第十二話 浄化の鈴の音
木で出来た鳥居が立ち上がり、ぺちゃんこに潰れていた『四之宮』の屋根が持ち上がっていく。朽ちてぼろぼろになっていた柱や壁が形を取り戻し、くすんだ朱色が広がって苔や草が消えた。鳥居と建物が元に戻ると、朱色は目にも鮮やかな色彩へと染まっていく。あちこちの装飾金具が金色を取り戻して木漏れ日を受けて輝いた。
リアル逆再生。二度目でも、その光景は新鮮。宮が完全な姿に戻り、じめじめと暗い印象だった場所が明るく清らかな聖域の空気を漂わせる。その姿は元の世界で見慣れた神社と同様で、賽銭箱と大きな鈴から紅白の布で出来た縄が下がっていた。
「あ、ここはお賽銭箱と鈴もあるんだ」
「鈴?」
「あの紅白の縄の上。金色の大きな鈴があるでしょ? 鈴の音でお参りする人を祓い清めて、神様に来ましたよーって合図するものなの」
「……神に合図が必要なのか?」
「だって神様はいろんなところにいらっしゃるから、鈴でも鳴らさないと気が付いてもらえないでしょ。お米とかお酒とかお供えしたら気が付いてもらえそうだけど、お賽銭箱に入れるのはお金だし」
「成程な。神に供物は届くが、金は届かないってことか。この宮は街道の近くだから、旅で通りがかる人間が参拝するから賽銭箱を置いたのかもな」
二人並んで『四之宮』を見上げつつ、しばしの空白。静かな森の中、ちゅんちゅんと爽やかな鳥の声までが聞こえてきた。
「お前、落ち着いてるな。普通もっと驚かないか?」
「驚きすぎて何の反応もできないって感じ。っていうか、
「俺は予想していたからな。予想通りのことが起きたら大して驚かないだろ。……お前がこの奇跡が起こる鍵だ」
怜慧は淡々と語る。
「私、何の力もないけど?」
「……女神を降ろす依り代として召喚されたからには、神力に耐性があるか、何らかの関係はあるかもしれない……とは思っていた」
「そんな大事なこと、早く言ってよ!」
「……そうでなければいいと思っていたんだ……」
がくりと肩を落とした怜慧は、大きな溜息を吐いた。
「ちょ。何で溜息?」
「お前が奇跡を起こせると他の奴らに知られたら争奪戦になる。今は第二王子だけがお前を必要としているが、王や第一王子が知ったら厄介だ」
そう言われて血の気が引いていく。大した権力を持たない第二王子ではなく、王や第一王子なら兵士を動かせるだろう。
「……予定より早めに御神体と勾玉を納めて、東我の屋敷へ帰ろう。あの場所なら、東我の結界と罠が張ってあるから俺一人でもなんとかなる。……龍の召喚の時だけは『十二之宮』に行く必要があるが、その時は東我に協力を頼む」
私が心細くなったのが顔に出てしまっていたのか、怜慧は緊張で鋭くなった表情を緩めて、私の頭にその手を置いた。
「……お前だけは必ず護るから心配するな」
子供をなだめるように頭を撫でられても不思議と振り払う気にはなれなかった。見上げる怜慧の微かな笑顔は優しくて。
「……ありがとう」
笑顔で返すと、その優しい手は離れた。もう少し撫でていてくれても良かったのにと残念。
「そうと決まれば、さっさと終わらせるぞ。……鈴は鳴らした方がいいのか?」
「えー、どっちだろ? まだ御神体納めてないのよね? これから御神体戻しますよーって挨拶してみる?」
「そうか。それでいくか。鈴をどうやって鳴らすのか手本を見せてくれ」
怜慧の求めるままに紅白の布縄を揺らして鈴を鳴らす。からんからんと軽やかな音が響き渡ると、周囲の空気が澄んだような気がする。同じように怜慧も鈴を鳴らすと、上を見上げたまま手を止めた。
「どうしたの?」
「音に神力が宿っている。お前が鳴らして神力が出るのは想定内だが、魔力しか持たない俺が鳴らしても鈴から神力を持つ音が出ている」
私には全然わからないのに、怜慧にはその力を感じることができるらしい。
「神力の音で何か起きてる?」
「ああ。まさに祓い清める浄化がこの場所に働いている。……清らかで……温かい……不思議な力だ」
気楽に鳴らしていた鈴の音に、そんな不思議な力があるとは思わなかった。もう一度鳴らしてみても、私には全く何にも感じられなくて寂しい。
