第九話 失われた神の力

 地の底から響く音に合わせて建物が揺れる。バランスを失って倒れそうになった私を抱えて怜慧レイケイが建物から三メートル程離れた。もっと逃げた方がいいと言おうとして、怜慧の視線の先に崩れ落ちて倒れていた石の鳥居が振動しているのが見えた。

「……何が起きているんだ?」

 怜慧の腕から降りて地面に立ち周囲を見回す。地震ではないようで、地面の揺れはない。ただ目の前の宮と鳥居が揺れているだけ。鳥居の向こうにいる黒馬は驚いて興奮はしていても、その場をぐるぐると回っている。


 ぼんやりと白く発光した鳥居の石が動いた。

「何?」

「……まさか……元に戻っているのか?」

 怜慧の言葉通り、割れた石が合わさっていく。白い光が割れ目を接合し、ゆらりと鳥居が起き上がって台座へと戻った。苔や草は消え、白い石で出来た鳥居が現れる。


 振り返ると宮も元に戻りかけていた。朽ちかけていた柱や壁のへこみが膨らみ、歪みはまっすぐに。苔で緑になっていた屋根は、檜皮葺ひわだぶきの色を取り戻している。

「うわー。リアル逆再生ー。すごーい」

 あまりにも現実味がなくて、呑気な言葉がでてしまった。怜慧が肩を落として溜息を吐く。

「どうしたの?」

「……力が抜けた。お前の世界では普通にある現象なのか?」

「ある訳ないでしょ。えーっとね。風景を記録して残しておく魔法みたいな道具があって、その道具を使うと何度でも同じ風景をみたり、元に戻したりできるの。でもそれは幻であって、現物が元に戻るなんていうことはないんだけど」

 不思議な魔法はあってもスマホがない世界で説明するのは難しい。私のスマホは早々に電池切れで、ただの鉄の板になってしまったから実演もできない。ある意味スマホやネットは魔法の一種なのかも。


 説明しているうちに宮は元の姿を取り戻していた。真新しいヒノキの匂いが辺りに漂って清々しい。

「ちょっと待って。まさかとは思うけど時間が戻ったってことは、私たちも昔に戻ってるとか?」

「それは大丈夫だ。そこに咲いている花も木々も異変はない。この宮だけが戻っただけだ」

 私は鳥居と宮しか見ていなかったのに、怜慧は周囲の状況も把握していた。


東我トウガの魔法とかそういうものじゃないの? 怜慧が宮に到着したら発動するみたいな」

「違うな。この規模の魔法なら、多少なりとも東我の魔力の残滓ざんしがあるはずだ。これは力の質が違う。……神力だろう」

「神力? 神様の力ってこと?」

「ある意味そうだな。創世の女神の力だ。無から有を生じさせる奇跡を起こす力。初代国王から数代は魔力ではなく神力を持っていたと言われているが、現在の王族は魔力を持つ者だけになった。神力を持つ神官も数代前に途絶えているから、この国で神力を持つ者はいない。……東我の話には聞いていたが……清冽な泉のような静かな力だな……」

 

 怜慧には何が見えているのか、何を感じているのかが気になる。宮へと視線を移して見つめてみても何も見えないし、神社特有の聖域的な空気感があるだけ。

「お賽銭箱とかはないのね」

 小さな社の正面には階段があって、正面には上半分が格子の板戸がある。

「賽銭箱?」

「私の世界にもこういう神社があって、人がお参りした時にお供え物の替わりにお金を入れるの。で、そのお金を入れる箱」


「お前の世界では、神に金を供えるのか……」

「お米とか布とか、実際のお供え物は神社を維持管理している人たちがお供えしてくれるから。神様はお金を使えないけど、維持するための費用は必要でしょ」

「ああ、成程な」


 会話しながら、ゆっくりと建物へと近づいていく。

「そこで待っていてくれ」

 怜慧は細心の注意を払いつつ、階段の右端を上って正面の扉の前に立った。扉の四隅と中央には金色の金属装飾が施されていて、中央には鍵穴がある。怜慧は金の鍵を取り出して、そのうちの一本を選んで鍵穴にさす。

