第八話 打ち捨てられた宮
朝食後、宿を出てから馬は全速力で野山を駆け抜ける。王都と地方都市を繋ぐ平坦な街道を走るよりもショートカットで距離を稼いで、なるべく宿に泊まる計画を
それを聞くと怖いとは言っていられなかった。遊園地のジェットコースターとまではいかないものの、獣道としか思えない場所に突っ込んでいくのはヒヤヒヤする。
怜慧が目指す十二の宮は、王都をぐるりと取り囲んでいる山や森に点在している。見せられた地図はその部分だけで、この国の全容はわからないものの海に囲まれた島国であることはわかった。
「そろそろ昼飯にするか」
そう言って怜慧は馬をゆっくりと小川へと向かわせる。王子とは思えない言葉遣いは
こうして自然の中で王宮の堅苦しさを思い出すと、その対比が恐ろしくなってくる。昼間でも薄暗い部屋の中、外を見るのは御簾越し。王宮から屋敷への移動は廊下から牛車と直通で、
森の中を流れる小川の水は澄んでいて、大小の魚が泳いでいる姿もはっきりと見えた。怜慧と私が降りると、荷物を付けたままの馬は小川で水を飲み始めた。驚いて散った魚も、すぐに何事もなかったかのように戻る。のどかで平和な光景を見ていると自然と頬が緩んでくる。
助けられることなく、名前を縛られて神降ろしの儀式まで閉じ込められていたら私の精神は持たなかっただろう。明るい日光の下、地面を歩くことはこんなに精神的に落ち着くのかと、すべてに感謝の気持ちが溢れてくる。
「どうした?」
「地面歩くのが、楽しいなって思うの」
「馬は嫌なのか?」
「違う違う。こっち来てからずーっと部屋の中に閉じ込められて、散歩もさせてもらえなかったから、土の感触が嬉しいの」
今の私の足元は和風のブーツ。女性の乗馬用で硬いかかとがついているので、普通のブーツと変わらない歩き心地。
「そうだな。貴人の女が外に出ることはほとんどない。特に王の妃は年に一度の花見物に出れるかどうかだ」
素っ気ない言葉の中、淡い悲しみを感じるのは何故なのか。妃だった母親を思い出しているのかと、言葉を探しているうちに話題が流れてしまった。
ちょうど良い高さの岩に並んで座り、密かに楽しみな昼食は宿から渡されたお弁当。風呂敷包みの中は、笹に包まれた押し寿司がいっぱい。巨大な笹の葉に包まれたお寿司は一個が文庫本二冊分のサイズ。雑穀入りの酢飯と焼き魚の組み合わせは焼きサバ寿司に似ていて、魚の塩味が程よく効いていて美味しい。
「美味しー! ……これ何人分?」
深緑色の風呂敷包みの中、残り二十八個が山積み状態。昔見た、ワンコインのバーガー三十個爆食い動画を彷彿とさせる。ぎゅっと押し固められたご飯であることを考えると、こちらの方がきっとお腹に重い。
「これで二人分の昼飯だ」
「やっぱりそうなのね……」
頭でわかっていたけれど、確認してみたかった。私は一個……ぎりぎり二個でお腹の容量は終了しそう。
「味、平気か?」
「平気。とっても美味しい」
「昨日の夜、塩辛いって言ってたから塩を減らしてもらった」
「あ、そうなの? ありがとう。でも、それじゃあ怜慧は味薄くない?」
「意外と平気だな」
気遣いに感謝しつつ、のんびりと私が一個を咀嚼している間に怜慧は次々笹の葉を開いて口に入れていく。それが本当にハンバーガーを食べる姿に似ていて、この押し寿司もある意味ファーストフードなのかと気づいた。
二つ目を開くと、焼き鮭の押し寿司。魚の旨味と酢飯が美味しくて、ぺろりと完食。流石に三つ目は無理と断ると、怜慧が綺麗に食べてくれた。大量に食べたのだから、胃の辺りが出ているのではとじっと見てしまう。
「何を見てるんだ?」
「あれだけのお寿司食べたら、お腹ぱんぱんにならない?」
「ぱんぱん? なんだそれ?」
「……ちょっとお腹触っていい?」
大食い動画の人々は、食べた後に胃が広がってお腹が膨れている。怜慧もそうだろうと思っていたのに、服の上から撫でても全然膨れていないし硬い腹筋しか感じない。
「くっ、これはもしかして、噂に聞くシックスパック……」
