第十三話 神様の帰還

 急流の脇の山道で、怜慧レイケイは馬をゆっくりと歩かせていた。『六之宮』と『十一之宮』への御神体返却と勾玉の奉納は順調に終わり、日数も当初予定から随分と短縮できている。

 今日は宮へ行くことがないので、怜慧は紫の狩衣に似た装束、私は淡い紅色の水干風の上着に紫の馬乗り袴姿。お高い宿で洗濯を頼むと、夜に出して朝には仕上がるという驚異のサービスのおかげで、装束はいつも清潔で安心。時々新しくなっているように感じるのは、洗うのではなく似た新品と交換しているのかも。


「次は『三之宮』だっけ?」

「ああ。かなり急いでしまっているが、体調は大丈夫か?」

「それは平気。早寝早起きしてるから元の世界よりも健康かも」

 ただ馬に乗せられて運ばれているだけでも、体は疲れてよく眠れた。就寝前の動画視聴やSNSチェック、メッセージのやりとりも無いから時間が有り余る。スマホが無くなったら生きていけないと思っていたのに不便さにも慣れてきて、逆に快適。楽しいと思っていたのに、意外とストレスになっていたのかなと改めて思う。


「『三之宮』の後、一度『一之宮』を見に行こうと思うが、どうだ?」

「あ、気になってたから見に行きたい。幻覚とかじゃなければいいなぁ」

 本物であってほしいと心から願う。もしもこの世界が私の長すぎる夢であったとしても。……冷めた表情をしながらも優しい怜慧が、現実であってほしいと密かに願ってもいる。


「十二の宮が復活して、その後ってどうなるのかな。管理する神職さんとかいないんでしょ?」

「そうだな。それは考えていなかった」

 誰も管理する人がいなければ、宮はまた廃墟へと戻ってしまう。今度は御神体ごと森と同化して埋もれるだけ。私が見た方々が御神体に宿る神様だとしたら、無責任だと残念に思われたりしないだろうか。


東我トウガは何か考えてるのかな? もし宮が復活しなかったら、野ざらしの廃墟に御神体を戻すことになってた訳でしょ?」

 これまでずっと屋敷で御神体を祀っていたのに、何故突然戻すことにしたのか。

「『龍を召喚するならついでに』と言われた時には、まさかあれ程の状況とは思わなかったから疑問にも思わなかった。屋敷に戻ってから意図を聞くしかないな」


 東我からの連絡はない。追手はまだ出発していないのかと半ば呆れつつも、このまま無事に終わって屋敷に戻れたらいいと昨日も二人で話した。


「今、この国で信じられてる神様って、創世の女神様と王様が呼んだ四柱の何かだけ?」

「王都周辺ではそうだが、全国には様々な宮や社が存在している。それぞれの地域で祀られる神は名前があり、中には山全体を神と見たり、洞窟や泉、川を神と祀っていることもある。……ただ……それは昔の話で、今の王に代替わりしてからは、災害やら不作が頻発するので神への信仰が薄れていると聞いた。神は存在しないと考える国民が増えているらしい」


「そうなんだ。……私の世界では、人間が神様の存在を信じる力がその神様の力になるって言われてた。忘れ去られると力が無くなるから、『神様がそこにいる』って思うだけでもいいんだって」


「神の存在を信じる思いが神の力になる……か。それはこの世界でも同じかもしれないな。……これまでの俺は神の存在を軽く見過ぎていた。魔力と引き換えに使役できる精霊や妖物、王都を好き勝手に闊歩する幽鬼。俺の目に見える物が最優先だった」

 怜慧の赤い瞳には何が映っているのだろうか。


「お前と一緒にいると、神の力と存在を強く感じるようになった。清らかな浄化の力が邪気を払うのは見えたが、御神体に宿る神が見えないのは残念だな。出来る事なら俺も見たい。もっと、お前の世界の神の話を聞かせてくれないか?」


