第六話 異世界の景色

 朝と言っても、夜がすっかり明けた頃の出発。空には赤と緑の巨大な月が浮かんでいて、白い太陽が小さく見える。

 日光の下、紫色の狩衣に似た装束にブーツ姿の怜慧レイケイは凛々しくて、カッコイイと口走ってしまったのが悔やまれる。聞こえてはいなかったみたいで良かった。


 改めて東我の屋敷を外から見上げると、巨大な神社の雰囲気に圧倒される。神社仏閣で感じる神聖な場所という感じ。玄関から出る前に自然と頭を下げて建物に挨拶してしまった。


「今日は跨ってもいいぞ」

 怜慧の手を借りつつ、黒馬に跨って乗ると横座りとは段違いの安心感。高すぎる視点も安心して見渡せる。後ろに怜慧が乗り、東我トウガと式神たちに見送られて門から出た。


「あ……正面から出かけるんだ……」

「表も裏もどっちにも見張りがいる。それなら正面でいいだろ」

 口を引き結んだ怜慧の視線の先を見ると、地味な牛車が止まっていた。白い塀で囲まれた屋敷の前はまっすぐな道で隠れる場所はない。

「……ちょ。普通、もっと姿を隠すとか、お隣の屋敷から様子を見るとかしない? 丸見えじゃない」

 広い道の反対側には、寝殿造の屋敷。こちらも同じく白い塀で囲まれている。

「向かいは第一王子派の貴族だからな。拒否されたんだろ」

「あー、そういうことかー」

 それにしても間が抜けている。よりによって牛車。馬が走ると追いかけられないのは明白なのに、大丈夫だろうかと逆に心配になってきた。


 隣を通り過ぎる時、何となく手を振ると牛の隣に立っていた人が手を振り返してくれた。

「おい。お前、何やってんだ?」

「つ、つい、何となく」

 牛車からかなりの距離を離れた所で、ぎいぎいと牛車の音が聞こえ始めた。歩く馬に追いつける訳もなく、角を曲がればあっさりと音は背後に遠くなる。


「馬を牛車で追いかけるとか、無理って思わないのかな……」

「流石にただの見張りだろう。俺たちが出発したと知らせる……にしても、騎馬の従者くらい……」

 ふと振り返った怜慧が前を向きなおして馬を走らせ始めた。

「ど……?」

 どうしたのかと聞きたくても、走り出すと話すことは難しい。

「あいつら本気で牛車で追ってくるつもりだ。牛を暴走させてる」

 馬の蹄の音の向こう、がらがらと車輪が回る音がする。暴走する牛といえば、闘牛しか思い浮かばなくて怖い。ただひたすら前を向いて、追いつかれないようにと願うしかなかった。

 

      ◆


 速度を上げた馬は、碁盤目状になった王都の道を駆け抜けた。広くて見通しの良い道には牛車や荷馬車、魚や野菜が入ったタライやカゴを持つ人々が多数歩いていて、怜慧は人から距離を取りつつ馬を操る。


 優雅な王族や貴族ばかりを見ていたから、この世界の普通の人々の姿を初めてみた。素朴な着物姿の男女が多く、生成色のシャツに茶色のズボンという洋装の男性も紛れている。近くに市場があるのか、賑わう人々の声が風に乗って耳に届く。


 澄ました顔で表情をあまり変えない貴族たちとは違って、明るく挨拶を交わす声や笑い声、生活音が心地いい。


 大きな門が見えてきたところで、馬の速度が緩んで早歩きに変化した。

「王都には十二の門がある。ここは第六の門」

 都をぐるりと高くて白い塀が囲んでいて、外に出るには必ず門を通ることになるらしい。何か聞かれたりするのかと姿勢を正して緊張していたのに、門の両脇で警備していた兵士たちには何の変化もなかった。


「あれ? 無視された?」

「堂々と出入りする者は問題ないと思われただけだ。こそこそと何か隠したり、よからぬことを計画している者は態度でわかるから徹底的に調べられる」

「へー。そんなものなのね」

 見回してみても怪しい牛車はいなくてほっとする。暴走牛車に追いかけられるのは心臓に悪い。先ほど追いかけてきた牛車は、どうやら車輪が壊れたようで私たちは助かった。牛車は時間を気にせず優雅にのんびり乗る物であって、暴走用ではないと思う。


