第四話 名を護る術

 目が覚めた。几帳で囲まれているからなのか周囲は薄暗い。起き抜けの頭では何も考えることができなくて、見慣れない天井をぼんやりと見つめるだけ。


 ――これから五十日逃げ回って、その後は?

 考えるとキリがない。元に戻る方法を東我とうがが探してくれる間、私はどうやって暮らせばいいのか。ここは占いで生計が立てられる世界だろうか。正式に勉強したことのない占いが通用するだろうか。……もしも見捨てられたらと考えるとぞっとする。


 昨日は本当に馬鹿なことを言ってしまったと思う。元の世界に帰ることができるとしても、私には死ぬ勇気はないのに。

 隣を見ると怜慧レイケイの姿は無かった。足に結ばれた帯の感触も消えていて、血の気が引いていく。起き上がると几帳越しに怜慧の声が聞こえた。

「起きたか? 体調はどうだ?」

「あ、平気。大丈夫」

 よく眠れたのか、やけにすっきりとしている。緩んだ襟元を直していると、几帳をめくって怜慧が顔を覗かせた。


「……よかった。顔色も良いな」

 銀の髪に赤い瞳。白い直衣に似た装束がとても似合っていて、微かな笑顔に心ときめく。

「心配かけてごめんなさい」

 昨日のことで気にかけてくれているのかと思ったのに、実は違っていた。

「お前は二日間眠り続けてた。よっぽど精神的に疲れてたんだろうと東我が言ってた」

「ふ、二日っ?」

 熱を出して寝込んだ時でも二日も眠っていたことはなかった。合間に起きた記憶もなくて驚いていると、淡い紫色の液体が入った白い湯呑が手渡された。

「滋養の薬だ。飲みたいだけ飲め」

「あ、ありがとう」

 口にすると甘みのあるハーブティ。後味はさっぱりとしていて二杯を飲んだところで、体が温まってきた。

「起き上がれそうなら、風呂に入るか? 飯にするか?」

 心配しているのは伝わってきても、その言葉がどこか母親のようで笑いが込み上げてきた。

「……笑うなよ。東我がそう言えって言ってたんだ」

 成程。これは東我の気遣いなのか。


 怜慧が几帳の柱を指で叩くと板戸が開く音がして、衣擦れの音と共に女房装束に似た紅色の服を着た美女が二名入ってきた。年のころは二十代半ばで、淡い桃色の長い髪。人間離れした美貌がどことなく、紅梅の雰囲気が漂う。

「東我の式神だ。風呂や身支度を手伝ってくれる。話はできないが、言葉は通じる」

 二日も眠っていた実感はなくても、いろいろが気になった私はお風呂に入ることにした。


      ◆


 お風呂に入った後、私は白の着物と淡い桃色の単衣を着せられて、卵がたっぷり入ったお粥を頂いた。王宮では出てこなかった梅干しと漬物まで添えられていて、お腹いっぱい食べてしまった。食後の白湯を飲みながら後悔に浸る。

「うう……食べ過ぎた……」

「そうか? 少ないと思うぞ」

 一緒に食べていた怜慧の量はすさまじい。運動部の男子が食べる量の倍くらいの印象。


 改めて見る怜慧の部屋はがらんとしていて、几帳を除けば棚が一つと唐櫃二つ。あとは文箱が置かれた机だけ。物が無さ過ぎるのも落ち着かなくて、そわそわしてしまう。せめて花一輪でも飾ってあれば違うのに。


「王子なのに王宮には住んでいないの?」

「一応部屋は用意されてる。儀式や呼び出しを受けた時には行くが、基本はここで住んでる。王宮は危ないからな」

「危ないって何?」

「暗殺される危険がある。俺を含めて王子は二十七人、王女は六人いた。妃は十六人。誰が将来の王になるかの権力争いが酷くて、今では王子は十二人、王女は全員降嫁、妃は三人しか生き残っていない」

