第七話 願いを叶える龍
山中のお寺の雰囲気がある宿屋の部屋は板張りに土壁で、夜だからなのか、窓にはすべて板戸が降ろされていた。広々とした屋敷とは違って、六畳あるかないかの部屋は圧迫感がある。
「この宿は
そう言われて思い出してみると、最初会った時に見た薄汚れた服も変な匂いはしていなかったし、単に着古した部屋着だったのかも。感じた暑苦しさも日に焼けた肌と筋骨隆々の体つきの印象か。
出された食事は雑穀が多いご飯と山菜キノコ入りの汁物、五十センチを超える焼き魚がお膳に乗せられていて、それとは別に元の世界の倍サイズのゆで卵が高坏に五個盛られている。
「足りなければ、追加で頼むぞ」
「十分足りるから大丈夫。っていうより、食べきる自信ない」
ご飯は昔話の絵本で見たような綺麗な山盛りで、味噌汁ではない汁物の椀も丼並みに大きい。シマアジに似た魚の身は淡いピンク色で美味しいけど塩辛い。
私は早々に脱落し、
食後の白湯を飲みながら、生で見る大食い動画……と感動しながら見ていたのは秘密にしておきたい。
部屋に専用のお風呂があるというので見に行くと、ごつごつした岩のタイルが敷き詰められた浴室の中、人がすっぽり入るサイズの巨大なヒノキのタライに温泉かけ流しという贅沢仕様。この世界に来て、初めて一人で湯船に浸かることができた。
「はー。気持ちいいー」
久々に裸で浸かるお風呂は開放的で顔も体も緩んでいく。この世界では、お風呂に入る時には湯着というごわごわしたガーゼで出来た袖なしの着物が必須。頭や体を洗う時も脱げないし、湯船に浸かる時にも着たまま入浴。王宮でのお風呂は特に酷くて、貴人は何もせずに御付きの女性に何もかも任せるという精神的拷問レベル。東我の屋敷でも、常に式神がいたので湯着を脱いで入ることは出来なかった。
この世界に来てから、とにかく肌の調子が良い。あれだけ悩んでいたニキビも出ないし、鼻の毛穴の黒ずみも消えている。リップクリームとハンドクリームが一年中手放せなかったのに荒れることなく潤っている。
「お菓子食べてないからかなー。あー、ポテチ食べたーい」
理由といえば、それぐらいしか思い浮かばない。学校帰りに皆でファーストフード店に行ったり、休日にお菓子を作って友達に配った思い出が懐かしい。
「そういえば……図書館で借りた本、カバンの中なのよね……」
夏休みに本格的な洋菓子を作りたくて、難しそうなレシピ本を借りたままになってしまっているのも気がかり。ごめんなさいと心の中で謝ってみても、返す方法は現状見つかっていない訳で。
異世界召喚された日、私は新宿駅の雑踏の中を歩いていた。突然強い白い光に包まれて目を閉じて、眩しさが消えて目を開くとこの世界にいた。
暗い部屋に灯されたロウソクと黒い光を放つ魔法陣。驚いた顔をした王と、笑顔の第二王子の横に、ミルクティ色の長い髪の二十代前半の女性がいたような気がする。すぐに女性は部屋から出てしまって、それ以降は見ていない。あの人が予言者だったのだろうか。
女神を人の体に降ろす。それは神への挑戦と冒涜だと東我は言っていた。もしも成功してしまったら、それこそ天罰が下ってしまうと思う。異世界召喚も含め、何もかもがゲームかアニメのようで、自分が当事者だと理解することは難しい。納得も何もしていなくても時間は過ぎていくのが悔しくて理不尽。
思考の海に沈んでいると、板戸を軽く叩く音が聞こえて浮上する。
「おい、大丈夫か?」
「あ、大丈夫。ありがとう」
怜慧の声から心配してくれていることを感じて、申し訳なさと同時に嬉しいと思う。私が馬鹿なことを言ってしまったからだとは理解していても、気にかけてくれているのは今の私には心強い。
「すぐ上がるから」
