け布団が無いのは理解している。いつも布一枚だけを体に掛けていた。
「脱いだ上着を体に掛けて寝るのが普通だな」
怜慧は何でもないことのように言い、直衣のような上着を脱ぐ。下は白い着物と袴に似たズボン。
「袴、脱がないの?」
「普通はこのままだ。俺の生活様式は東我に合わせてるから、普通とは違う。屋敷に靴で上がらないのもそうだが、東我は汚れや穢れを嫌っていて、頻繁に手や体を洗うし、装束も毎日洗う。……他の王族や貴族は、髪や体を洗う日を占いで決めていて……酷い奴は半年風呂に入っていないというのもいる」
「え? 私、王宮で毎日お風呂入ってたけど?」
「……女神を降ろす贄を清潔に保つため……だろうな。神に関する術や、怪異を鎮める為の術には汚れや穢れが邪魔になる」
怜慧がそばにいてくれたおかげで、衛生観念の違いが緩和されていたのかと今更ながらに気づいて衝撃。そういえば、日本の平安時代の貴族も占いで髪を洗う日を決めたと聞いたことがあった。
「風呂に入りたいか? 言えば用意してくれるだろう」
「んー。今日は遅いから我慢する。……手と顔は洗いたいかな」
村には温泉があるようにも見えないし、井戸から水を汲んでお湯を沸かすことが重労働で時間が掛かるというのはわかる。
怜慧が土間に置かれた瓶の蓋を取り、立てかけられていた木桶に水を満たした。使い込まれた大きな茶色の瓶から柄杓で汲んだ水は、薄暗い中でも目で見える黒や茶色の不純物を含んでいる。これで顔を洗うのは勇気が必要。木桶に入った水をどうしたものかと見つめてしまう。
「ありがと。……怜慧、東我の屋敷も水は井戸からだよね?」
「井戸もあるが、使うのは儀式のときだけだな。普段は水道だ」
「す、水道があるの? え、マジで?」
この世界に来て蛇口を見た記憶が無いので驚いた。東我の屋敷では水場に竹管が設置されていて、木の栓を抜くと水が出る形式。井戸からポンプみたいな何かで汲み上げていると思っていた。
「王都には地下水道が張り巡らされていて、今は東我が契約している水の精霊と土の精霊が整備している」
「ええっ? 精霊が整備してるの?」
「ああ。土の下に管が埋められているんだが、精霊がいなければ詰まって使えなくなる。代々の王が精霊と契約していたそうだが、今代の王は精霊との契約が結べなかった。だから仕方なく東我が契約していると言っていた」
王都の重要インフラを掌握し、怪異を治める魔術師。それなら東我を害しようとか排除しようと思う人間はいなくなるのも当然。逆に言えば、王都から東我は動けない。
「……おい、お前、何してる?」
怜慧の声で我に返った。
「何って?」
「浄化の術、使っただろ?」
そう言われても、さっぱりわからない。首を傾げるだけの私に向かって怜慧は肩を落として溜息を吐いた。
「手に持ってる桶の水」
言われて見ると黒や茶の不純物が綺麗さっぱり消えていて、何なら木桶までが綺麗。
「何もしてないけど……あ、綺麗な水が欲しいなって思った」
「浄化の術は最上級に難しい術だ。……それを無詠唱……」
遠い目をする怜慧は放置して、顔と手を洗うとすっきりした。顔を拭いた布を見ながら、心の中で綺麗になれと願うと白い光を帯びて綺麗になった。
「難しいことはわからないけど、お願いしたら綺麗になるって便利じゃない?」
私、凄い。と振り向くと、怜慧は複雑な表情をしていた。
「神力はどうなのかわからないが、魔力は術を使うと消耗する。回復まで時間が掛ることもあるから、気軽には使わない方がいい」
その口調から心配してくれているのかと気が付いて、私は笑顔で頷いた。
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