筋肉動画で見ることはあっても、実物に触れたのは初めてだった。押し返してくる弾力が楽しくて、服の上からあちこちを撫でまわす。
「お、おい。そ、そろそろ落ち着け」
震えながら動揺する声で見上げれば、顔を真っ赤にした怜慧と目が合った。しまった。これではまるで変態。
「ご、ごめんなさい。シックスパックって初めて触ったから……」
理由にもならない理由で恥ずかしい。頬に羞恥が集まっていく。
「そ、そうか……茶でも飲むか?」
お互いに目を泳がせながら、二つ用意された水筒を手にとる。
動画よりも実物って最高ー! と心の叫びが頭に響く。……きっと元の世界ではこんな積極的なことは出来なかった。この異世界だから……現実味が薄くて夢のように感じているから。ということにしておきたい。自分が実は変態じみてるとか痴女の素質があるとか、認めたら負けな気がする。
水筒は竹を加工したもので、中には濃すぎる緑茶が入っていた。
「えー、待って。このお茶、苦くない?」
お茶の種類というより、濃すぎで苦い。昨日宿で出たお茶は、普通に飲めるお茶だった。
「食あたりと腐敗防止だ。薬効のある花茶も入っているから苦く感じる」
「ああ、そういうことなのね。それは仕方ないか」
緑の森の中、川のせせらぎの音に交じるのは鳥の声。自分が着ている服と、木々の合間から見える青い空に浮かぶ赤と緑の月さえなければ、元の世界と大差ない。久しぶりのピクニック気分は爽快で、これが逃避行ということも忘れそう。
「そろそろ出発するぞ」
「はーい」
お寿司を包んでいた笹の葉を土に埋め、私たちは出発した。
◆
再び快適な宿に泊まり、最初の目的地に到着したのは二日目の朝。深い深い森の奥、鬱蒼と茂る木々の中『一ノ宮』は静かにたたずんでいた。
木造建築の宮は縦横五メートル程度の小さな神社。屋根も柱も苔むして、柱と階段は茶色に朽ちかけて森に同化しそうな状況。鳥居に似た石の柱は倒れて野草に埋もれていた。
「……管理する人は誰もいないの?」
「ああ。今の王が即位した時、『宮』は廃止された。十二の宮は王都を護る結界を形成していたが、王は自らの魔力で新しい結界を作ると言って王都の東西南北に四柱の神を招いた」
「最初は何事もなく豊作続きで国中の人々も喜んだ。……東我によると王は神ではない何かを招いている。王宮内で何があったかは不明だが、災害や不作はその何かとの関係が悪くなっているようだ。王都中に幽鬼や妖物が現れるようになって、東我が一人で押さえている」
「俺が龍を呼ぶと東我に言ったら、それぞれの宮に納められていた御神体を戻すように頼まれた。それがこれだ」
怜慧の手には、美しい朱色と白の紐が結ばれた小さな木の箱。紐は真新しくても、木の箱はかなり古い物だと推測できる。私が気になっていた箱の中身は、御神体と勾玉だった。
「東我は宮が廃止された時、密かに全部の御神体を回収して屋敷で祀っていた。本来は建て直して戻したいそうだが、王が再建の禁令を出しているからできなかった」
怜慧は御神体の箱を和紙で包んで胸元に入れ、布袋から鍵束を取り出した。丸い金色の輪に美しい彫刻が施された金色の鍵が十二個下がっている。
「その鍵は?」
「宮の扉の鍵だ。この状況では不要かもしれないな」
怜慧が苦笑する気持ちもわかる。朽ちかけた扉は歪み、手で押せば空きそうにも見えた。
「戻すにしても、掃除が必要かも」
長い間、風雨に晒され続けた建物の内部が酷い状況だというのは、廃墟動画で見たことがある。
「まずは様子見だな」
宮の正面で深く礼をした怜慧に習って、私も礼をする。元の世界の神社では二礼一拍一礼だったと思い出していると、怜慧は二度手を叩いて、再び一礼。
「俺が先に上って確認するから、待っていてくれ」
正面の階段の右端を怜慧が先に上って大丈夫かどうか確認する。朽ちかけたように見えても、意外と丈夫。
「平気そうだな。そこで見ていてもいいぞ」
「今更、それはないでしょ。私も気になるもの」
笑いながら階段に右足を乗せた時、建物がぐらりと揺れた。
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