「それって……」

 ぞっとした。怜慧の母親は生きているのかと聞けない雰囲気を感じて、心が痛む。


「落馬とか転倒してというのもいたが、多くは毒だ。だから俺は王宮では物を食べないし水も飲まない」

 あの閉じ込められた屋敷に移動するまで、私は王宮で食事を頂いていた。毒は入っていなかったとわかっていても気分の良いものではなくて、もやもやする。


「……俺が七歳の頃、母親が死んだ。強くならなければ生き残れないと思った俺は、偶然出会った東我に弟子入りを志願して王宮を出て今に至る。俺は完全に王位継承者からは外れたから、もう狙われないと思うけどな」

 怜慧は一息で言い放って勢いをつけて立ち上がり、机の上の文箱を開けて巻紙を取り出した。


「お前の名を護る符を作るから、ここに名前を書いてくれないか?」

 和紙に似た白い紙には、朱色で複雑な図形が掛かれていて中央だけ何も書かれていない。ペンではなく、磨られた墨と筆を示されて盛大に焦った。習字の授業は中学生までで、高校生になってから筆で文字を書いたことがない。

「ふ、筆文字って苦手なんだけど……あ! ペンじゃダメ?」

「ペン?」

 棚に置かれた学生カバンを漁って、黒の油性ペンと黒のボールペンを示す。筆よりはマシ。

「書いた字が消えないならどちらでも構わない。家名は無しで名だけを書いてくれ」

 そう言われて油性ペンを選ぶ。練習しようかと思ったけれど、恐らく紙は貴重品。自分のノートに名前を書くのも気が引けて、一発勝負で示された場所に名前をかいた。


「よし。後は仕上げだ」

 さらさらと文字のような図形が筆で書き込まれていく光景は見ているだけで面白い。空白が埋まって、筆が置かれる。

「これで完成したの?」

「あと少しだ」

 机の上に置かれた紙の上、今度は指で紫色の光の図形が描かれていく。魔法陣なのかと見つめていると、炎が上がった。

「か、火事になっちゃう!」

「大丈夫だから落ち着け」

 紙は燃えることなく、表面で炎が踊っている。よくよく見れば、炎の下で図形が変化してわずかずつ消えていく。不思議で綺麗な炎の舞は、しばらく続いた。

 最後に残ったのは、私の名前と紫色の光の図形。

「この名を持つ者に光と風の守護を願う」

 紫色の光が紙を包み込み、跡形も無く消え去った。


「これでお前の名前は精霊に守護されたから、誰にも縛られない。……今だから言うが、結婚の儀式の時にお前の名が縛られる予定だった」

「縛られるって何?」

「本人が書いた名を使って行動を制限する術だ。例えば逃げないように、部屋の中だけ自由、とかな。東我くらいの力のある術者だと聞いた音だけで縛ることもできるが、今の王宮にはそこまで力量のある者はいない。結婚式にかこつけてお前に名を書かせると聞いていた」

 驚いた。王たちの話は嘘だらけで、私を自由にするつもりはなかったのか。


「いつ出発するの?」

「……それなんだが……俺が囮になって移動して、お前はここで匿ってもらえないか東我に相談するつもりだ」

「でも……」

 怜慧と離れることが心細くて、不安が湧き上がってきた。 


「残念ながら、俺がお嬢ちゃんを五十日預かるのは無理だ。急に出かける事もあるからな。その間に隙が出来る」

 ひょいと軽い足取りで部屋に入ってきたのは明るく笑う東我。糊の効いた流水紋様が織り込まれた淡い水色の直衣に似た装束でも、野性味が滲み出している。

「だが……」

「俺はこの王都の怪異全部を鎮める役目がある。お嬢ちゃんの体調は心配だが、お前が気を付けてやれ」


「体は丈夫な方です。召喚されてから、よく眠れていなかったからだと思います」

 もうすっかり気分も良くなった。部屋の中でじっと隠れているよりも、外に出て自由を感じたい。


「本当に大丈夫か?」

「ええ。それに、この世界のこと知りたいなって思うから。あちこち回るんでしょ?」

 万が一、元の世界に帰れないというのなら一人でも生きる術を見つけたい。そんな願いを隠して、私は微笑んだ。

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