「いや。ゆっくりしてもいい。……湯あたりには気を付けろよ」
この母親のような発言も東我の助言なのかとふと思う。一瞬の沈黙に迷いが感じられて、私の頬が緩んだ。
◆
入れ替わりで怜慧が入浴し、私は寝室に一人残された。狭いながらも客室と寝室、お風呂付。物価が全然わからなくとも、これは相当お高いのではないかと考えてしまうのは庶民思考。平安時代は旅行は野宿が当たり前と習った覚えがあるから装束や食事が似ていても全く違う世界だと改めて思う。便利な世界でよかったと胸をなでおろす。
六畳程度の寝室には、巨大な四角い敷布団と掛け布が用意されていた。
「も、もしかして、中身はワラ?」
部屋を覆いつくす厚さ三十センチのフロアベッドのような形の敷布団は、布越しに稲のワラの匂い。お正月のしめ飾りの爽やかな匂いを思い出した。そっと触れると布団やマットレスとは違う、ごわごわとした質感。枕は竹か何かで編まれていて、祖母の家にあった湯たんぽのような形。
恐る恐る横たわると硬さが気になったのは最初だけ。しばらくすると慣れてきたのか気持ちよくなってきた。掛け布を……と思いながらも、私の意識は眠りへと引き込まれた。
◆
夜明け前に目が覚めた。掛け布はしっかりと私を包んでいて、隣で眠っていたらしい怜慧の姿は無く、ほのかなぬくもりだけが残されている。
一人取り残されたら、という不安で飛び起きると板戸が少しだけ開いていて、外を覗くと庭に立つ白い着物の背中が見えてほっとした。
声を掛けようとして、怜慧が何か呪文のようなものを唱えていることに気が付いた。ゆったりとした歌のような不思議な言葉が紡がれる中、昇り始めた太陽の光を受けて怜慧が輝いて見える。
白い太陽の光の中、怜慧から紫色の光が立ち昇る。綺麗な紫の光は怜慧の頭上、二メートルの高さで球体状の魔法陣を描いた。バスケットボールくらいの大きさの魔法陣は徐々に圧縮されて小さくなって、ビー玉の大きさに変化。
小さくなった魔法陣を怜慧が掴むと、右手の甲に紫の魔法陣が浮かんで消えた。
不思議で神々しい光景を眺めていると、怜慧が振り返って目が合った。
「もう起きたのか? もっと眠っていてもいいぞ」
「何となく目が覚めちゃった。何してたの?」
「……王家に伝わる龍の召喚魔法だ。……遥かな昔、我が国の初代の王は傷ついた龍を助けた。龍は助けられた礼として願いを叶えると言ったが、願いは自分の力で叶えるものだと王は断った。龍は王の子孫が困った時に呼べと召喚方法を残して去った。……それが本当かどうかは誰にもわからないが、魔力の集束魔法を四十八日間欠かさず行い、十二の宮に水晶の勾玉を納めると龍が現れる条件が揃う」
怜慧が願うことは何なのか。他人の願いを聞くべきではないと思っても、知りたいと思った。その気持ちが伝わったのかもしれない。気まずそうな顔をしながらも、怜慧が言葉を続ける。
「初代の王が偉大だという箔付けの話と思われてきたから、これまで誰も試したことはない。本当に龍が呼べるのかはわからないから、期待はしないで欲しいんだが……俺はお前を元の世界に戻してもらうように願うつもりだ」
「え?」
「俺が東我の屋敷を出たのも各地の宮に勾玉を納める為だ。……ただのおとぎ話かもしれない。だから絶対戻せるとは約束できないが、俺はお前に出来る限りのことはする」
その真剣な眼差しが私の心をときめかせた。元の世界に戻れるかもしれないという期待よりも、怜慧の誠意が嬉しい。
「怜慧、ありがとう」
「ただの伝説かもしれないから、期待はするなよ」
口を引き結んで視線を逸らした怜慧の頬がかすかに赤い気がして、私の頬も熱くなった。
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