「追手はいないようだな。あいつ、本当に人望も人材も無いんだな」

 それは第二王子のことだろう。しみじみとした声は憐れみさえ感じる。

「俺としては、次代の王は第一王子が適任だと考えてる。王と第二王子が予言者の言いなりになって、律令を書き換えたり税率を変えたりするのを阻止する為に日々奔走しているからな」

 異世界召喚直後、真っ先に頭を下げた金髪碧眼の第一王子の姿を思い出した。終始顔色が悪かったのも、苦労を背負い込んでいたからなのか。


 王都の門を出ると水田や畑が遥か彼方まで広がっていた。植えられたばかりの稲は、田舎で見る光景と同じ。

「最初の宿まで一気に走るぞ。気分が悪くなったら教えてくれ」

「わかった」

 私が素直に頷くと、馬が走り出した。


      ◆


 本気で走る馬の速度を知らなかった私は、承諾してしまったことを盛大に後悔しながら腰に回った怜慧の腕にしがみついていた。馬といえば、ぱかぱかという蹄の音と上下に揺さぶられるイメージだったのに、本気で飛んでいるのかと思うくらい前に進んでいる。上下の揺れはほとんど感じることなく、とにかく感じる風が強すぎる。

 水田や畑は姿を消して、野原や森に囲まれた道をひたすら走る。稀に馬車が近づくと速度を落としてすれ違ったり追い越して、再び速度を上げる。それは馬車を引く馬を驚かせないようにという配慮らしい。


 この世界の馬は、元の世界の馬よりも大きくて強い。しっかりと餌をやると三日間休みなく人や荷物を乗せて走ることもできると聞いた。鞍には大きな箱が二つと二つの布袋が括りつけられている。大きな箱一つは私の荷物。布袋は怜慧の荷物。もう一つの箱には何が入っているのかわからない。


 日が傾き始めた頃に森を抜け、川を渡った場所には賑やかな街が広がっていた。街路樹として柳としだれ桜が植えられていて、揺れる柳と桜の隙間から赤い格子の店が覗いている。貴族の屋敷よりも派手派手しい色彩が目に痛い。着物や洋装の男女が歩く中、女性の着物は華やかな模様が描かれているのが目立つ。


 ちょうど馬車が通りかかって馬の速度が落ちた時、私は怜慧に話しかけた。

「今日の宿はあの街?」

「いや。もう一つ先だ。……あれは歓楽街だ」

 歓楽街と聞いて、街の華やかさに納得した。夜の闇に負けない為の色鮮やかさが、日の光の下では物悲しい。


「どうした?」

「……占い師って、この世界で働けるかなって」

 もしも一人で生きていくことになったら。心細さで呟くと、腰を抱く腕の力が強まった。

「どうしても占い師になりたいのなら、俺が王都に屋敷を建てる」

「屋敷建てて、どうするの?」

「占い用の部屋が必要だろ?」

 いやいやいや。異世界の王子様は庶民と考えるスケールが違いすぎ。占い用の部屋の為に屋敷とか、理解不能。

「屋敷とか建てなくていいから、今は宿に向かいましょ」

 心配事が一瞬で吹き飛んだ私は、先に進むようにと怜慧を促した。


      ◆


 再び全速力の馬に乗り、宿がある村と到着したのは日がすっかり落ちた頃。空に浮かぶ赤と緑の月は静かに輝き、白い月が周囲を照らしている。

「赤色とか緑色の月光にならないのが不思議なのよねー」

 常に空に浮かぶ二つの巨大な月が見えているということは、反対側の太陽の光を受けているはず。それなのに影ができないから満ち欠けがない。

「何を言っているんだ?」

「ちゃんと授業受けておけばよかったなーって思ってるだけよ。気にしないで」

 占星術で使用する星についての基礎知識はあっても、月の満ち欠けのメカニズムは曖昧で。何でもない日々の勉強が実は大切だったと今になって思う。


 夜になっての飛び込みの宿泊に対して、宿の主は最初は良い顔をしなかったのに、怜慧が料金以上の代金を渡すと手のひらを返して揉み手付の笑顔になった。どこの世界でも現金は強いと感心しつつ、私たちは宿へと入った。

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