それぞれの礼を行い、賽銭箱の横を通って階段を上り、建物正面の扉へと向かう。金色の鍵を使い、怜慧が扉を開けようとしても開かない。
「俺では開けられないらしいな」
「やっぱ、私だと開くのかな? もう一度鍵掛けてみて」
促すと怜慧は鍵穴へと鍵を差し込み、先ほどとは逆へと回す。かちりと音がして鍵が閉まった。
「これで開いたら鍵は不要ってことよねー」
笑いながら扉の取っ手に手を掛けた途端、かちりと音がして二人で顔を見合わせる。
「もしかして、開いた?」
「開いた音がしたな」
恐る恐る取っ手を引くと真新しい朱色の格子戸は音もなく軽やかに開いた。内部は『一之宮』と同じで、六畳くらいの板張りの部屋に、扉付きの神棚と祭壇が置かれている。
「もしかしたら、私、この世界の鍵全部開けられるとか?」
「宿で試してみるか」
鍵が開いてしまった恐怖を誤魔化すための冗談を、真顔で返されるのはツラい。
怜慧は布で棚と祭壇を拭き、御神体の箱を神棚へと納める。勾玉と酒を持ってくると言って、外へと出ていった。
今回も老人が見えるかもしれないと身構えていると、天井からピンク色の花びらが降ってきた。捕まえた一枚は、どうみても薔薇の花びら。神棚に目を戻すと、ド派手で露出の多い白地に金彩の服を着た黒髪の美女が金色の雲の上で体を横たえている。視線が合うと、唇に指先をあててキスを投げてきた。
どう反応したらいいのかわからない。老人とばかり思っていたから、こんなセクシー女性に何と声を掛ければいいのか。ぐるぐると考えていると怜慧が戻ってきた。
「何、頭を抱えてるんだ?」
「……神棚見て」
身長二十センチくらいの美女は雲に横たわって、ふわふわと漂い、薔薇の花びらは絶え間なく降り注いでいるのに、怜慧は顔色一つ変えない。
「……俺には何も見えないが……一体、何が見えてるんだ?」
「超セクシーな美女」
「なんだそれは」
私と怜慧とのやり取りを見て、美女は口元に手を当てながら笑った後、姿を消した。床に積もっていた花びらも、手に持っていた花びらも綺麗さっぱり消え去った。
「あ、消えちゃった。……『一之宮』はおじいちゃんだったの」
「……また何か見えたら正直に言えよ。俺はもう、何も驚かないからな」
「怜慧も、何か思いついたら正直に言ってね」
驚きを通り越すと、妙に達観した気分になるらしい。私たちは頷き合うだけだった。
◆
粛々と『四之宮』へ御神体を戻して勾玉を納めた後、私たちは次の宿へと馬を進めていた。
「えーっと。今日のおやつは?」
太陽の傾きでそろそろお昼が近いというのはわかってきた。あの引手茶屋以降、お昼前に団子を食べていたので、密かに楽しみ。
「お前は甘い物を食べると昼飯を食わないだろ。団子よりも飯を食え」
異世界の王子様に、まさかお菓子でなくご飯を食べろと言われるとは思わなかった。
「ちょっと待って。言っておくけど、怜慧が食べる量が多すぎるの」
「東我は俺より食うぞ?」
あの筋骨隆々な体型なら、細身の怜慧よりも食べるというのは頷ける。……というのは別の話。
「男の人と一緒にしないで。女性はそんなに食べられないの。……もしかして、この世界では女性も怜慧と同じくらい食べるの?」
そうだった。この世界に来てから一人でご飯か、怜慧と食べたことしかなくて、他の女性が食事している場面を見たことがなかった。
「……そう言われると…………そうか。お前は結構食ってるな」
「誰と比べてるの?」
「俺の母親。……そうだな。お前の半分も食べていなかったかもしれない」
正直言って、聞いてしまったことを後悔した。ぽつりとつぶやく声は淡々としていて、何の感情も現れてこない。
「ご、ごめん」
「何故謝るんだ?」
首を傾げる怜慧はいつもの表情。どう返答すればいいのか言葉を探している間に、怜慧が口を開いた。
「近くに街がある。探せば茶屋か菓子屋のひとつくらいあるだろう」
「今日はお菓子を食べなくても大丈夫。それにもうお昼ご飯でしょ? 探す時間があったら、少しでも先に進まなきゃ」
「それでいいのか?」
問いかける怜慧に、私は何度も頷いた。
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