「……私の世界では人間の知覚できない領域で神様と魔物が戦ってるの。その地域を護る神様の力が無くなったり、弱くなると魔物が災害や疫病を起こす」

 これは祖母から聞かされた話。荒唐無稽過ぎるから誰にも話したことはなかったけれど、この不思議な異世界でなら言える。


「そうか。もしも同じ状況だとしたら、王の力が弱まって王都の何かとの関係が崩れたのではなく、十二の宮を廃止することで神の力が削がれたから災害や疫病が起こっている可能性もあるな」

 否定されることもなく、さらりと受け入れられて、びっくりすると同時に嬉しくなった。両親にも言えなかった話を共有できた安堵感が信頼へと変わっていく。

「それでね……」

 安心した私は、祖母から聞いた話や見聞きした話を怜慧に語り続けた。


      ◆


 翌朝、無事に『三ノ宮』への御神体返却と勾玉の奉納を済ませた後、怜慧は全速力で馬を走らせた。昼食も馬上で取り『一之宮』へと到着したのは日が暮れる直前。森の中、計算されたかのように差し込む赤い夕陽を浴び、白い鳥居とヒノキの宮が朱色に美しく輝いていた。


「良かったー。幻覚じゃなかったんだー」

「本物か……」

 二人で安堵の息を吐き、馬を降りて鳥居をくぐると宮へ続く土の道が整えられていた。茂っていた雑草は姿を消し、落ちていた木の枝や葉も無くなっている。小道の端に木で出来たチリ取りが置いてあって、直前まで誰かが掃除していたような雰囲気。


「……もしかして、神様が自分でお掃除してる?」

「それは申し訳ないな。確かお前がここで見たのは御老人だったよな? そうか。近くの村で人を頼むか」

「え、でも、王様が再建禁止したって言ってなかった?」

「再建は禁止だが、維持管理は禁令に入っていないはずだ」

 話しながら宮へと近づいていくと、格子戸の前に真新しい白木の小机が置かれていて、白い皿に盛られたお酒とお塩、白い瓶子が三つ乗っていた。


「誰かお供えしたのかな?」

「そうみたいだな。……そこに隠れているのは誰だ? 着物が見えているぞ」

 苦笑する怜慧の視線の先、萌黄色の水干の袖が木から大幅にはみ出ている。そろりと顔を覗かせたのは青い瞳の十歳前後の可愛らしい少年で、あご下で切られた青い髪がふわふわとしていて柔らかそう。手には竹ぼうきを持っていた。


「……あなた方は、お役人ですか?」

「通りすがりの旅の者だ」

 怜慧の答えに、少年は盛大に安堵の息を吐いた。

「よかったー。お役人だったら逃げろって言われてたから」


「僕は近くの村の者です。神様が帰ってきたって、村ではお祭り騒ぎなんですよ!」

「神様が帰ってきた?」

「この宮は空から降りてきたそうです!」

「そ、空から?」

 興奮気味で脱線の多い少年の話を詳しく聞くと、どうやら空から降りてきたのを見た者はおらず、突然新しくなった宮をそう解釈しているだけのようだった。


「昔、この宮の廃止令が出た直後、白い狐の面を付けた神様が御神体を持ち去ったそうです。『いつの日にか、我は必ず戻ってくる。待っておれ』と言い残して姿を消したと伝わっていて、半月に一度、順番で様子を見に来ていたんです。そうしたら神様は言葉通りにお戻りになられました!」

 頬を上気させながら、少年は語り続ける。

 白い狐の面でピンときた。それはおそらく東我のしわざ。魔術か何かを使って神様が戻ってくるという伝説を残し、村人を待たせていたのか。そんなことを考えつく東我も凄いけど、真面目に神様の帰りを待っていた村人も凄い。

 同じことを考えたのか、怜慧と顔を見合わせて頷き合う。


「今日のお宿がお決まりでなければ、ぜひ僕の村へお立ち寄り下さい。皆、喜ぶと思います!」

 頬の赤みを残した少年は、私たちへと笑いかけた。

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