 かちりと軽やかな音がして、扉を開けようとした怜慧の手が止まった。


「何? どうしたの?」

「……開かない」

「鍵、開いたでしょ?」

「ああ。鍵が開いた感触はあった」

「実は引き戸とか? それとも、どこかに第二の鍵穴があるとか?」

 私の意見を聞いた怜慧が扉を引いたり調べているのを見ているだけなのがもどかしくて、階段を上ってあちこちをのぞき込む。


「普通の扉っぽいのに……あれ?」

 扉の取っ手を軽く引いたら開いた。おもわず半眼で怜慧を見てしまうのは仕方ないと思う。いくらなんでもこの状況で冗談はダメ。

「待て。俺の時は開かなかった。信じてくれ」

 盛大に焦る顔を見ていると、いつもの冷静な顔とのギャップがありすぎて笑いが込み上げてきた。もしかしたら押して開けようとしていたのかも。

「ふーん。そういうことにしておくー」

「お前、信じてないだろ」

 

 扉は両開きになっていて、六畳程度の部屋の中には木製の細長いハイテーブルが置かれているだけ。あとは正面の壁に扉付きの棚というシンプルな造り。

「どうするの?」

「……まずは神棚と祭壇を清める。……と言っても綺麗だな」

 怜慧は装束の胸元から布を取り出し、扉を開けて棚を拭く。新品のような棚は、拭いても布に汚れは付かなかった。次に祭壇を拭く。


「次は御神体を棚へと安置する」

 胸元から和紙に包まれた箱を取り出し、木箱を棚の中央へと納める。

「やっぱり開けたりしないんだ」

「この手の封印された物は開けると神の怒りを招くからな。お前の世界でもそうなのか?」


「そうそう。粋がった若者が箱開けちゃって、祟りが起きたとかいう話が沢山あるの。私の世界では良い神様だけじゃなく、怨霊とか妖怪とか悪い物も神様として祀って、悪さをしないように落ち着いてもらうっていうのもあるから、箱の中身もいろいろよ」

「それは面白い話だな。あとで詳しく聞かせてくれ。っと。酒と勾玉を持ってくる。すぐ戻るが一緒に来るか?」

 怜慧の問いに、とっさに残ると言ってしまった。馬は近いし、御神体が無くならないように見張り役が必要な気がした。


 正面の扉は開いていて、左右の格子戸からは爽やかな森の空気がはいってくる。ヒノキの匂いと交じり合い、深呼吸したくなる最高の気分。

 目を閉じて深呼吸。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで吐く。体の力が抜けていくのを感じながら目を開くと、御神体の箱の横にミニサイズの老人が立っていた。

「ええっ?」

 優しそうな笑顔の老人は、輝く白の着物姿。私が驚く間に、軽く手を振って消えた。まさか神様なのかと思っても、一瞬過ぎて見間違いのような気がする。


「何を驚いているんだ?」

 背後から怜慧に声を掛けられて、飛び上がりそうなくらいに驚いた。

「べ、別に。怜慧が階段上がってくる音に驚いただけよ」

 見間違い見間違い。そう心の中で繰り返す。怜慧に言うのは、もう一度見てからにしたいと思う。


 怜慧の手には二つの小さな白い瓶子と小さな布袋。祭壇の上に瓶子を置いて蓋を開け、袋の中から勾玉を出す。五センチサイズの水晶の勾玉は傷一つなく美しい。

「お米とかお塩とかは供えないの?」

「龍の召喚は酒と勾玉だけでいいらしい。……始めるぞ。すぐに終わるから待っていてくれ」

 

 祭壇の前に立った怜慧は、息を整えた後に手を叩き、祝詞のような言葉を唱え始めた。銀の髪に赤い瞳の涼やかな美形が、白い直衣のような装束で祝詞を唱える姿は、後ろから見ているだけでもカッコイイ。黒髪なら安倍晴明のイメージぴったりなのにと妄想していると、いつの間にか祝詞が終わっていた。


「おい、大丈夫か? 何か異常があるなら正直に言っていいからな」

 心配そうにのぞき込む赤い瞳に圧されると、自分の妄想が恥ずかしくなってくる。

「だ、大丈夫。儀式は無事に終わった?」

「ああ。何故宮が元に戻ったのか全くわからないが、俺の目的は達した」


 淡い微笑みを浮かべた怜慧は、神棚の戸を閉じ、祭壇はそのままにして宮の正面扉の鍵を掛けた。

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